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「土偶界のイノベーター」登場!画期的「土偶」論に見るイノベーション的思考とは?

〈情報工場 「読学」のススメ#93〉『土偶を読む』(竹倉 史人 著)

「土偶界のイノベーター」登場

縄文時代に作られたとされる「土偶」は、130年以上にわたり研究が続けられているにもかかわらず、いまだにその正体が謎のままの造形物である。日本史の授業で「女性をかたどっている」などと教わり「そうなんだろう」と納得している人も多いはずだ。

そこへ突然、「土偶はクルミ、クリ、サトイモなど、“植物”をモチーフとしたものだ」という独自すぎる新説を唱えたのが、人類学の独立研究者である竹倉史人さんだ。

“眉唾モノ”と思った方は、竹倉さんの著書『土偶を読む』(晶文社)を手にとっていただきたい。読み進むうちに、土偶がクリやサトイモにしか見えなくなっていくだろう。読了後には、竹倉さん自身もいうように、これまで土偶の「植物像説」がなかったことの方が異常に思えてくる。

竹倉さんは、土偶が、縄文人の命を育んでいた主要な食用植物を写実的に表現したものと考える。「妊娠女性」や「人体のデフォルメ」といった定説の延長で考えていては、たどり着けない説だ。ちなみに、竹倉さんは土偶のモチーフとして、ハマグリなどの貝類も含めているが、これは縄文人がクリなどの堅果類と貝類を「近似カテゴリー」と認知していたから、と説明される。

従来の枠組みから離れたところに、まったく新しい概念や考え方をつくり出し、一気に業界に革新を起こす。こうした人や企業は「イノベーター」と呼ばれる。その意味で竹倉さんを「土偶界のイノベーター」と呼んだら言い過ぎだろうか。

イコノロジー(図像解釈学)×考古学のアプローチ

そもそもこれまで「考古学の専門家」や「土偶の愛好家」はいても、「土偶の専門家」はいなかったと竹倉さんは指摘する。

竹倉さんも、もとは土偶の専門家ではない。人類学者だ。神話を扱う講義に日本の神話を取り入れたいと考え、縄文時代の精神性を反映していると考えられる土偶に目を留めたのが土偶にのめり込んだきっかけだった。

土偶についてあまりにも無知だったため、まずはグーグルで「土偶」を検索。考古学も、この時に勉強し始めたという。既存の業界とは無関係の分野から突然現れた新規参入者がイノベーターとなるのは、ビジネスでもよくある例だ。

竹倉さんは、土偶の研究を始めるにあたり、遮光器土偶のレプリカを買い求めた。そして、毎晩ベッドで一緒に眠るほどの愛着をもつ。そんなある時、ふと脳裏にあるイメージが浮かび上がり、PCの画面上で遮光器土偶の手足にサトイモを重ねてみた。その瞬間、サトイモこそ、遮光器土偶のモチーフだという着想を得る。ふとした瞬間の「ひらめき」がアイデア発想のきっかけとなるというのもイノベーションの定番だ。

土偶は、見た目や発掘された場所をもとに「ハート形土偶」「合掌土偶」「椎塚土偶」といった呼び名が付けられ、分類されている。竹倉さんは、これらをもとに大きく9のカテゴリーに土偶を分け、それぞれに具体的なモチーフがあると仮定し、その正体を探っていった。

その際、形状の類似に意味を見出す「イコノロジー研究(図像解釈学)」と「考古学」を掛け合わせたアプローチをとる。異質なものの掛け合わせもまた、よく知られるイノベーションの方法論。ちなみにイコノロジーは「偶然の類似」を排除できないという理由で、これまでの土偶研究ではタブーだったという。

竹倉さんは、土偶の「見た目の類似」からモチーフと考えられる植物の目星をつけたうえで、考古学のデータや資料を用い、その植物の縄文時代の生育分布と、土偶の出土分布を比較して近接性を確認していった。

考古学的な裏付けを得た土偶とモチーフの比較写真を眺めていると、まるでご当地の特産品に手足をつけた「ゆるキャラ」だ。貝塚から発見された「椎塚土偶」など、どう見てもハマグリ。さらに、いずれの植物も栄養価が高く、縄文人が重宝していたと考えられるというのだから、説得力は抜群だ。

タクシー業界に警戒されたウーバーのような存在か

突然現れたイノベーターに対し、既存業界の強者が反対勢力となって「出る杭を打つ」のはよく聞く話だ。とくに既存の枠組みを大きく変えるような「破壊的イノベーション」の場合、既得権勢力は必死にその芽を摘もうとする。

竹倉さんは、今回の研究成果を発表しようとした際、関係各所から「考古学の専門家のお墨付き」を求められたという。しかし、専門家たちの大半は「われわれ考古学の専門家を差し置いて、勝手に土偶について云々されたら困る」と、まともに取り合わなかった。研究成果が世に出ないよう画策する者までいたという。

土偶=植物像説が考古学界に受け入れられるまでには、まだ時間がかかるかもしれない。それは、ウーバーがタクシー業界に警戒されたのと似ているようにも思える。しかし、庶民の納得感から、植物像説が土偶のデファクトスタンダードになる日は近いように思えてならない。

(文=情報工場「SERENDIP」編集部 前田真織)

『土偶を読む』
竹倉 史人 著
晶文社
352p 1,870円(税込)
情報工場 「読学」のススメ
吉川清史
吉川清史 Yoshikawa Kiyoshi 情報工場 チーフエディター
竹倉さんは、土偶に残された大きな謎として、「土偶は何をかたどっているのか」というモチーフの問題と、「土偶はどのように使用されたのか」の二つがあると指摘。後者については、土偶を食用植物の「精霊」として、呪術的儀礼に用いたという仮説を立てている。土偶の造形は、人体を模したものと思えば稚拙に感じるかもしれない。しかし、植物を人体化した精霊を表現したものとなれば、豊かな発想と想像力によるハイレベルな芸術作品として評価できるのではないか。古代人類の思考や技術は、現代人と比べて決して未熟ではない。逆に現代人が失った優れた感性を見出せるのだと思う。

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