【ゴーン劇場に幕】12年前も指摘されたカリスマと共存する課題
06年連載「ゴーン流8年の理想と現実」
日産自動車は22日、臨時取締役会を開き、逮捕されたカルロス・ゴーン容疑者の会長職と代表取締役の解任を決議した。強いカリスマ性によっていびつな企業統治の構造をも押し切り、企業グループを引っ張ってきたが、最後は急転直下の幕切れとなった。日刊工業新聞では、2006年に「ゴーン流8年の理想と現実」のタイトルで5回の連載を掲載。世界一の自動車グループを目指す「NISSAN」と日本の「日産」のジレンマをリポートした。より大きな舞台を渇望して動き続けるゴーン容疑者に、12年前も批判はありながらも、そのカリスマ性に大きく依存してきた。日産および、同社と仏ルノー、三菱自動車の3社連合は、ゴーン容疑者に代わる圧倒的な主役か、新たな企業統治の構造を見い出さなければならない。06年の連載から、強いカリスマ性と共存する課題を紐解く。
連載「ゴーン流8年の理想と現実(1)」(06年10月2日掲載)
日産自動車はどこへ向かおうとしているのか―。米ゼネラル・モーターズ(GM)と提携し、世界一の自動車グループを目指そうとする「NISSAN」。一方、国内に目を移すと、不振にあえぐ新車販売や旧系列の部品会社が苦悩する「日産」の現実が見えてくる。99年、経営再建を使命に来日したカルロス・ゴーンは、瞬く間にスター経営者になった。そのカリスマ性が放つ光がまぶしいほど、コントラストも鮮明になる。
日産とルノーの社長を兼務するようになった昨年春以降、ゴーンは毎月の第3週を日本で過ごし、残りはフランスのルノー本社や全世界の生産・販売拠点をプライベートジェット機で飛び回るのが日常になった。
9月27日。パリで行われたGM会長、リック・ワゴナーとの2回目のトップ会談。交渉不調が伝えられる中、ゴーンは「3社の提携は自動車業界にとって正しい方向だ」と依然、強い意欲をにじませた。
2日前(25日)にさかのぼる。日本では日産が保有する日産ディーゼル工業の全株式をスウェーデンのボルボに売却すると発表した。ボルボは今年3月、日産ディ株13%分を取得。その時の会見でゴーンは「99年当時、(日産ディを)売ろうにも相手に金銭の支払いを求められた」と振り返った。
資産価値を高め売却益を手にするゴーン改革の真骨頂だ。しかし日産主導で進んだ提携話に、日産ディ社長の仲村巌に笑顔はなかった。それでもゴーンは「日産はトラックメーカーになるつもりはない」と意に介さない。
ゴーンは結果を得るためなら困難な決断もためらわない。100万台の増販を目標にした「日産180」(05年9月末終了)。同計画策定に深くかかわった日産の元幹部は「80万台程度が今の実力。反動が出る」と進言したが、ゴーンは取り合わなかったという。計画はやり遂げた。そこからは彼の飽くなき“成長への渇望”が感じられる。
GMとの交渉が決裂した場合、次は米フォードモーターが相手になるとの観測も浮上する。ゴーンは合理主義者として知られるが、「巨大提携に動くゴーンさんの真意を日本人の幹部は測りかねている」(日産関係者)という声も聞こえる。
「1億台。この数字に歴史の重みを感じている」―。9月13日。横浜工場内で開かれたグローバル生産1億台の記念式典で、最高執行責任者(COO)の志賀俊之は歴代の名車「ダットサン」のパレードをみながらいつになく上機嫌だった。
式典には多くのサプライヤーも参加。協力会「日翔会」の会長を務めるニッパツ社長の天木武彦は「いろんなことがあったが、ウイン―ウインの関係を築きたい」とエールを送った。
8月は恒例の都市対抗野球の季節。宿敵トヨタ自動車との対戦では、日翔会の専用席に、志賀と共同会長の小枝至が並んで座り応援する光景がみられた。点が入るごとに大声援が沸き起こる風景からは、古き良き日産の姿も残る。
しかし“日産”の現実はそう甘くはない。日本プラストなど旧日産系部品メーカーの他社系列入りが相次いでいる。トリム専業の河西工業は、資本関係はなくなったがまだ日産向けの仕事が6割ある。遅々と進まない日産のタイの増産計画に投資を迷っていたが、このほど進出を決断した。社長の渡邊邦幸は、日産の労務担当常務からの転出組だが、「今後はトヨタやホンダの仕事を増やしたい」と話す。
