「調査報道」支える仕組み作る。ノンフィクションのサブスクが狙う新市場
「よいノンフィクションは人生に影響を与える」―。スマートニュース子会社であるスローニュース(東京都渋谷区)の瀬尾傑社長の口からノンフィクションや調査報道に対する思いがあふれる。同社はノンフィクション作品に特化した定額制読み放題のウェブサービス『SlowNews(スローニュース)』を2月に始めた。月1650円(消費税込み)で110冊以上の良質なノンフィクションの書籍や記事、オリジナル作品が読み放題で楽しめる。
瀬尾社長は、講談社の『週刊現代』『月刊現代』編集部や『現代ビジネス』の創刊編集長などを経て、18年8月にスマートニュースに入社。「調査報道を支える仕組みを作るために来た」と力を込める。そんな瀬尾社長が満を持して始めた『スローニュース』に込めた思いとは―。(聞き手・葭本隆太)
社会的な意義と読者にとっての価値
《ノンフィクションや調査報道の仕組みを次の時代に残さなくてはいけないという思いがあり、サービスを始めました。今、ノンフィクションや調査報道はビジネスとしては成立しにくい時代になっており、時間をかけた取材が非常に難しい環境になっています。例えば、かつてそれを支えていた『月刊現代』や『諸君!』といった雑誌はインターネットが発達して生活者の情報の接し方が変わったことなどによって販売部数が減り、2010年ころまでに休刊が相次ぎました。
しかし、ノンフィクションや調査報道には社会的な意義があります。時間をかけた調査で初めて分かることがあります。権力が隠している事案を見つけ出すことはその一つ。貧困や格差の問題のように社会の片隅に被害者がいる事件を発掘して世の中に伝えることも大きな役割です。また、読者はノンフィクションを通して見たことのない世界や、もう一つの人生を知ることができます。世界では今、分断や格差が起きています。そこで大切なのは、相手や社会に対する共感や想像です。ノンフィクションを読むことで想像力を高められます。
我々の目標はノンフィクションや調査報道の新しいエコシステムの構築です。新しい書き手や調査報道が生まれる仕組みを作りたいです。》
スローニュースはサービス設計の根幹に「サブスクリプションモデル」を据えた。エコシステムの構築に向けて、読者に継続して接してもらえる関係作りを重要視した。
《ノンフィクション市場を育成していく上で(利用者との関係は)広く薄くではなく、コンテンツの価値を高く評価してくれる人との濃いエンゲージメントが必要だと考えました。それをしっかり醸成するため、サブスクモデルにしました。(月1650円の)利用料はそこまで大きな負担にならずに使ってもらえるはずです。出版社や書き手に収益を返すために一定の価格が必要とも考えました。》
UI・UXの観点では、ビューワーが特長だ。文章表示の標準仕様は横書き。1ページは3000―7000字で区切り、移動中などの隙間時間に読みやすい形式を意識した。次のページに遷移する際は電子書籍のめくるような操作ではなく、ボタンをタップする仕様にした。
《スマートフォンでウェブメディアを楽しんでいる人が、自然に読めるビューワーを開発しました。これまでよいノンフィクション作品に接してこなかった20―40代の人たちに届けて、新しいノンフィクション市場を開拓したい。(具体的な想定読者は)例えば、Netflix(ネットフリックス)でドキュメンタリーを見る若い人たち。彼らはリアルな世界の情報の価値や面白さを知っています。》
しかし、若い世代は長いテキストを敬遠すると言われる。その証左か、本1冊が10分程度で読める書籍の要約サービスなどの人気が広がる。長文コンテンツは受け入れてもらうハードルが高くないのだろうか。
《(サービス開始前に実験した結果、)ノンフィクションに初めて接したという人たちが面白いと言ってくれました。ウェブメディアと同じように読んでくれる仕様を作り、コンテンツが面白ければ、長文でも決してハードルは高くないと感じました。
(実際に)サービス開始1カ月の反響はとてもいい。(登録者数は非公表ですが、)回遊率も高い。実は、横書きの仕様は新しい試みなので「(本を読む仕様として)習慣的になじまない」と思われる不安がありました。ただ、それも杞憂で、読みやすいと好評です。さらに、ノンフィクションや調査報道のエコシステムを構築する我々の理念に共感し、支えたいと思ってくれている人も多いです。 やはり、サービスの肝はコンテンツの面白さです。今後、会員獲得を進めていく上でもその充実がいちばん大切です。》掲載するコンテンツの基準
