自動運転の利用拡大は「リテラシー」が鍵を握る
連載・自動運転、乗り越えるべき壁(下)
自動運転車の実用化には社会受容性の評価が課題だ。自動運転といっても自家用車の渋滞時追従機能や自動ブレーキ、商用車の隊列走行機能などさまざまな形態がある。それぞれ利用シーンが限定され、自動運転という言葉が想起するイメージとはギャップがある。このままでは社会受容性さえ計れない。実用化が目前に迫るなか、リテラシーの醸成が必須だ。技術と社会が共に進化する超スマート社会「ソサエティー5・0」の実現が必要だ。
「自動運転は最も具体的で差し迫った課題だ」と科学技術振興機構研究開発戦略センターの有本建男上席フェローは強調する。自動運転はどの程度の安全性があれば社会は受け入れてくれるのか、5年近く議論したものの、答えは出ていない。安全性によって利用シーンは制限されるが、安全性をどの程度求めるべきか、社会的な合意形成は道半ばだ。
内閣府が支援する戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)の葛巻清吾プログラムディレクター(PD、トヨタ自動車先進技術開発カンパニー常務理事)は、「自動運転といっても千差万別。自家用車の運転支援技術から、限定地域の低速移送サービスまで、さまざまな形で世に出て行く」と指摘する。
自動運転といえば自動で走る車を思い浮かべるが、実態はさまざまな限定条件の中で運用される。バスやトラックなどの商用車では、歩行者の安全を保障できる管理エリアでの低速自動運行や、白線誘導による自動正着技術、前のトラックに追従する追従機機能や隊列走行が実用間近だ。
一般向けの自家用車でも、追従走行機能に自動車専用道や渋滞時などの限定条件が設けられる予定だ。自動運転機能を使える範囲領域「運行設計領域(ODD)」は、空間や車速、天候などの複数の条件に左右される。
この多様な条件ごとに消費者の求める安全性を測ることは極めて難しい。だが、製造物責任法(PL法)の争点になる消費者期待基準がどこにあるのか見定めなければ、訴訟リスクの見積もりすらできない。
従来の新技術は事故が起きてから裁判を通して判例を積み上げることで、期待基準がかたまってきた。中川法律経営事務所(名古屋市中区)の中川由賀弁護士(名古屋大学客員教授)は「自動運転は技術の進化が速い。ODDも段階的に広がっていく。判例の蓄積を待っていては追いつかない」と懸念する。
そもそも現状では自動運転の社会受容性はまともに測れていない。自動運転は米ITベンチャーなどの派手な宣伝もあり、自動化で事故がなくなるといった極端なイメージが根強い。自動運転基準化研究所の河合英直所長は「残念ながら現状は消費者が過剰な期待を抱いている」と指摘する。
技術が過信される前提で製品を世に出す場合、過信されても事故が起きないように利用は保守的に設計する。しかしシステムとしては自動化レベルにかかわらず、高度なセンシング機能と認識機能、そして判断機能が必要だ。そのため車両の機能自体は十分なポテンシャルがありコストもかかるが、利用シーンは制限される。
機能はあるが使えない―。このギャップは過剰評価と過小評価の双方を起こしかねない。販売会社で自動ブレーキの誤使用を販促時に勧め、事故が起きてしまったケースは有名だ。カーナビゲーションシステムのテレビ機能は走行中も視聴できるように不正改良が広がった。
自動運転の実力に対する正しい理解が広まらないと利用シーンも広がらない。リテラシーが醸成されない状況で悲惨な事故が起きてしまえば、安全要求は格段に跳ね上がる。リテラシーと社会受容性、利用シーンの拡大は不可分であり、将来の社会課題になる。
そのためSIPでは14年からの5年間、市民との対話イベントを定期的に開いてきた。一般の大学生や自動運転の技術者、メーカーの法務担当者などを集めて、等身大の自動運転技術について議論を重ねている。
参加者間では過信や不信を除く効果があり、普通の大学生でも技術や法制度、倫理面の課題を共有できることは示せた。ただ社会全体への波及を考えると、容易ではない。
SIP推進委員会の清水和夫構成員・国際自動車ジャーナリストは、「スマートフォンの登場で社会や価値観が変わったように『自動運転で社会がこう変わる』とビジョンを示す必要がある」と力を込める。
そこで自動運転の形態ごとに、社会受容性を計る技術や社会科学手法が注目される。
現状ではODDが更新されて広がる度に、丁寧なユーザー教育が必要だ。ドライブシミュレーターなどでユーザーが機能の限界を理解し、どこまで実践できるかは計ることはできる。この理解度に応じてシステムに求める安全性を問えば、社会の要求を定量化すると同時に、ドライバーに自身の責任範囲を念押しできる。そして運転中のデータを集めれば、その実行性を追跡できる。
こうして集めたデータは事故時の責任配分を決めるのに役立つだけでなく、社会として新技術を運用できるか、現実的な消費者の期待基準がどこにあるか見定める材料になる。
例えば、あおり運転による事故でドライブレコーダーが普及してデータが増えると、想像以上に危険なあおり運転が多いことを社会は認識した。これがドラレコの普及を加速させた。ユーザーを巻き込んで現実社会を観測する取り組みは規模を拡大しやすく、リテラシー醸成につながる。