国内販売はより悲壮感が漂う。ある有力販社の社長は今年に入って日産本社に駆け込み、小枝らに直談判した。「表層だけの数字で評価しないで欲しい。現場はもっとウェットな世界だ」―。
今年の株主総会でのこと。ゴーン社長の経営手腕をたたえる意見が大半を占める中、「日本の経営陣の顔が見えない」という厳しい質問も飛んだ。変わらぬ“ゴーン依存症”。株主や投資家も「NISSAN」と「日産」のギャップを感じ取っている。(敬称略)
※肩書き、内容は当時のもの
連載「ゴーン流8年の理想と現実(2)」(06年10月3日掲載)
「ゼネラル・モーターズ(GM)はトヨタ自動車に対抗する緊急性を認識していない」。提携交渉が行き詰まりを見せる米GMと、フランスのルノー・日産自動車の両陣営。9月最終週にパリで、2カ月ぶりのトップ会談を控え、ルノー副社長のパトリック・ペラタは記者団に対してGMへの不満をあらわにした。ペラタは、日産時代からカルロス・ゴーンの腹心中の腹心。ペラタのコメントは、そのままゴーンのいら立ちを表している。
GMの苦境に端を発した今回の提携交渉。GMの大株主、カーク・カーコリアン率いる投資会社の米トラシンダが動いたことがそもそもの始まりだった。だからこそ提携の最大の目的はGMの経営再建にほかならない。しかし7月14日に最初のトップ会談が開かれ実際に交渉がスタートすると、なぜかゴーンの乗り気な姿勢ばかりがクローズアップされる。
本来なら助けを求めるはずのGM会長のリチャード・ワゴナーが慎重な姿勢に終始し、手をさしのべる役のゴーンは積極的な姿勢をとり続ける。先月27日のパリでの2度目のトップ会談では何ら具体的な成果を示せなかったが、それでもゴーンは「良い方向に向かっている」と言い切った。
まるで“親切の押し売り”。そう受け取られかねないほど、今回の提携への意気込みを見せるゴーンの狙いは何なのか。「大きなチャンスが到来した。そのタイミングは選べない。我々はつかむことを決めた」。ゴーンはGMとの提携交渉に乗り出した理由をこう説明する。しかしその「チャンス」をあえて今、つかみに行かなければならない理由は明らかにしていない。なぜ世界販売1500万台を超える巨大な3社連合を作り上げなければならないのか。
実はトヨタの躍進に焦っているのは、ワゴナーよりもゴーンの方なのかも知れない。99年の最高執行責任者(COO)就任以来、日産を経営破たんの淵から業界トップクラスの好業績企業に蘇らせた経営手腕は誰も疑い得ない。ただ、そんな右肩上がりの復活劇に陰りが見えてきているのも隠せない事実だ。「(下期に新車投入が集中する)06年度は上期の成長は難しい」と、日米欧での販売低迷はある程度想定済みとはいえ、成長のスピードではトヨタに水をあけられ始めている。
80年代前後に日産を率いた故石原俊は、永遠のライバル、トヨタ追撃に向けて急激な拡大路線へと打って出た。しかしその積極策の多くは失敗に帰し、結局は99年にルノーの軍門へ下る遠因となった。再びトヨタを“目の上のたんこぶ”と感じ始めた「NISSAN」。世界中のメディアに登場しGMとの提携の意義について饒舌(じょうぜつ)に語り続けるゴーンに対し、日本人幹部は「90日の間は本件についてはノーコメントにして頂きたい」(志賀俊之COO)と貝になるばかり。“ワンマンショー”と化した今回の提携劇は日産が世界的な業界再編をリードする道筋へとつながるのか。それともいつか来た道をたどることになるのだろうか。(敬称略)
※肩書き、内容は当時のもの
連載「ゴーン流8年の理想と現実(3)」(06年10月4日掲載)
6月27日の日産自動車の株主総会。カルロス・ゴーン社長は「今年度の国内販売は80万台から(計画の)84万6000台の間になる」と発言し、05年度の決算発表で示した見通しを、事実上2カ月で下方修正した。
06年度上半期(4―9月)の国内販売は前年同期比16・9%減の34万9697台。年間80万台もおぼつかないペースだ。前年同月割れは、9月でちょうど12カ月連続になる。前中期経営計画「日産180」の一つとして、05年9月までの1年間に世界100万台増販を掲げた目標を達成し、その反動は予想されたが「(落ち込みは)想定を超えている」とCOOの志賀俊之はいう。