スローニュースでは現在、110冊以上のノンフィクション本や記事が読める。それらは必ずしも新刊ではなく、『ネットと愛国』(安田浩一著)や『経済学は人びとを幸福にできるか』(宇沢弘文著)など5年以上前に刊行した作品も並ぶ。また、同社の支援の下で12人の外部の書き手がそれぞれ取材・執筆するオリジナル記事も配信している。
《掲載する作品は、時間を超えた価値を持ち、今の時代に読むべきものを出版社と相談しながら選んでいます。その際の基準は「内容の正確性」と、今の社会を考えるときに役立つかどうかという「社会的な影響力」。オリジナル記事は、企画の段階で相談を受け、採用の可否を判断します。やはり内容の正確性と社会的な影響力を重視します。その中で、オリジナル記事は高橋ユキさんや濱野ちひろさん、吉田千亜さんといった女性の書き手の支援に特に力を入れています。ノンフィクションの著名な書き手はまだ男性が多いですが、すでに活躍している女性はいますし、(ノンフィクション市場を盛り上げるために)もっと参加してほしいです。
コンテンツは今後、週に数点ずつ増やします。しかし、大量に増やすことがいいとは思いません。新しいコンテンツが毎日たくさん表示され、読者が混乱してしまう形は望んでいません。今のネット社会は、ニュースがタイムラインに流れてはどんどん消えていきます。そうした体験に疲れた人も多いのではないでしょうか。スローニュースは現在、毎日2本、週14本程度のオススメ作品を紹介しています。その中に読みたいと思う作品が1-2本あると、よい体験になると考えています。
よく、スマホを舞台にコンテンツ同士の可処分時間の“奪い合い”が行われていると言われます。しかし“奪う”のはメディア側の言い分で、本来、生活者はその時間を豊かに過ごしたいはず。我々はよいコンテンツは人生に影響を与えると思っています。スローニュースは、それにふさわしいコンテンツを集めています。隙間時間によい本や記事に出会うことで人生が変わるかも知れない。そうした体験を提供したいです。》
作品の提供元には岩波書店やKADOKAWA、講談社、光文社、東洋経済新報社、文藝春秋が名を連ねる。出版社は読み放題サービスに作品を提供すると、その作品の価値を損なうとして、抵抗感を持つケースがある。スローニュースに対してそうした抵抗はなかったのか。
《正直に言うと、(その抵抗を)心配していました。しかし、優れた書き手やそれを支えるメディアを育てる我々の理念に共感し、多くの出版社がぜひ参加したいと言ってくれました。彼らも「ノンフィクション市場をどうにかしたい」という危機感を持っています。そのため、「(スローニュースという)プロジェクトを絶対に成功させなくてはいけない」と言ってくれます。最後の希望だと思っている人たちもいるのです。》
独自の価値を提供できる
ノンフィクションや調査報道はビジネスとしての難しさが指摘される一方、そこに果敢に挑む機運も生まれている。「週刊文春」はそれを連発することで存在感を高めており、エフエム東京(TOKYO FM)では調査報道にフォーカスした番組「TOKYO SLOW NEWS(トーキョー・スロー・ニュース)」が20年3月から放送されている。
《メディアにとって調査報道は、独自の価値を提供できる手段です。週刊文春のほか、西日本新聞の『あなたの匿名取材班』も読者の身近な疑問にしっかり答える調査報道を展開しており、反響があると聞きます。「TOKYO SLOW NEWS」は我々がコンセプト設計に協力しました。もちろん、ファストニュースはとても大事です。例えば、地震や津波が起きたとき、少しでも早く避難するための情報を伝えるのはニュースの大きな役割でしょう。ただ、それとは別に新聞社などが差別化を図る上で、調査報道は価値があります。そのためのスキルやノウハウもある。頑張ってほしいです。》
スローニュースはそうした機運をさらに盛り上げるべく、サービスの充実に余念がない。エコシステムの構築という目標の達成へ瀬尾社長の決意は固い。
《我々はノンフィクションや調査報道の力を信じています。だからできるだけ多くの人に使ってほしい。そのためにユーザーの反響を見ながら(コンテンツだけでなく)UI・UXを充実させていきます。ノンフィクションや調査報道を支える仕組みを作るために、私はここに来ました。そこまではやりきります。》
【略歴】せお・まさる 兵庫県出身。1988年同志社大卒、日経マグロウヒル社(現日経BP社)入社。経営企画室、『日経ビジネス』編集部などを経て、講談社に転職。『週刊現代』『月刊現代』編集部などを経て、『現代ビジネス』を創刊、編集長に。18年8月にスマートニュースに入社し、スマートニュースメディア研究所所長に就任。19年2月に調査報道の支援を目的にしたスローニュースを設立、社長に就任。インターネットメディア協会代表理事。