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新進気鋭の小説家・大前粟生が生み出すオリジナルの正体

「目からビームが出ても、登場人物として生きていく」

Twitterやnoteなど、様々なSNSの普及により、個人が気軽に文章発信できる現代。創作の場に溢れ、多様な表現方法も自由に選択できる中で、私たちの周りには数々の言葉が飛び交っている。その膨大な文章や情報の中に、読む人の記憶に残り続けるものはどれほどあるのだろうか。

タイムラインでふと目にした小説家・大前粟生氏の短編作品『ビーム』。

『ビーム』
妹の右目からビームが出て止まらない。流星群の日に、ふたりで「かっこよくなりたい」と流れ星にお願いをしたからだ。救急車を呼んだけれど、「手立てはない」と医者はいう。仕方がないので、私は妹の右目を手で押さえつづけている。いったいどういうわけか、私の手だけが妹のビームを抑えることができる。私たちは離れることができない。病院から帰ってしばらくはこうやって生活の練習をする。 
………

冒頭の一文から流れるような展開で、まるでミステリー小説のように読む人の好奇心を刺激していく。こうしたオリジナルな発想の連続は、簡単に作り出せるものではないはずだ。創作のアイデアや唯一無二の感覚を探るべく、著者の大前粟生氏に話を聞いた。(取材・梶田麻実)

創作で楽になる

―小説を書き始めたきっかけは。

「大学在学中の就職活動に疲れた時に、なにか創ればきっと気が楽になると思い、手軽に取りかかれるという理由から、小説を書き始めました。はじめは就活生をテーマにした短編などをブログにアップしながら、一日一作品ペースで創作する生活でした。SNSで宣伝をするわけでもなく、ただただ書くことが楽しかったので、ひたすら書き続けていました」

  ―なぜ、短編ばかり書くのですか。

「小説の読み書きにも体力を使います。自分自身に体力がないので、短いほうがいいという単純な理由で選びました。普通に生活をしているだけでも、結構疲れますよね。短編であれば自分も書きやすく、みんなにも読んでもらいやすいと思っています」

  ―作家デビューの経緯を教えてください。

「小説を書き始めて一年、小説で食べていくために新人賞を探しましたが、あるのは中編や長編小説の募集ばかりでした。そんな中で、文芸誌『GRANTA JAPAN with 早稲田文学(※)』による短編小説の公募を見つけ、すぐに応募しました。2ヶ月間、何度でも応募ができ、毎週審査が行われ、一週間後には結果が出るという早いスパンの選考スタイルでした。毎週のように送り続けていると、『彼女をバスタブに入れて燃やす』という作品が最優秀作に選ばれ、商業誌デビューが決まりました」

  ※『GRANTA with 早稲田文学』は、1889年にイギリスで創刊され、世界各地で発行されている文芸誌『GRANTA』と、1891年に坪内逍遥によって創刊された『早稲田文学』のコラボレーションによって生まれた文芸誌。

  ―創作活動を仕事にしてみて、どうでしたか。

「2016年2月に受賞後、同年4月に発刊した文芸誌『たべるのがおそい』の短編小説の公募に応募し、『回転草』という短編作品が掲載されました。その後も雑誌などに作品を何点か発表しましたが、コンスタントに仕事の依頼が来るわけでもなく、仕事が途切れてしまう不安はありました」
 「それでも小説を書く生活を続けていると、出版社・書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)の編集者さんから、単行本化のお話をいただき、2018年6月に単行本の短編集『回転草』を発行しました。紙の本が出ていることで名刺代わりにもなるようで、そこから仕事の依頼も増えていきました」

回転草
静まりかえった西部で寂れた酒場がセピア色に変色している。酒場の前の通りでふたりの男が違いに背を向け歩き出す。一歩、一歩、無言で距離をとる。時間が止まった音がする。額から汗が滴る。息をする音が漏れると、男たちは振り向きながら腰から銃を抜き、撃つ。一瞬の後、ひとりが再び振り返り、荒野に向かって歩き出す。残されたガンマンは立ち尽くすが、数秒後膝から崩れ落ちて、地面に倒れる。乾いた熱風が吹き、西部劇お馴染みの絡まった球体の枯れ草――僕だ――が虚しく広がる。 
………

植物に感じるシンパシー

―作品には、植物がよく出てきますね。

「植物は、生き生きとしているのに、枯れてしまう未来が待っています。いつ死ぬかわからない中で生きていて、短い時間のなかに廃れてしまう恐怖や虚しさを内包しているところに、シンパシーを感じています。単純に見た目が好きというのもありますけど」

―装丁にもこだわりを感じます。

「イラストレーターの惣田紗希さんの絵が好きで、人間と植物が絡まっている世界観が『回転草』の内容とマッチしていると感じ、依頼しました。装画だけではなく装丁まで担当してもらい、2019年3月に出版した短編集『私と鰐と妹の部屋』でもお願いしています」

  ―オリジナリティあふれる作品ばかりですが、創作手法について教えてください。

「まず最初の一文を思い浮かべ、その設定に沿うように、登場人物を投下します。起きた現象から次の文章を書き、周囲の環境を明らかにしていきます。はじめの一文に対し、自分なりの合理的な判断で次の一文を繋げ、最後まで書き上げているため、書き出しにはまず、作品のテーマや結論らしいものを置いています」

『へそのごま』
しらべちゃんはへそのゴマを取るのが好きだった。授業中、しかめ面でTシャツをまくり上げて、かちかちかちかちと伸ばしたシャーペンの芯を使ってしらべちゃんはへそのゴマを取っていた。しらべちゃんと私たちが通っていた小学校ではシャーペンを持ってきてはいけなかった。鉛筆しか使ってはいけなかった。私たちもシャーペンを使いたかった。シャーペンは大人っぽかった。しらべちゃんはずるかった。私たちは嫉妬していた。
………

