白川方明氏が語る、日銀総裁時代の一番重い決定
『中央銀行 セントラルバンカーの経験した39年』著者インタビュー
―日銀の総裁経験者が現役時代を回顧して本を出すのは異例ですが、執筆の動機は。
「第一に中央銀行の役割について社会全体としてもっと議論を深める必要があるとの思いが強く、そのための材料を提供したいと考えた。二つ目は総裁時代が激動の5年間で、リーマン危機、欧州債務危機、東日本大震災、2度の政権交代があった。これらの記録を残す責任があると考えた。三つ目は日本経済や日銀についての海外の理解が不正確で、耐えがたかった。これらが執筆の理由だ」
―3部構成のそれぞれの章で最も言いたかったことは。
「第1部は総裁時代の判断や決定に影響を与えたさまざまな出来事と自分が引き出した教訓を書いている。バブルとバブルの崩壊、金融危機、ゼロ金利、量的緩和などがある。特に書きたかったのは金融政策も含め経済政策の議論はその時々の時代の空気に支配されやすいことの怖さだ」
「第2部は総裁時代。激動の5年間にはいろいろなことがありすぎて、絞り込むのは難しい。一つだけあげるとすれば、一番重い決定だった政府と日銀の共同声明。2012年12月、自民党が消費者物価上昇率2%の目標を2年の期限を区切って大胆な金融政策をやるということを主張して選挙で圧倒的な勝利を収めた。民主主義社会の中央銀行としては、この民意をまったく無視することはできない。一方で日銀は物価の安定と金融政策の安定という責任がある。これをどう両立させるか考え抜いた。共同声明には日銀として譲れない原則はすべて盛り込んだ」
「第3部は各国の中央銀行に共通する論点を書いている。日銀が経験したことは日本だけの話ではなく、どの国の中央銀行も同じように経験しているので、普遍的な文脈の中で議論しなければならない。具体的には非伝統的金融政策の効果と副作用や国際通貨制度の重要性、グローバルな協力の重要性と難しさなどだ」
―大胆な金融緩和に消極的だ、に代表される日銀への批判をどういう気持ちで聞いていましたか。
「物価安定や経済成長の持続性という観点から同意できない批判だった。ただ、もともと中央銀行は中長期の視点で行動することを求められている以上、そうした批判は宿命だと思った。一番理解されなかったのは為替と金融政策の関係。日本の金利は世界で最低水準にあるため、海外金利低下のもとでは、いくら大胆な金融政策をやっても、内外金利差は拡大せず、円高是正にはつながらない」
―金融政策を正常化しつつある米国と異なり、財政状況の厳しい日本はどう出口戦略に取り組むべきでしょうか。
「金融政策の出口は、技術論としてはさほど難しい問題ではない。出口戦略が難しいのは、金利を上げる時に財政バランスの悪い姿が表面化し、物価や金融システムの安定が脅かされる事態が見えているからだ。となれば、財政バランスを回復させることが最大の出口戦略だ。財政バランスの改善と財政の背後にある経済、特に生産性、潜在成長率を上げていく方向に日本経済が向かっていないと混乱する」
(文=川崎一)
◇白川方明(しらかわ・まさあき)氏 青山学院大学特別招聘(しょうへい)教授
72年(昭47)東大経卒、同年日銀入行。93年企画局企画課長、94年大分支店長、95年ニューヨーク駐在参事、00年企画室審議役、02年理事、06年京大院教授。08年3月日銀副総裁、同年4月総裁。13年3月退任。同年9月青山学院大学国際政治経済学部特任教授。福岡県出身。69歳。>
『中央銀行 セントラルバンカーの経験した39年』(東洋経済新報社 03・5605・7021)
「第一に中央銀行の役割について社会全体としてもっと議論を深める必要があるとの思いが強く、そのための材料を提供したいと考えた。二つ目は総裁時代が激動の5年間で、リーマン危機、欧州債務危機、東日本大震災、2度の政権交代があった。これらの記録を残す責任があると考えた。三つ目は日本経済や日銀についての海外の理解が不正確で、耐えがたかった。これらが執筆の理由だ」
―3部構成のそれぞれの章で最も言いたかったことは。
「第1部は総裁時代の判断や決定に影響を与えたさまざまな出来事と自分が引き出した教訓を書いている。バブルとバブルの崩壊、金融危機、ゼロ金利、量的緩和などがある。特に書きたかったのは金融政策も含め経済政策の議論はその時々の時代の空気に支配されやすいことの怖さだ」
「第2部は総裁時代。激動の5年間にはいろいろなことがありすぎて、絞り込むのは難しい。一つだけあげるとすれば、一番重い決定だった政府と日銀の共同声明。2012年12月、自民党が消費者物価上昇率2%の目標を2年の期限を区切って大胆な金融政策をやるということを主張して選挙で圧倒的な勝利を収めた。民主主義社会の中央銀行としては、この民意をまったく無視することはできない。一方で日銀は物価の安定と金融政策の安定という責任がある。これをどう両立させるか考え抜いた。共同声明には日銀として譲れない原則はすべて盛り込んだ」
「第3部は各国の中央銀行に共通する論点を書いている。日銀が経験したことは日本だけの話ではなく、どの国の中央銀行も同じように経験しているので、普遍的な文脈の中で議論しなければならない。具体的には非伝統的金融政策の効果と副作用や国際通貨制度の重要性、グローバルな協力の重要性と難しさなどだ」
―大胆な金融緩和に消極的だ、に代表される日銀への批判をどういう気持ちで聞いていましたか。
「物価安定や経済成長の持続性という観点から同意できない批判だった。ただ、もともと中央銀行は中長期の視点で行動することを求められている以上、そうした批判は宿命だと思った。一番理解されなかったのは為替と金融政策の関係。日本の金利は世界で最低水準にあるため、海外金利低下のもとでは、いくら大胆な金融政策をやっても、内外金利差は拡大せず、円高是正にはつながらない」
―金融政策を正常化しつつある米国と異なり、財政状況の厳しい日本はどう出口戦略に取り組むべきでしょうか。
「金融政策の出口は、技術論としてはさほど難しい問題ではない。出口戦略が難しいのは、金利を上げる時に財政バランスの悪い姿が表面化し、物価や金融システムの安定が脅かされる事態が見えているからだ。となれば、財政バランスを回復させることが最大の出口戦略だ。財政バランスの改善と財政の背後にある経済、特に生産性、潜在成長率を上げていく方向に日本経済が向かっていないと混乱する」
(文=川崎一)
72年(昭47)東大経卒、同年日銀入行。93年企画局企画課長、94年大分支店長、95年ニューヨーク駐在参事、00年企画室審議役、02年理事、06年京大院教授。08年3月日銀副総裁、同年4月総裁。13年3月退任。同年9月青山学院大学国際政治経済学部特任教授。福岡県出身。69歳。>
『中央銀行 セントラルバンカーの経験した39年』(東洋経済新報社 03・5605・7021)
日刊工業新聞2018年11月26日