だが、振り返れば日産の国内販売は、ゴーンがCEOに就任した01年度の71万4000台を底に、04年度までは着実に台数とシェアを広げてきた。日産180が終了し、“台数至上主義”から“利益重視主義”へと転換する中、05年度も微減にとどまっている。
ゴーン自ら販売店を行脚し、問題点をあぶり出してきた国内販売は、実際にはじわじわと体力を付けてきている。半面、計画数値に対して度重なる下方修正を繰り返してきたのも事実だ。
ここ数年、販売台数は伸ばしながらも、計画未達を理由に立て続けに国内営業担当役員が交代した。04年3月末に国内販売担当常務だった北洞幸雄(現ファルテック社長)と、マーケティング担当常務の富井史郎(現福岡日産社長)が、05年3月末には北洞の後を継いだ副社長の松村矩雄(同日産プリンス大阪販売社長)がそれぞれ日産を離れた。3人の人事は、台数のコミットメントを達成できない国内販売に対するゴーンのいら立ちを象徴した。
「なぜ、損をすることをやるのですか? 利益に対するコミットメントをどう考えるのですか」。日産ネットワークホールディングス社長の佐藤明は今、各販売会社の首脳にこう訴えかけている。
日産は05年4月、かねてゴーンが「ブルー(ステージ)とレッド(ステージ)の違いが分からない」と指摘してきた販売2チャンネルを、全車種の併売化で事実上統合した。そして今年7月、佐藤率いる連結52販社の資産統括会社、日産ネットワークを設立した。販売改革第2幕の幕開けだ。
ある販社の社長は「日産180で売る力はついた」と言う。日産は全社を挙げて現中計の「日産バリューアップ」で掲げる「投下資本利益率(ROIC)20%以上」に挑む。日産180では、増販目標をクリアするために値引き販売を繰り返し、自らの首を絞めて経営が悪化した販社も少なくない。台数ノルマに憶病になった販社経営陣の意識を利益重視に転換するため、ゴーンは直営の全販社に07年3月期の黒字必達を通告。甘えを完全に断ち切り、赤字販社には社長交代も迫る。信賞必罰の人事を見てきただけに、販社側も日産の本気を嗅ぎ取っている。
ただ、佐藤が「赤、青関係なくなった時点で手を打つべきだった」と言うように、国内自動車市場はガソリン高で一気に小型車シフトが進み、少子化で需要は冷え込む。今だ隣接するブルー、レッドの両店が競合するケースも見られる。今年度を捨て石にする覚悟で臨む販社の選別作業や出店形態の見直しに、遅れは許されない。(敬称略)
※肩書き、内容は当時のもの
連載「ゴーン流8年の理想と現実(4)」(06年10月5日掲載)
日系自動車メーカーの世界的な好調を背景に業績拡大が続く国内部品業界にも、このところの日産自動車の不振が影を落とし始めてきた。
日産系最大の部品メーカーであるカルソニックカンセイの06年度第1四半期(4―6月)は、各利益項目で前年同期を約60%下回る大幅減益。売上高の7割が日産向けの鬼怒川ゴム工業も、経常損益は赤字に転落。ともに日産の販売不振に、原材料高が追い打ちをかけた格好だ。
販売減がもろに響いた日産車体は10月、06年9月中間の業績予想を売上高で10%超、経常利益と当期利益は40%超、それぞれ当初見込みからの下方修正した。
06年上半期(1―6月)は、05年9月までに100万台の販売増を狙った経営計画「日産180」の反動や、新車投入の端境期にあたることから「販売減を予想していた」と社長のカルロス・ゴーンはいう。だが部品メーカーにとって、その落ち幅は予想以上だった。さらに、日産が国内販売の不振を補うために、他メーカーからOEM(相手先ブランド)調達する軽自動車に力を入れる動きも、その恩恵をほとんど受けない直系部品メーカーにはボディーブローとなっている。
影響は直系以外にも広がる。トヨタ向けが主力の独立系部品メーカー社長も「うちも日産との取引があり、業績に少なからず影響が出ている。何とか頑張ってもらいたい」と打ち明ける。
