「令和の大仏」こと“動くガンダム”は何を祈る?「奈良の大仏」との共通点
「奈良の大仏」を建立した天平人の祈り
聖武天皇が743年(天平15年)に「大仏造立の詔」を発し、「東大寺盧舎那仏像」(奈良の大仏)の造像を発願した理由はいくつか考察されている。一般的なものとしては、仏教に深く帰依していた天皇は飢餓や戦乱、流行病(感染症)の蔓延に心を痛め、国と人心の安定を願い、建立を決めたとされる。
当時、飢餓は慢性的なものだったし、九州では藤原広嗣が朝廷に反旗を翻した。そして都のみならず全国で患者が相次いだ流行病。その実態は天然痘とされ、政権の中枢を担う「藤原四兄弟」が相次いで病死するなど、一説には当時の日本の総人口のうち、約3割の100万人程度が死去したという。
大仏建立で人心の安定を図るという発想を現代人が理解するのは容易ではない。政権の威光を示すためでもあろうし、公共事業の性格もあったろう。大仏建立を決めた為政者たちの本心がどうであれ、像高約15メートルという当時の日本人の平均身長の約10倍という巨大な大仏を目の当たりにした天平人の感想はいかほどだったろう。
大木や小山とは違う、人の似姿。巨人。同じものなど見たことない。一生その人の記憶に焼き付いたであろうことは間違いない。
ここから話は飛ぶのだが、11月30日に横浜・山下埠頭で等身大の「動くガンダム」が報道公開された。全長は18メートルと、やはり現在の日本人の平均身長の10倍以上。巨大な人の似姿がそこに存在することへの違和感は、それこそ前回の東京・お台場の「動かないガンダム」「動かないユニコーンガンダム」を見たとき以来だろう。
しかも今回は動く。さすがに自立歩行の実現はできなかったが(腰部が背面の機械ユニットと固定されている)、関節自由度は24ヵ所で、ぬるぬるとポーズをとる。手は5本の指がそれぞれ動く。大仏を見た天平人と比べるのもどうかと思うが、これまで見たことのないもの、しかも巨大な人の似姿への驚き、違和感、あるいは畏怖のような感情は共通点があるのかもしれない。
エンタメ業界の切実な願い
くしくも新型コロナウイルスという天平の昔と同じく流行病の最中での完成は、もちろんまったくの偶然なのだが、そこに運命を感じてしまうのは人の性だろう。
プロジェクト運営会社のEvolving G社長の佐々木新さんは同日、「世界的なコロナ禍の中、少しでも元気づけ、エンタメ業界の発展に貢献できれば」と“動くガンダム”の意義を説明した。佐々木さんの言うようにエンタメ業界は壊滅的な打撃を受けている。『鬼滅の刃』の歴史的な大ヒットもそうだが、少しでも明るい話題が欲しいというのはエンタメ業界の切実な願いだ。思わず“動くガンダム”に祈りたくもなる。
そういえば30日のデモで“動くガンダム”も両腕を下から上に持ち上げ、まるで天に祈りを捧げるようなポーズをとっていた。“動くガンダム”は天に何を願っていたのだろう。コロナの収束だろうか。それとも40年前に夢見た人の革新の続きだろうか。
山下埠頭の会場では、映画『機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙』の挿入歌、『ビギニング』がBGMとして流されていた。