「例えば、最初の一文で“しらべちゃんはへそのゴマを取るのが好きだった”と書いたら、次に、どういう状態で何を使って取っているのか、と考えていきます。書き出しの文章を成立させる環境を作るために文章を連ね、その環境下でのリアクションを自分なりに表現します。前の文章がクイズになっているような感覚なんです。どの作品も30分~1時間程度で仕上げています」

常識を気にしない

―小説を書き始めて、変わったことは。

「様々な小説を読むようになりました。すると、好き嫌いが出てくるわけですが、常識をもとに登場人物を入れ込んでいたり、“この人物は常識とは違う考え方をしている”といったエクスキューズを入れて説明するような小説が好きではないと感じたんです。自分が小説を書くときには、『嫌いな小説のようにならないようにしよう』という意識があるので、常識を気にしなくなりましたね。常識の中で恐怖とされているようなことも、あまり真に受けずに、面白がれるようになりました」

―なにが起きても不思議じゃないと。

「小説で書いていることが、現実では決して起こり得ないことだとは思っていないんです。もし人の目からビームが出たら、それは起こったこととして、どう向き合うかを考えていきます。現実世界で起こらないようなことばかりを書いてはいますが、小説の中では実際に起きていることです。現実と妄想の区別はしていますが、頓着はなくなっていますね。明らかにモラルに反するようなこと以外は、『なにが起きても別にいいかな』、という気持ちでいます」

―ある意味、現実的ですね。

「これもフィクションを書くようになったからかもしれません。登場人物の身になにが起きても(目からビームが出ても、家族が斧になったとしても)、登場人物として生きていかないといけないですよね。そうなってしまった環境における生活を描いています」

―言葉を楽しんでいるような印象を受けます。

「実は、言葉は苦手です。言葉でコミュニケーションをとって、相手と完全に理解しあうことはないと思っています。言葉を使う以上、すれ違うことしかできない中で、なんとか妥協点を見つけてコミュニケーションするしかありません。言葉は簡単に人を傷つけますし、ネガティブな言葉があれば、どんどん自分の状態が支配されてしまうこともあり、歯がゆく感じています」

―とても意外です。言葉が苦手なのに、小説を書くんですね。

「一人で小説を書いているので、作品の中で思い通りのコミュニケーションを成立させているかもしれません。小説の中には、本当は喋らないでいたいけれど、言葉やコミュニケーションが存在しているのでどうしたらいいかわからず、一人で傷を抱えている登場人物が多いです。短編集『私と鰐と妹の部屋』では、黙ってしまう選択肢を選ぶ人物もよく登場します。そして最後に孤独になったり、自分と似たような相手と二人でありながら一人でいるような状態になっている作品が多々ありますね」

―どの作品の主人公も、どこか心の拠り所を必要としている感じがします。
『私と鰐と妹の部屋』
………
相変わらず鰐はいて、私は噛まれない距離から話しかけた。どこからやってきたの? 親は? 名前はなにがいい? 名前って自分でつけたいよね。私も私の名前は私が決めたかった。そしたらさあ、アクマとかにする。ふふ。私の名前はアクマ。試験管から生まれたアクマです。私ってクローンなんですよね。ふふふ……どんな話も鰐は黙って聞いてくれた。鰐には私の話や妹の話をし、家に帰ると、妹には私と鰐の話をした。
………
『石の動画』
………
石の動画を見ると落ち着く。小さい頃、さびしくてたまらなくなった僕に、家族のだれかが石の動画を見せる。展示質のような、四角くて真っ白い、部屋らしき場所に、石がひとつ置かれている。どこにでもありそうな石だ。カメラは石の近くの床に置かれている。石が映っている。それだけだ。何ひとつ微動だにしない。何が起こるわけでもないのに、再生回数はすごくて、何年もの間ライブ中継されている。その動画を見ていると、僕は泣き止む。
………

「人は何かしら依存するものがあると楽になります。それは人によって、アイドルだったり、仕事だったり、ギャンブルやお酒かもしれません。本の登場人物たちは、それがたまたま鰐だったり、石の動画だったりします。一方的にコミュニケーションさせてくれる存在に対して、依存している気がします」

「私も小説を書くことには依存しているかもしれませんね。なにかしら、集中できることや、夢中になれるものがあると、生活は楽になりますよね」

―ところでこれから挑戦したいことは。

「現実の多くの人が抱えている心の辛さを基準にして小説を書いていますが、現実が酷くなれば、書く作品も酷さに反応してしまいます。それでは自分の身が持たないので、どこかでユートピアのような、楽しいだけの小説を書きたいと思っています」

大前粟生(おおまえ・あお)
【略歴】92年生まれ。小説家。京都市在住。同志社大学文学部卒業。著書に、短編小説集『回転草』『私と鰐と妹の部屋』(ともに書肆侃侃房)、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(河出書房新社)がある。

<新刊発売中>
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』

“男らしさ”“女らしさ”のノリが苦手な大学2年生の七森。こわがらせず、侵害せず、誰かと繋がりたいのに。ぬいぐるみと話すサークル“ぬいサー”の、生きにくく、どうしても鈍くはなれない若者たちの物語。鋭敏な感性光る小説4篇。

日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
ぼんやりと眺めているタイムラインでも、実はたくさんの情報を頭に取り込んでいます。自分が疲れていることにちゃんと気づいていますか。休息は大切です。ふと旅に出て、緑豊かな景色を見ると癒やされるように、常に自然体で、目の前の出来事に真摯に向き合う大前さんの言葉に触れ、心がすっと楽になりまました。

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