こうした状況は部品メーカーの“日産離れ”に拍車をかける可能性がある。実際に99年の「日産リバイバル・プラン(NRP)」以降、系列を離れた部品メーカーは、トヨタやホンダなどとの取引を拡大してきた。シート大手のタチエスは現在、売上高の4割強をホンダ向けが占める。また日産車の約6割にランプを提供する市光工業は、05年度のトヨタ向け売上高が日産向けを上回った。
旧日産圏の部品メーカーの多くは、まだ日産依存度が高いものの、現在のような状況が続けば、「海外進出や新技術提案などで、他の自動車メーカーを優先する事態が起こりかねない」と野村証券企業調査部自動車グループアナリストの桾本将隆は警鐘を鳴らす。
その背景には、日産が仏ルノーと進めてきた共同購買に対する部品メーカーの“戸惑い”もあるようだ。共同購買会社「ルノー・ニッサンパーチェシングオーガニゼーション(RNPO)」について、あるエンジン部品メーカー社長は「ルノー色が濃い」と指摘する。「RNPOがどう考えているのか、不安に思っている日本の部品メーカーは多い。日系メーカーのように、部品メーカーと成功を分かち合おうという気持ちがあるのだろうか」と続ける。
「技術の日産」を標ぼうしてきた日産。環境技術などで部品単位の技術革新がますます重要になる中で、部品メーカーの日産離れが進めば、その土台は崩れることになる。NRPからまもなく7年。日産のサプライヤー戦略は岐路に立っていると言えるだろう。(敬称略)
※肩書き、内容は当時のもの
連載「ゴーン流8年の理想と現実(5)」(06年10月6日掲載)
今春。カルロス・ゴーンは記者団を前に「近いうちにインドへの進出計画を披露できるでしょう」とほほ笑んだ。ところが計画には隠し球があった。スズキへの接近だ。
「こちらから提携拡大をお願いした」―。6月2日に行われたスズキとの共同会見。いつも慎重な言い回しが多い最高執行責任者(COO)の志賀俊之は、率直に質問に答えた。
スズキとの交渉では志賀の役割は実に大きい。つい先日もスズキ会長の鈴木修がインドで発言した内容が、日産の経営戦略に踏み込むものだったためメディアで大騒ぎになった。すぐに現地の鈴木から志賀へ電話があり、ことの経緯の説明があったという。特に日本メーカーとの協業では、日本人同士の方が意思疎通が図りやすい。
直系販売会社のある幹部は、日産自動車の経営の“変節点”を「ゴーン氏がルノーのCEO(最高経営責任者)を兼務するようになった時」と指摘する。単にゴーンが時間的な制約を受けるようになっただけではない。
中期計画「日産バリューアップ」での最大のコミットメントが、08年に世界販売台数420万台の達成。過去の中計では公表していた地域別の内訳を明らかにしていないが、日産にとって増販の稼ぎ役は新興市場。ところがルノーも成長に向け新興市場への攻勢を強めている。以前から1人のCEOが仕切る両社への利益相反リスクを指摘する声は多い。
「営業利益率10%はコミットメントなのか?」―。03年秋。ソニーの社外取締役を務めていたゴーンは取締役会で、ソニー会長の出井伸之(当時)ら経営陣に詰め寄った。昨年実行されたソニーの経営刷新。同社の幹部は「ゴーンさんら社外取締役の圧力がなかったといえばうそになる」と証言する。
現在、日産には9人の取締役がいるが、事実上の社外役員はいない。ゴーンはもともと社外からの登用に否定的とみられるが、米ゼネラル・モーターズ(GM)との提携交渉では、GMの大株主であるカーク・カーコリアンやその側近であるGMの社外取締役をテコにしたのは何とも皮肉だ。
社外取締役の有無より、今の日産にゴーンの手法に対し時には苦言を呈したり、ブレーキ作動する企業統治の仕組みがあるのかが不透明。結局、GMとの提携構想は破談したが、その過程で良くも悪くもゴーンの存在感の大きさだけがあらためて浮き彫りになった。
「フォードとマツダの関係は非常に安定している。日本で仕事ができたことをうれしく思う」。フォードのアジア担当副社長に栄転したマツダ副会長のジョン・パーカー。この3年、二人三脚でマツダ再建にあたってきた社長の井巻久一は、彼の別れのあいさつを感慨深げに聞いていた。同じ外資の傘下にありながら、マツダと日産の企業統治のあり様は異なる。
ゴーンと因縁が深いソニーも、外国人CEOに再建を託した。ハワード・ストリンガーは月に一、二度来日するだけで、電機部門は社長の中鉢良治が指揮しているが、複合企業ゆえソニーもまた「SONY」との折り合いに苦労している。