日本は技術と社会が共に進化する「ソサエティー5・0」をつくれるのか、自動運転の安全と社会受容性はその試金石になる。
(文=小寺貴之)
大きなギャップ 安全性で利用範囲制限
「自動運転は最も具体的で差し迫った課題だ」と科学技術振興機構研究開発戦略センターの有本建男上席フェローは強調する。自動運転はどの程度の安全性があれば社会は受け入れてくれるのか、5年近く議論したものの、答えは出ていない。安全性によって利用シーンは制限されるが、安全性をどの程度求めるべきか、社会的な合意形成は道半ばだ。
内閣府が支援する戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)の葛巻清吾プログラムディレクター(PD、トヨタ自動車先進技術開発カンパニー常務理事)は、「自動運転といっても千差万別。自家用車の運転支援技術から、限定地域の低速移送サービスまで、さまざまな形で世に出て行く」と指摘する。
自動運転といえば自動で走る車を思い浮かべるが、実態はさまざまな限定条件の中で運用される。バスやトラックなどの商用車では、歩行者の安全を保障できる管理エリアでの低速自動運行や、白線誘導による自動正着技術、前のトラックに追従する追従機機能や隊列走行が実用間近だ。
一般向けの自家用車でも、追従走行機能に自動車専用道や渋滞時などの限定条件が設けられる予定だ。自動運転機能を使える範囲領域「運行設計領域(ODD)」は、空間や車速、天候などの複数の条件に左右される。
この多様な条件ごとに消費者の求める安全性を測ることは極めて難しい。だが、製造物責任法(PL法)の争点になる消費者期待基準がどこにあるのか見定めなければ、訴訟リスクの見積もりすらできない。
従来の新技術は事故が起きてから裁判を通して判例を積み上げることで、期待基準がかたまってきた。中川法律経営事務所(名古屋市中区)の中川由賀弁護士(名古屋大学客員教授)は「自動運転は技術の進化が速い。ODDも段階的に広がっていく。判例の蓄積を待っていては追いつかない」と懸念する。
そもそも現状では自動運転の社会受容性はまともに測れていない。自動運転は米ITベンチャーなどの派手な宣伝もあり、自動化で事故がなくなるといった極端なイメージが根強い。自動運転基準化研究所の河合英直所長は「残念ながら現状は消費者が過剰な期待を抱いている」と指摘する。
技術が過信される前提で製品を世に出す場合、過信されても事故が起きないように利用は保守的に設計する。しかしシステムとしては自動化レベルにかかわらず、高度なセンシング機能と認識機能、そして判断機能が必要だ。そのため車両の機能自体は十分なポテンシャルがありコストもかかるが、利用シーンは制限される。
機能はあるが使えない―。このギャップは過剰評価と過小評価の双方を起こしかねない。販売会社で自動ブレーキの誤使用を販促時に勧め、事故が起きてしまったケースは有名だ。カーナビゲーションシステムのテレビ機能は走行中も視聴できるように不正改良が広がった。
技術と共に進化 社会全体で基準作り
自動運転の実力に対する正しい理解が広まらないと利用シーンも広がらない。リテラシーが醸成されない状況で悲惨な事故が起きてしまえば、安全要求は格段に跳ね上がる。リテラシーと社会受容性、利用シーンの拡大は不可分であり、将来の社会課題になる。
そのためSIPでは14年からの5年間、市民との対話イベントを定期的に開いてきた。一般の大学生や自動運転の技術者、メーカーの法務担当者などを集めて、等身大の自動運転技術について議論を重ねている。
参加者間では過信や不信を除く効果があり、普通の大学生でも技術や法制度、倫理面の課題を共有できることは示せた。ただ社会全体への波及を考えると、容易ではない。
SIP推進委員会の清水和夫構成員・国際自動車ジャーナリストは、「スマートフォンの登場で社会や価値観が変わったように『自動運転で社会がこう変わる』とビジョンを示す必要がある」と力を込める。
そこで自動運転の形態ごとに、社会受容性を計る技術や社会科学手法が注目される。
現状ではODDが更新されて広がる度に、丁寧なユーザー教育が必要だ。ドライブシミュレーターなどでユーザーが機能の限界を理解し、どこまで実践できるかは計ることはできる。この理解度に応じてシステムに求める安全性を問えば、社会の要求を定量化すると同時に、ドライバーに自身の責任範囲を念押しできる。そして運転中のデータを集めれば、その実行性を追跡できる。
こうして集めたデータは事故時の責任配分を決めるのに役立つだけでなく、社会として新技術を運用できるか、現実的な消費者の期待基準がどこにあるか見定める材料になる。
例えば、あおり運転による事故でドライブレコーダーが普及してデータが増えると、想像以上に危険なあおり運転が多いことを社会は認識した。これがドラレコの普及を加速させた。ユーザーを巻き込んで現実社会を観測する取り組みは規模を拡大しやすく、リテラシー醸成につながる。
日本は技術と社会が共に進化する「ソサエティー5・0」をつくれるのか、自動運転の安全と社会受容性はその試金石になる。
(文=小寺貴之)