「むつ」以来のタブーを破り、日本が原子力潜水艦を造るべき深い理由
現在、世界で使われている商業用原子炉はそのほとんどが大型軽水炉である。この炉型は大型かつベースロードで運用し、電力線網で広範囲に送電するという集中型電力システムで低コストを実現してきた。しかし東京電力福島第一原子力発電所事故でリスクの高さを露呈し、安全対策の強化で建設コストが上昇、新設では太陽光風力発電に対して競争力を喪失しつつある。今後は既存原発の運転期間を延長することでコスト上昇を抑えるしかない。大型軽水炉は将来的には小型モジュラー炉にとって代わられるだろう。
軽水炉の弱みは、冷却水の供給が何らかの理由で途絶えることで燃料のメルトダウンを招く点にある。逆に船舶用の動力として使えば、万が一の場合、海中投棄でメルトダウンは防げる。燃料の補充が長期にわたって不要な点で潜水艦、砕氷船、発電バージなどで小型軽水炉は最適である。
日本も原子力船「むつ」を建造し、自前の舶用小型軽水炉を実証したが、放射線漏れを起こし、残念ながら建造路線は放棄された。まずは、むつの失敗を総括するところから始めなければならない。笹川平和財団では北極海航路用砕氷船を前提として勉強会を始めたところである。
関係者の話を伺ったが、むつ建造に関わった複数企業の設計インターフェースの悪さ、海外専門家から放射線漏れの可能性を指摘されながらも十分に検討しなかった建造体制の不備などが問題だったようだ。
笹川平和財団では2017年から18年にかけて、インド洋地域における海洋安全保障に関する日米豪印4カ国専門家会議を開き、政策提言を取りまとめた。記者会見で配られた提言は報道されなかったが、その中に「日本政府はシーレーン防衛のため原子力推進の潜水艦保有を検討すべきではないか」という項目があった。自由で開かれたインド太平洋を海洋安全保障戦略の基本としている4カ国の専門家が一致して原子力潜水艦の必要性を指摘したのは重い。
ポストコロナの中国が南シナ海や東シナ海での軍事活動強化に走り、香港の一国二制度を否定したのは、狙いが台湾併合にあることは明らかだ。今後米中関係がさらに悪化して行く中で、台湾有事も想定せざるを得ない。長期間潜ったまま航行できる原潜が中国海軍の動きを抑えるのに役に立つ。
日本の持つディーゼルとリチウムイオン電池の潜水艦は静音性などに大変優れるが、毎日浮上する必要があり、秘匿性能と航続距離に課題がある。最近、北朝鮮のミサイルを撃ち落とす新型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」計画が放棄された。
敵国領内での基地攻撃の可否が議論されているが、そもそも攻撃を受けた場合、通常型巡航ミサイルでの反撃は攻撃ではなく防御だ。非核巡航ミサイルを装備した原潜による敵の核攻撃抑止も、米国の核の拡大抑止の補完として検討されるべきであろう。
まずは1隻、米国から購入し技術移転、乗員の訓練などのための日米原子力安全保障協力が必要だ。日本に核装備は不要で核兵器禁止条約にも加盟すべきだが、緊張の高まる北東アジアの状況を考えれば、むつ以来のタブーを破り原子力推進の潜水艦建造を検討する必要があると考える。
【略歴】田中伸男(たなか・のぶお)東大経卒、通商産業省(現経済産業省)入省。通商政策局総務課長、経済協力開発機構(OECD)科学技術産業局長などを経て07年に欧州出身者以外で国際エネルギー機関(IEA)事務局長に就任。16年笹川平和財団会長、20年顧問。70歳。