ルノーのルイ・シュバイツァーがゴーンを日本に送り込むと決めた時点で、「日産」と「NISSAN」が生み出されるのは必然だったのかもしれない。二つの「ニッサン」がハーモニーを奏で、成長に向け再びドライブする次の必然は何になるのだろうか―。(敬称略)
(おわり)
※肩書き、内容は当時のもの
提携で成長路線貫く
連載「ゴーン流8年の理想と現実(1)」(06年10月2日掲載)
日産自動車はどこへ向かおうとしているのか―。米ゼネラル・モーターズ(GM)と提携し、世界一の自動車グループを目指そうとする「NISSAN」。一方、国内に目を移すと、不振にあえぐ新車販売や旧系列の部品会社が苦悩する「日産」の現実が見えてくる。99年、経営再建を使命に来日したカルロス・ゴーンは、瞬く間にスター経営者になった。そのカリスマ性が放つ光がまぶしいほど、コントラストも鮮明になる。
日産とルノーの社長を兼務するようになった昨年春以降、ゴーンは毎月の第3週を日本で過ごし、残りはフランスのルノー本社や全世界の生産・販売拠点をプライベートジェット機で飛び回るのが日常になった。
9月27日。パリで行われたGM会長、リック・ワゴナーとの2回目のトップ会談。交渉不調が伝えられる中、ゴーンは「3社の提携は自動車業界にとって正しい方向だ」と依然、強い意欲をにじませた。
2日前(25日)にさかのぼる。日本では日産が保有する日産ディーゼル工業の全株式をスウェーデンのボルボに売却すると発表した。ボルボは今年3月、日産ディ株13%分を取得。その時の会見でゴーンは「99年当時、(日産ディを)売ろうにも相手に金銭の支払いを求められた」と振り返った。
資産価値を高め売却益を手にするゴーン改革の真骨頂だ。しかし日産主導で進んだ提携話に、日産ディ社長の仲村巌に笑顔はなかった。それでもゴーンは「日産はトラックメーカーになるつもりはない」と意に介さない。
ゴーンは結果を得るためなら困難な決断もためらわない。100万台の増販を目標にした「日産180」(05年9月末終了)。同計画策定に深くかかわった日産の元幹部は「80万台程度が今の実力。反動が出る」と進言したが、ゴーンは取り合わなかったという。計画はやり遂げた。そこからは彼の飽くなき“成長への渇望”が感じられる。
GMとの交渉が決裂した場合、次は米フォードモーターが相手になるとの観測も浮上する。ゴーンは合理主義者として知られるが、「巨大提携に動くゴーンさんの真意を日本人の幹部は測りかねている」(日産関係者)という声も聞こえる。
「1億台。この数字に歴史の重みを感じている」―。9月13日。横浜工場内で開かれたグローバル生産1億台の記念式典で、最高執行責任者(COO)の志賀俊之は歴代の名車「ダットサン」のパレードをみながらいつになく上機嫌だった。
式典には多くのサプライヤーも参加。協力会「日翔会」の会長を務めるニッパツ社長の天木武彦は「いろんなことがあったが、ウイン―ウインの関係を築きたい」とエールを送った。
8月は恒例の都市対抗野球の季節。宿敵トヨタ自動車との対戦では、日翔会の専用席に、志賀と共同会長の小枝至が並んで座り応援する光景がみられた。点が入るごとに大声援が沸き起こる風景からは、古き良き日産の姿も残る。
しかし“日産”の現実はそう甘くはない。日本プラストなど旧日産系部品メーカーの他社系列入りが相次いでいる。トリム専業の河西工業は、資本関係はなくなったがまだ日産向けの仕事が6割ある。遅々と進まない日産のタイの増産計画に投資を迷っていたが、このほど進出を決断した。社長の渡邊邦幸は、日産の労務担当常務からの転出組だが、「今後はトヨタやホンダの仕事を増やしたい」と話す。
国内販売はより悲壮感が漂う。ある有力販社の社長は今年に入って日産本社に駆け込み、小枝らに直談判した。「表層だけの数字で評価しないで欲しい。現場はもっとウェットな世界だ」―。
今年の株主総会でのこと。ゴーン社長の経営手腕をたたえる意見が大半を占める中、「日本の経営陣の顔が見えない」という厳しい質問も飛んだ。変わらぬ“ゴーン依存症”。株主や投資家も「NISSAN」と「日産」のギャップを感じ取っている。(敬称略)
