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三菱自動車のガバナンスは一体誰の手に?

「指名委員会等設置会社」に移行も
 三菱自動車は9日、「指名委員会等設置会社」に移行すると発表した。6月下旬に予定する定時株主総会で、移行に必要な定款変更をする。承認されれば、国内の自動車メーカーでは初めてとなる。取締役会への監督機能を強化し、コーポレートガバナンス(企業統治)の透明性を確保するのが狙い。

 同日の決算会見で益子修会長兼最高経営責任者(CEO)は「グローバルで戦うために、ガバナンス体制を整える」と語った(写真)。人選など詳細は今後詰める。取締役の選任や解任議案を決める「指名委員会」や取締役の報酬を決める「報酬委員会」を設置し委員の過半数を社外取締役から選任する。

 三菱自と提携関係にある日産自動車も元会長のカルロス・ゴーン被告の逮捕を受けて、指名委員会等設置会社への移行を進めている。

日刊工業新聞2019年5月10日



日産はルノーをけん制


 日産自動車は、6月下旬開催の定時株主総会に向け準備を急ぐ。取締役の過半を社外取締役にし、「指名委員会等設置会社」へと移行するガバナンス(企業統治)改革を株主に諮る方針で、前会長カルロス・ゴーン被告が率いた旧体制から脱却する節目になる。一方、4月中旬には筆頭株主の仏ルノーが日産に経営統合を提案した。ルノーは“ゴーン後”も日産への主導権を維持したい考えとみられ、その言動は日産の新体制構築の波乱要因になりかねない。

 日産はガバナンス不全がゴーン被告の不正を許した要因の一つとみる。外部有識者らをメンバーに設置した「ガバナンス改善特別委員会」が3月末にまとめた提言に沿って改革を進める。

 具体的には統治形態を現在の「監査役設置会社」から指名委等設置会社に移行するほか、取締役を11人程度にし、そのうち過半を社外取(従来は計9人のうち社外取は3人)にする計画。6月の定時総会で決議し7月から新体制に移る方針。

 焦点は取締役候補の人選だ。現在、社外取3人をメンバーとする暫定指名委員会が候補者を絞り込んでいる。ここにルノーが介入する懸念がある。

 かねてルノーは筆頭株主の仏政府の意向もあり日産との関係強化のため経営統合を望んできたが、日産は反対してきた。連合を率いたゴーン被告の退場で両社の意見対立が表面化し、一時は主導権争いが激化した。

 ただ両社は「連合関係を維持していく方向性では一致」(日産関係者)しており、安定化に取り組んできた。12日には、三菱自動車を含めた3社連合首脳による新たな合議体の初会合をパリで開き門出を祝った。

 しかしスナール氏はこの日と前後して西川広人日産社長兼最高経営責任者(CEO)に経営統合を打診した。「やっと落ち着きを取り戻してきた」(同)という連合を再び揺らす提案を持ちかけた狙いは何なのか。日産の定時総会後の新体制でも支配力維持を狙うルノーの思惑が透ける。

 実際にスナール氏は経営統合の提案と合わせてルノーのティエリー・ボロレCEOを日産の取締役とすることや、ルノー出身者を最高執行責任者(COO)以上のポストに就任させるよう求めた。統合推進派を送り込み統合への地ならしを進める考えとみられる。

 日産は23日、5年半ぶりにCOO職を復活させ山内康裕チーフ・コンペティティブ・オフィサー(CCO)を充てる一方、ルノー出身のクリスチャン・ヴァンデンヘンデ氏が新設の副COOに就く人事を発表した。COO以上のポストを狙うルノーを事実上けん制した格好で、両社の緊張が高まる可能性がある。

 日産は5月中旬には取締役候補など定時総会の議題を固める予定。それまでにルノーから次の矢が放たれるのか。ある政権幹部はこう身構える。「日産のガバナンス改革に水を差すようなことがあれば、それは政府として対応しないといけない」。

日刊工業新聞2019年4月26日



ダイムラー時代「空白の4年」


 空白の4年―。ある三菱自動車関係者はダイムラークライスラー(DC)傘下の期間をこう振り返る。親会社が再び三菱グループに戻ったことで、三菱自は今、DCが残したさまざまな“遺産の処理”に明け暮れる。DCの功罪はなんだったのか。

 DCが資本参加したのは00年。当初計画では07年度に子会社化する方針だったが、再建がなかなか進まない三菱自に業を煮やし、04年4月には三菱自が要請していた追加出資を拒否、事実上経営権を手放した。昨年11月には保有していた三菱自全株を売却、資本関係は完全に解消されている。

 三菱自を支配したのはわずかな期間ながら、DCという強い“原色”は、淡い三菱色をすっかり塗り替える。三菱自はDCの世界戦略の中に組み込まれ、「DCにとっての最適という前提で事業が進められた」(社長の益子修)。資本の論理の前に、三菱自の独自性は完全に消えうせた。駆け足で通り過ぎていったDCが残したものはなにか。

