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産学連携で「死の谷」を越える。日本発・半導体素材GaNの可能性

<情報工場 「読学」のススメ#80>『次世代半導体素材GaNの挑戦』(天野 浩 著)
産学連携で「死の谷」を越える。日本発・半導体素材GaNの可能性

青色LEDデバイスを手にしながら講演する天野浩教授(2017年9月)

ノーベル賞受賞理由の青色LED発明の核となったGaN

2000年前後、家庭用テレビはブラウン管から液晶へと一気に置き換わった。奥行きのある「箱」が、当時厚さ5センチ程度の「板」になった衝撃は大きかった。

だがその後、液晶ディスプレイの薄型化・軽量化・省エネ化が、産業界にさらなる大きなインパクトをもたらすことになる。これは、パネルの裏面を照射するバックライトを、蛍光灯の原理で発光するものから白色LED(発光ダイオード)に置き換えることで実現された。

そして、その恩恵はテレビに限らなかった。スマートフォンは、液晶ディスプレイの進化なしには、今のように発展しなかったに違いない。

白色LEDは、青色を含む複数色のLEDを組み合わせて作られる。逆に言えば青色のLEDがなければ白色LEDを作ることはできないのだが、長い間、青色LEDは開発できていなかった。その青色LEDの発明により、2014年、3人の日本人研究者がノーベル物理学賞を授与されたのは、記憶に新しい。このうちの一人、名古屋大学の天野浩教授が著したのが『次世代半導体素材GaNの挑戦』(講談社+α新書)である。

同書において天野教授は、青色LEDの素材であるGaN(窒化ガリウム)が秘める可能性、さらに、日本がGaN研究をリードするための産学連携の必要性などについて語っている。

天野教授によれば、GaNは、IoT(Internet of Things:モノのインターネット)社会を支える産業になり得る。パソコンや自動車など、IoTでネットワーク化されるあらゆる機器には半導体が搭載されているが、その素材は、デジタル演算処理を得意とするシリコンが多い。一方、IoT社会には、(シリコンが不得意な)センサーや、動力源となる機器を動かすためのアナログ素子も不可欠だ。GaNによる素子は、その有力候補なのだ。

また、IoT社会では、あらゆる場所で電気エネルギーが使用されるため、それを安定的に供給するネットワークが必要になる。GaNは、シリコンに比べて素子の電気抵抗による電力損失が小さく、大電力を扱うことも得意なため、エネルギーシステム全体の高効率化を担う半導体素材として期待できるという。

そして現状、GaNの基盤市場における日本の占有率は85%以上だ。だからこそ、GaN研究に本腰を入れて取り組むべきだと、天野教授は力説する。

「研究成果はイノベーションにつなげるべき」という信念

GaNの研究開発に関して、天野教授の姿勢は研究者よりも起業家に近い。同教授には「研究の結果はイノベーションにつなげなければならない」という信念があるからだ。「研究のための研究では意味がない」と言い、人々の生活に役立つ研究に価値を見出している。

もっとも(1)研究成果を出すことと、それを(2)実用化して役立てることとは、別である。日本の現状を考える時、(1)については天野教授は悲観していない。日本の人材レベルと技術開発力は決して世界の中で劣るものではない。論文数の低下がしばしば指摘されるが、減っているのは企業からの論文であり、これは、技術を囲い込むために発表を控える傾向にあるからだという。

問題は(2)である。研究成果が製品に結びつくまでの困難な時期を「死の谷」と呼ぶが、日本は諸外国に比べ、この谷を乗り越える力が弱いとされる。

青色LEDの場合、天野教授らとともに研究開発を進めた豊田合成をはじめ、豊田中央研究所など産業界の強い後押しによって、実用化が一気に進んだ経緯がある。「死の谷」を越えるには、企業の資金、人材、環境などの資源が不可欠であり、「産学連携」が切り札になるのだ。

天野教授らは、産学連携をより推進するために、2018年、名古屋大学内に「エネルギー変換エレクトロニクス研究館」(C-TECs)と、同実験施設(C-TEFs)を開設した。C-TEFsは、世界で唯一、GaNの実験に特化した施設だ。そこではビジネス感覚を持った研究者の育成や、実用化を見据えた開発環境の整備なども進めているという。

SDGsは日本における産学連携の追い風になるか

企業側から、天野教授の産学連携を重視する姿勢はどう映るのだろうか。

天野教授の「研究成果を人々の生活に役立てる」という考え方は、日本企業の経営姿勢と親和性がありそうだ。かつて高度経済成長を支えた大企業の多くは、利益の追求と社会貢献を両立するものとして捉え、本業によって社会に寄与することに存在意義を見出してきたからだ。

また「死の谷」を越えるのに役立つ「長期的視野」は、以前は日本企業の強みとされていた。

たとえば東レは、1970年ごろから、明確な用途が定まらないまま、炭素繊維の研究開発を続け、欧米の素材メーカーが次々と撤退するなかでも事業を継続した。結果、近年では、世界の炭素繊維市場において約4割のシェアを占める。

また、ホンダは1980年代から事業化を目的としないまま航空機エンジンと機体の研究開発を続けてきた。主翼上にエンジンを配置する画期的なデザインで業界トップの性能を実現した小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」の事業化決定は2006年だ。直近では、3年連続の小型ジェット機納入数世界一を誇る。長期的な視野による投資が実を結んだ例である。

もっともバブル崩壊後、日本企業は株主を重視する米国型経営手法に傾斜し、株主の理解を得にくい、短期的に利益に結び付かない研究開発からは手を引く傾向にはあった。ただし、現在は株主が変化しつつある。SDGs(持続可能な開発目標)やESG(環境、社会、ガバナンス)が注目を集め、環境や社会問題への配慮が結果的にリスクを縮小し、長期的には利益に結びつくという考え方が浸透してきたからだ。

そのため、短期的な急成長より、長期的な持続的成長を重視する経営や研究開発に、理解が集まり始めている。日本企業にとっては、かつて強みといわれた長期的視野を取り戻す絶好のタイミングではないか。

そう考えると、事業化までには忍耐のいる大学の研究開発を、産業界の資源が支える産学連携の構図は、今後広まっていくかもしれない。天野教授によるGaNを素材とする次世代半導体研究には大いに追い風になろう。(文=情報工場「SERENDIP」編集部)

『次世代半導体素材GaNの挑戦』 -22世紀の世界を先導する日本の科学技術 天野 浩 著 講談社(講談社+α新書) 192p 880円(税別)
情報工場 「読学」のススメ#80
冨岡 桂子
冨岡 桂子 Tomioka Keiko 情報工場
天野教授は、2014年にノーベル物理学賞を同時受賞した赤﨑勇氏とともに、当時の青色LED開発研究で主流ではなかったGaNにこだわり抜いて快挙を達成したという。その後、さまざまな用途の可能性が明らかになったGaNだが、「水の殺菌」にも役立つのをご存じだろうか? GaNとその仲間である窒化アルミニウム・ガリウムを使うと、紫外光よりさらに波長が短い深紫外光のLEDができ、それが水中の細菌やウイルスの増殖を抑えるのだそうだ。今後、どんな産業でGaNが活躍するのか、楽しみにしていたい。

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