※肩書き、内容は当時のもの
GM提携交渉の狙い
連載「ゴーン流8年の理想と現実(2)」(06年10月3日掲載)
「ゼネラル・モーターズ(GM)はトヨタ自動車に対抗する緊急性を認識していない」。提携交渉が行き詰まりを見せる米GMと、フランスのルノー・日産自動車の両陣営。9月最終週にパリで、2カ月ぶりのトップ会談を控え、ルノー副社長のパトリック・ペラタは記者団に対してGMへの不満をあらわにした。ペラタは、日産時代からカルロス・ゴーンの腹心中の腹心。ペラタのコメントは、そのままゴーンのいら立ちを表している。
GMの苦境に端を発した今回の提携交渉。GMの大株主、カーク・カーコリアン率いる投資会社の米トラシンダが動いたことがそもそもの始まりだった。だからこそ提携の最大の目的はGMの経営再建にほかならない。しかし7月14日に最初のトップ会談が開かれ実際に交渉がスタートすると、なぜかゴーンの乗り気な姿勢ばかりがクローズアップされる。
本来なら助けを求めるはずのGM会長のリチャード・ワゴナーが慎重な姿勢に終始し、手をさしのべる役のゴーンは積極的な姿勢をとり続ける。先月27日のパリでの2度目のトップ会談では何ら具体的な成果を示せなかったが、それでもゴーンは「良い方向に向かっている」と言い切った。
まるで“親切の押し売り”。そう受け取られかねないほど、今回の提携への意気込みを見せるゴーンの狙いは何なのか。「大きなチャンスが到来した。そのタイミングは選べない。我々はつかむことを決めた」。ゴーンはGMとの提携交渉に乗り出した理由をこう説明する。しかしその「チャンス」をあえて今、つかみに行かなければならない理由は明らかにしていない。なぜ世界販売1500万台を超える巨大な3社連合を作り上げなければならないのか。
実はトヨタの躍進に焦っているのは、ワゴナーよりもゴーンの方なのかも知れない。99年の最高執行責任者(COO)就任以来、日産を経営破たんの淵から業界トップクラスの好業績企業に蘇らせた経営手腕は誰も疑い得ない。ただ、そんな右肩上がりの復活劇に陰りが見えてきているのも隠せない事実だ。「(下期に新車投入が集中する)06年度は上期の成長は難しい」と、日米欧での販売低迷はある程度想定済みとはいえ、成長のスピードではトヨタに水をあけられ始めている。
80年代前後に日産を率いた故石原俊は、永遠のライバル、トヨタ追撃に向けて急激な拡大路線へと打って出た。しかしその積極策の多くは失敗に帰し、結局は99年にルノーの軍門へ下る遠因となった。再びトヨタを“目の上のたんこぶ”と感じ始めた「NISSAN」。世界中のメディアに登場しGMとの提携の意義について饒舌(じょうぜつ)に語り続けるゴーンに対し、日本人幹部は「90日の間は本件についてはノーコメントにして頂きたい」(志賀俊之COO)と貝になるばかり。“ワンマンショー”と化した今回の提携劇は日産が世界的な業界再編をリードする道筋へとつながるのか。それともいつか来た道をたどることになるのだろうか。(敬称略)
※肩書き、内容は当時のもの
販売改革第2幕
連載「ゴーン流8年の理想と現実(3)」(06年10月4日掲載)
6月27日の日産自動車の株主総会。カルロス・ゴーン社長は「今年度の国内販売は80万台から(計画の)84万6000台の間になる」と発言し、05年度の決算発表で示した見通しを、事実上2カ月で下方修正した。
06年度上半期(4―9月)の国内販売は前年同期比16・9%減の34万9697台。年間80万台もおぼつかないペースだ。前年同月割れは、9月でちょうど12カ月連続になる。前中期経営計画「日産180」の一つとして、05年9月までの1年間に世界100万台増販を掲げた目標を達成し、その反動は予想されたが「(落ち込みは)想定を超えている」とCOOの志賀俊之はいう。
だが、振り返れば日産の国内販売は、ゴーンがCEOに就任した01年度の71万4000台を底に、04年度までは着実に台数とシェアを広げてきた。日産180が終了し、“台数至上主義”から“利益重視主義”へと転換する中、05年度も微減にとどまっている。
