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平安時代から新天皇まで変わらない、重要な場面で着る袍の色は?

おすすめ本の本文抜粋『天然染料の科学 (おもしろサイエンス)』(青木正明・著)
平安時代から新天皇まで変わらない、重要な場面で着る袍の色は?

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 櫨(はぜ)は南関東以西に自生するウルシ科の落葉樹です。秋になると紅葉し山々を美しく彩ります。彩るのは季節の景観だけではありません。櫨は我が国最高位の色のひとつにも使われる極めて重要な染料植物なのです。
 櫨は昔「はじ」と発音されていました。弾力のある材質で古事記に「波士弓(はじゆみ)」の記述があるように、古来、和弓の芯材として使われ、弓をはじく、から、その名が付いたと言われます。正倉院文書には「波自加美(はじ紙)」として写経用紙の染めに使われたと考えられる記録が残っており、弓にだけではなく昔から染めにも使われていたようです。
 しかし、9世紀に入り様相が変わります。820年、嵯峨天皇により次のような詔が出されます。

朔日受朝、日聴政、受蕃国使、奉幣及大小諸会、則用黄櫨染衣。

 自分はいろいろな公式の場において櫨で染めた衣を着用する、と宣言するのです。これは日本の歴史上初めて天皇が自分で衣服の色に関して言及する記録でして、これ以降、重要な場での天皇の袍(ほう、装束の一番上に着るもの)は黄櫨染(こうろぜん)の色となります。現在も大嘗祭での新天皇の袍は黄櫨染御袍です。
 延喜式縫殿寮の37色のレシピ集では黄櫨染が一番目に記されており、綾1疋につき櫨14斤と蘇芳11斤を使用するとなっています。櫨だけで染めると少し山吹色を感じる黄色になります。それと蘇芳を染め重ねるので、仕上がりは複雑な茶味の色になります。黄櫨染の色目と延喜式に記載の蘇芳に関しては興味深い話題があるのですがそれはまた別の機会に譲るとしまして、この時代から櫨は特別な染料植物となるのです。紅花でさえ庶民の染め色となった江戸時代の町の染め屋に関する文献を調べても、櫨染めに関する記述が見当たらないこともその証左だろうと思います。

 ところで、櫨には和名(分類学上の呼称)でヤマハゼとハゼノキという2つの品種があります。ヤマハゼは日本原産、ハゼノキは大陸南方もしくは沖縄から16世紀ころに移入したものとされています。ハゼノキは実から上質な蝋(ろう)が採取でき和ろうそくの材料になるため、江戸時代に九州や四国の諸藩が植樹を奨励し広まります。平安時代にはハゼノキは国内にはなく、ハゼノキで黄櫨染を染めても正しい色ではない、という説もあります。ただ、現在国内のヤマハゼはハゼノキと交雑している可能性も高く、その色差を確認することが大変難しい状況と筆者は考えています。

 

 櫨の主な色素はフィセチンというフラボノール類です。ただ、大分大学の都甲由紀子准教授との共同研究では、櫨による染色で繊維にフィセチンが定着しても色相は濃くならなかったため、櫨の染め色には他の要素が関わっている可能性があると考えています。櫨には他にも様々な色素が含まれています。それらが我々の窺い知れぬ世界で複雑に絡み合うことであの高貴な色が染め上がるのかもしれません。(第3章「色ごとにみる天然染料」P104-105より)

書籍紹介
天然染料の科学 (おもしろサイエンス)
青木正明 著、A5判、160ページ、税込1,728円

染まる仕組みなど天然染料を科学的に解説しながら、歴史的・文化的背景に紐付けた一冊。「そうだったの!?」という驚きや、「誰かに話したいっ」と思わせるテーマがたくさん詰まっています。

著者紹介
青木正明(あおき・まさあき)
天然色工房tezomeya 主宰
http://www.tezomeya.com
1991年 東京大学医学部保健学科卒業、株式会社ワコール入社。スポーツアンダーウェアなどの企画業務に携わる。2000年 株式会社ワコール退社後、株式会社益久染織研究所に勤務。天然染料を含めた染色業務全般を受け持つ。2002年 株式会社益久染織研究所退社、天然色工房tezomeyaを開業。2009年 京都造形芸術大学美術工芸学科非常勤講師を兼任。
天然染料のみで染めたアウターウェアブランドtezomeyaを2002年に立ち上げ、オーガニックコットン、吊編み機、力織機風織物などの素朴なテキスタイルに複雑で優しい草木の色目を乗せた、シンプルで飽きのこないデザインと風合いの服作りで好評を得る。オリジナルウェア染色の傍ら個人の衣類を預かり染める「注文染め」も手掛け、これまで3000着以上の服を天然染料でよみがえらせている。その他にも和装用着尺、各種工芸織物用絹糸などの注文依頼もこなしている。染色手法は、古文献の調査研究と科学的アプローチによる両面から確立。天然染料に関する手法研究と実践から得た技術・知識を国内外でのワークショップや講演で公開し、天然染料の普及に努めている。

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目次

第1章 ちょっと化学な天然染料の入り口
糸、布、繊維ってなに? なぜ染まるの? ─とてもお手軽な染色概論 その1─
草木はなんでも染まる? 植物が染料になる理由 ─とてもお手軽な染色概論 その2─
シルクとコットンでは染まり方が全く違う! ─とてもお手軽な染色概論 その3─
天然染料と金属のカンケイ ─天然染料独特の工程、媒染のお話─
ひと筋縄ではいかない天然染料たち ─媒染ではなく他の作用で色濃く染まる草木─
ところ変われば色変わる ─生育環境に左右される天然染料の色目─

第2章 歴史と文化からみる天然染料
人が染色を始めたのはいつ頃? ─先史時代から使われていた天然染料─
シーザーもクレオパトラも愛した貝紫 ─古代地中海世界を虜にした動物染料─
古代中国と日本のミステリアスな紫事情 ─東アジアに貝紫はあった? なかった?─
ジャパンブルーに隠された意味 ─とても珍しくて、とてもメジャーな藍─
昔は藍だった紅花 ─シルクロードの国々を虜にした歴史─
紅花は平安貴族の無駄遣いの元凶だった? ─唯一無二の赤を染めた貴重な染料─
江戸時代にはすでに謎だった古代の染め ─最高の染色技術を誇った古代の染め師─
温泉で作られた江戸時代の媒染剤 ─別府温泉とミョウバンの話─
「ブラジル」は天然染料がルーツだった! ─新大陸進出と天然染料の深い関係─
染色体をきれいに染める天然染料 ─化学染料にも負けなかったログウッド─
若き化学者パーキンの失敗から生まれた成功 ─化学染料発明の物語─
化学者とファーブルと茜と藍の物語 ─天然色素の発見と合成競争の攻防─

第3章 色ごとにみる天然染料
赤色① 根っこが赤い茜
赤色② 日本にはなかった蘇芳
赤色③ 酸とアルカリを駆使する紅花
赤色④ 虫で染める赤、カイガラムシ
青色① 酸化と還元で染まる藍1
青色① 酸化と還元で染まる藍2
青色① 酸化と還元で染まる藍3
青色② 秋限定の透明な青、臭木

第4章 薬、医学、環境問題と天然染料
黄蘗は昔の万能薬 ─ベルベリン─
今も医療現場で利用される紫草 ─シコニン─
色よりも褪色と薬効が重宝された鬱金 ─クルクミン─
ヒトの体内にもある藍の元 ─インジゴとインドール─
天然染料と持続可能な社会について

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