 「全体的にDCの文化が残っており、日本人の良さが失われている」。三菱重工業から招へいされた副社長の春日井霹は生産現場を視察し、こう実感する。「コストに関係なく、『指示された台数を時間通りに出荷すればよい』との考えが広がっている。改善活動を実施し、損益の責任を感じ、採算責任を自覚しなければならない」(春日井)。重工時代、不振の工作機械事業を立て直した実績のある春日井だけに、まずは現場の意識改革から着手していく考えだ。

 DC流を否定する動きも出始めた。開発におけるデザインの変更だ。象徴的なのが24日発売する新型軽自動車「i(アイ)」。当初予定していた“外見”は変わっている。

 DCが派遣した前デザイン本部長が想定したコンセプトは「丸くてかわいらしいクルマ」だ。自動車の顔である前まわりや後まわりで「丸み」を強調したクルマになるはずだったが、親会社の異動に伴いデザインは、「三菱自らしいシャープな形」(常務の相川哲郎)に急きょ変更。05年10月に発売した「アウトランダー」も、DCが志向したエレガントさから「すっきりとしたシャープなデザイン」(同)に手直しされヒットに結びついている。商品づくりでは徐々に三菱自らしさを取り戻しつつある。

 「当時としてはベストの選択だったのでは」(益子)といわれるDCとの提携劇。日産自動車がルノーの傘下に収まり、富士重工業やスズキはゼネラル・モーターズ(GM)と提携するなど業界再編が一気に加速していた時期にあたる。

 国際的な“再編地図”を描く際、取り残されていた三菱自にとってDCの登場自体は“功”であったものの、4年後には”罪“に帰結した原因は、あまりにもDCの拡大戦略に振り回されたことだ。「三菱自の最適化を考えると商品やマーケティング戦略でDC時代とは異なって当然なこと」(益子)。三菱自は今、DCの“忘れ物”を処理するため欧米流から日本流マネジメントへの揺り戻しの時期にある。

コーポレートガバナンスは日本人が


 「5万台ぐらいは、すぐにでも売ってみせる」―。社長の益子修は不振の北米事業についてこう豪語する。しかし、こう続ける。「それは三菱自動車の将来にとってまったく意味のない行為。問題の先送りだ」。

 銀行では預かり資産規模が、コンビニエンスストアだと店舗数がといった具合に、それぞれの業界には企業の実力を示す“ものさし”がある。自動車業界でいえば販売台数。世界でどれだけ売ったかが自動車メーカーの強さの証だが、なぜ三菱自は北米で数字を追わないのか。そこにはちゃんとした理由がある。

 三菱自にとっての北米事業は経営難に陥った元凶の一つ。“量”を求めたダイムラークライスラー(DC)の指示のもと、三菱自はなりふり構わない拡大戦略に打って出た。「頭金なし・利息なし・6カ月間返済なし」という「ゼロ・ゼロ・ゼロ」キャンペーンは一時的な販売台数の増加をもたらしたが、あとに残ったものは販売債権の不良債権化だ。「支払い能力のない顧客を大量に作り出しただけ」(幹部)。販売金融の巨額損失の原因はここにある。

 フリート(法人)販売の強化も傷口を広げる。中古車市場に三菱車が大量に出回り、中古車価格は大幅に低下。中古車価格の下落は新車販売に悪影響を与え、今度は多額のインセンティブ(販売奨励金)の投入を余儀なくされた。“負のスパイラル”。量を追求した戦略は、三菱自本体の屋台骨を揺るがした。

 北米事業の抜本的な見直しを迫られる三菱自は、量の戦略を封印することで再生への糸口を模索し始めた。益子は「地道な施策を実施していくしかない」と語り、今を「我慢の時期」と位置づける。

 販売の正常化に向け取り組み始めたのが販売チャンネルの再編。560店の販売店のうち不採算店の180店を削減する。販売店といってもほとんどは地元のオーナーが経営しているため、一方的な契約解除はできない事情もあるが、近隣する販売店との経営統合や経営権の譲渡などを促す。

 すでに30店との契約を解消、「年央までには再編のめどが立つ」(益子)。この1月から北米子会社に社長として派遣された春成敬は「真っ先の仕事は不採算店の見直し。半年をかけて1店1店、話し合いを持ちたい」と、チャンネル再編に意欲を示している。

 本人だけでなく周囲も「驚いた」という春成の派遣は、販売の正常化だけが目的ではない。三菱自本社による現地法人のコントロールが最大の目的。“大きな政府"を目指すものだ。

 DC傘下の時代、現地法人をまったくコントロールできず、巨額な損失を招いた苦い経験から、子会社を直接、本社の管理下に置く。「ローカルオペレーションは現地に任せても良いが、コーポレートガバナンスは日本人が実施すべきだ」(副社長の春日井霹)。リスクマネジメントへの意識も芽生え始めている。

 自動車メーカーの主戦場である北米市場。三菱自は、はやる気持ちを抑えながら、愚直かつ地道な手法で再建を進める。愚直こそ王道である。
(敬称略)
※肩書き、内容は当時のもの

日刊工業新聞2006年1月

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