ゴーン自ら販売店を行脚し、問題点をあぶり出してきた国内販売は、実際にはじわじわと体力を付けてきている。半面、計画数値に対して度重なる下方修正を繰り返してきたのも事実だ。
ここ数年、販売台数は伸ばしながらも、計画未達を理由に立て続けに国内営業担当役員が交代した。04年3月末に国内販売担当常務だった北洞幸雄(現ファルテック社長)と、マーケティング担当常務の富井史郎(現福岡日産社長)が、05年3月末には北洞の後を継いだ副社長の松村矩雄(同日産プリンス大阪販売社長)がそれぞれ日産を離れた。3人の人事は、台数のコミットメントを達成できない国内販売に対するゴーンのいら立ちを象徴した。
「なぜ、損をすることをやるのですか? 利益に対するコミットメントをどう考えるのですか」。日産ネットワークホールディングス社長の佐藤明は今、各販売会社の首脳にこう訴えかけている。
日産は05年4月、かねてゴーンが「ブルー(ステージ)とレッド(ステージ)の違いが分からない」と指摘してきた販売2チャンネルを、全車種の併売化で事実上統合した。そして今年7月、佐藤率いる連結52販社の資産統括会社、日産ネットワークを設立した。販売改革第2幕の幕開けだ。
ある販社の社長は「日産180で売る力はついた」と言う。日産は全社を挙げて現中計の「日産バリューアップ」で掲げる「投下資本利益率(ROIC)20%以上」に挑む。日産180では、増販目標をクリアするために値引き販売を繰り返し、自らの首を絞めて経営が悪化した販社も少なくない。台数ノルマに憶病になった販社経営陣の意識を利益重視に転換するため、ゴーンは直営の全販社に07年3月期の黒字必達を通告。甘えを完全に断ち切り、赤字販社には社長交代も迫る。信賞必罰の人事を見てきただけに、販社側も日産の本気を嗅ぎ取っている。
ただ、佐藤が「赤、青関係なくなった時点で手を打つべきだった」と言うように、国内自動車市場はガソリン高で一気に小型車シフトが進み、少子化で需要は冷え込む。今だ隣接するブルー、レッドの両店が競合するケースも見られる。今年度を捨て石にする覚悟で臨む販社の選別作業や出店形態の見直しに、遅れは許されない。(敬称略)
※肩書き、内容は当時のもの
困惑する部品メーカー
連載「ゴーン流8年の理想と現実(4)」(06年10月5日掲載)
日系自動車メーカーの世界的な好調を背景に業績拡大が続く国内部品業界にも、このところの日産自動車の不振が影を落とし始めてきた。
日産系最大の部品メーカーであるカルソニックカンセイの06年度第1四半期(4―6月)は、各利益項目で前年同期を約60%下回る大幅減益。売上高の7割が日産向けの鬼怒川ゴム工業も、経常損益は赤字に転落。ともに日産の販売不振に、原材料高が追い打ちをかけた格好だ。
販売減がもろに響いた日産車体は10月、06年9月中間の業績予想を売上高で10%超、経常利益と当期利益は40%超、それぞれ当初見込みからの下方修正した。
06年上半期(1―6月)は、05年9月までに100万台の販売増を狙った経営計画「日産180」の反動や、新車投入の端境期にあたることから「販売減を予想していた」と社長のカルロス・ゴーンはいう。だが部品メーカーにとって、その落ち幅は予想以上だった。さらに、日産が国内販売の不振を補うために、他メーカーからOEM(相手先ブランド)調達する軽自動車に力を入れる動きも、その恩恵をほとんど受けない直系部品メーカーにはボディーブローとなっている。
影響は直系以外にも広がる。トヨタ向けが主力の独立系部品メーカー社長も「うちも日産との取引があり、業績に少なからず影響が出ている。何とか頑張ってもらいたい」と打ち明ける。
こうした状況は部品メーカーの“日産離れ”に拍車をかける可能性がある。実際に99年の「日産リバイバル・プラン(NRP)」以降、系列を離れた部品メーカーは、トヨタやホンダなどとの取引を拡大してきた。シート大手のタチエスは現在、売上高の4割強をホンダ向けが占める。また日産車の約6割にランプを提供する市光工業は、05年度のトヨタ向け売上高が日産向けを上回った。
旧日産圏の部品メーカーの多くは、まだ日産依存度が高いものの、現在のような状況が続けば、「海外進出や新技術提案などで、他の自動車メーカーを優先する事態が起こりかねない」と野村証券企業調査部自動車グループアナリストの桾本将隆は警鐘を鳴らす。
