三菱重工が背水の陣で臨む“祖業”再構築は大丈夫か
大型客船の建造遅れによる巨額損失、火災も相次ぐ
「下関」にヒント。業界再編は考えず
商船改革のヒントは意外にも近くにある。下関造船所江浦工場(山口県下関市)。造船不況をくぐり抜け、フェリーやアルミ高速船などを軸に長年黒字を維持する優等生だ。陸上から滑り下ろして進水する「船台」を利用する大手で数少ない造船所だ。進水後すぐに止めないと、目の前の巌流島にぶつかる恐れがあるなど地の利があるとは言いがたい。歴史上、閉鎖のうわさは絶えなかったが、三菱重工が選択したのは横浜や広島、神戸での商船建造撤退だった。
生き残れたのは「奇跡ですね」と北村徹下関造船所長は冗談交じりに語るが「下手をすると閉じられるという危機感をバネにがんばってこれた。規模が小さく紛れもなかった」のが本音。実は「85年まで貨物船など輸出船ばかりだった」がプラザ合意で一変。フェリーに照準を合わせ、約30年で40隻近くを送り出した。今でこそ国内トップだが、産みの苦しみも味わった。
【失敗糧に成長】
80年代の初の大型フェリーでは機関室振動が船内に伝わり、試運転後に大改造を強いられた。受け継がれた失敗が、成長力に姿を変えた。下関造船所では進水が迫ると、設計、建造のマネージャー級が一組で自然とパトロールし、改善点を話し合う「ハンドメードの船造り」(北村下関造船所長)文化が根付く。基本設計、詳細設計、生産設計の垣根も低く、工作部を含めて横連携は滑らか。フェリーは客船同様、内装品や資機材が多く、狭隘設計・製造が一般的。連携と経験値が物を言う。
長崎造船所に求められているのも全体最適志向だ。10月から船体建造部隊は設計、工作、調達などを含めて大部屋に集結。それまで設計は立神地区の本工場に拠点を置き、同じ造船所にいながら「心が離れていた」(関係者)面は否めない。「長崎の企業風土を変えることで合理的な仕事、コストダウンもできるはずだ」(横田長崎造船所長)。組織の壁を崩し、ワンチームになれるか。「現時点で業界再編は考えていない。改革をやり遂げて初めて次の絵を描ける」(大倉執行役員)。改革の行方は、わが国造船業の行く末も占う。
(文=鈴木真央)
日刊工業新聞2015年10月21日 最終面「深層断面」