その背景には、日産が仏ルノーと進めてきた共同購買に対する部品メーカーの“戸惑い”もあるようだ。共同購買会社「ルノー・ニッサンパーチェシングオーガニゼーション(RNPO)」について、あるエンジン部品メーカー社長は「ルノー色が濃い」と指摘する。「RNPOがどう考えているのか、不安に思っている日本の部品メーカーは多い。日系メーカーのように、部品メーカーと成功を分かち合おうという気持ちがあるのだろうか」と続ける。
「技術の日産」を標ぼうしてきた日産。環境技術などで部品単位の技術革新がますます重要になる中で、部品メーカーの日産離れが進めば、その土台は崩れることになる。NRPからまもなく7年。日産のサプライヤー戦略は岐路に立っていると言えるだろう。(敬称略)
※肩書き、内容は当時のもの
異質な企業統治
連載「ゴーン流8年の理想と現実(5)」(06年10月6日掲載)
今春。カルロス・ゴーンは記者団を前に「近いうちにインドへの進出計画を披露できるでしょう」とほほ笑んだ。ところが計画には隠し球があった。スズキへの接近だ。
「こちらから提携拡大をお願いした」―。6月2日に行われたスズキとの共同会見。いつも慎重な言い回しが多い最高執行責任者(COO)の志賀俊之は、率直に質問に答えた。
スズキとの交渉では志賀の役割は実に大きい。つい先日もスズキ会長の鈴木修がインドで発言した内容が、日産の経営戦略に踏み込むものだったためメディアで大騒ぎになった。すぐに現地の鈴木から志賀へ電話があり、ことの経緯の説明があったという。特に日本メーカーとの協業では、日本人同士の方が意思疎通が図りやすい。
直系販売会社のある幹部は、日産自動車の経営の“変節点”を「ゴーン氏がルノーのCEO(最高経営責任者)を兼務するようになった時」と指摘する。単にゴーンが時間的な制約を受けるようになっただけではない。
中期計画「日産バリューアップ」での最大のコミットメントが、08年に世界販売台数420万台の達成。過去の中計では公表していた地域別の内訳を明らかにしていないが、日産にとって増販の稼ぎ役は新興市場。ところがルノーも成長に向け新興市場への攻勢を強めている。以前から1人のCEOが仕切る両社への利益相反リスクを指摘する声は多い。
「営業利益率10%はコミットメントなのか?」―。03年秋。ソニーの社外取締役を務めていたゴーンは取締役会で、ソニー会長の出井伸之(当時)ら経営陣に詰め寄った。昨年実行されたソニーの経営刷新。同社の幹部は「ゴーンさんら社外取締役の圧力がなかったといえばうそになる」と証言する。
現在、日産には9人の取締役がいるが、事実上の社外役員はいない。ゴーンはもともと社外からの登用に否定的とみられるが、米ゼネラル・モーターズ(GM)との提携交渉では、GMの大株主であるカーク・カーコリアンやその側近であるGMの社外取締役をテコにしたのは何とも皮肉だ。
社外取締役の有無より、今の日産にゴーンの手法に対し時には苦言を呈したり、ブレーキ作動する企業統治の仕組みがあるのかが不透明。結局、GMとの提携構想は破談したが、その過程で良くも悪くもゴーンの存在感の大きさだけがあらためて浮き彫りになった。
「フォードとマツダの関係は非常に安定している。日本で仕事ができたことをうれしく思う」。フォードのアジア担当副社長に栄転したマツダ副会長のジョン・パーカー。この3年、二人三脚でマツダ再建にあたってきた社長の井巻久一は、彼の別れのあいさつを感慨深げに聞いていた。同じ外資の傘下にありながら、マツダと日産の企業統治のあり様は異なる。
ゴーンと因縁が深いソニーも、外国人CEOに再建を託した。ハワード・ストリンガーは月に一、二度来日するだけで、電機部門は社長の中鉢良治が指揮しているが、複合企業ゆえソニーもまた「SONY」との折り合いに苦労している。
ルノーのルイ・シュバイツァーがゴーンを日本に送り込むと決めた時点で、「日産」と「NISSAN」が生み出されるのは必然だったのかもしれない。二つの「ニッサン」がハーモニーを奏で、成長に向け再びドライブする次の必然は何になるのだろうか―。(敬称略)
(おわり)
※肩書き、内容は当時のもの