世界中から注文舞い込む“絶対ゆるまないネジ”はなぜ生まれた?
書籍「奇蹟のネジ」著者・高橋武男氏インタビュー
**自社の強み生かし下請け脱却を
―フリーライターとして年間30―50社に取材しています。今回、執筆されたハードロック工業にどんな思いを持っていましたか。
「これまで多くの大阪のモノづくり企業を取材してきたが、ハードロック工業は特徴のある企業として有名だ。いつか取材対象にしたいと思っていた」
―創業者の若林克彦社長から同社のすごさを感じたようですね。
「『絶対に緩んではいけない箇所でネジは使わない』が世界の常識なのに、同社は『絶対に緩んではいけない箇所でネジを使う』市場を作った。他社に同様のネジはなく、いわゆる“ブルーオーシャン”戦略をとった。ネジは価格競争に陥りやすいが、製品の『ハードロックナット』は単価が高い。世界中から注文が舞い込んでいる。同社は究極の本業一点集中主義だ。ハードロックナットが会社の収益源に育って約40年間、他の製品を作っていない。ネジの製造技術を応用すれば、周辺分野に展開できるのに本業を極めている」
―一点集中する、そのこだわりの要因をどう思われますか。
「若林社長はこう話す。経営は無(心)と有(形)の両輪でできていて、よい心があれば、よい形が生まれる。中小企業は経営資源が少なく他分野に進出すると分散し、無と有のバランスが取れない。本業に集中することで無と有のバランスが取れるんだ、と」
「若林社長はハードロック工業の創業前に立ちあげた会社があり、別のネジを開発していた。キャッチフレーズを『絶対にゆるまない』として発売し、削岩機など振動が加わる機械で採用されたが、緩んでクレームが出たという。欲を出した結果、顧客に迷惑をかけた。取材時、社長がつらい記憶を忘れていない印象を受けた」
―クレーム後に、立ち上げた会社を無償譲渡し、新たなネジを手がける会社を作ったエピソードは印象的です。
「僕ならネジを改良し、同じ会社から売り出すが、若林社長は『それはやったらあかん』と話す。完璧でないネジと、新しいネジを同じ所から出すのが許せなかったのだと思う」
―本では若林社長のアイデア力にも触れていますね。
「若林社長が開発したネジが収益柱に育つまで3年かかった。ただアイデアマンの社長が発売した卵焼き器などがヒットし、会社運営に必要なつなぎ資金を確保した。すごいとしか言いようがない」
―取材から若林社長のアイデアの源泉は何だと思いますか。
「若林社長のモノづくりの原点は少年時代。農業の種まき作業が大変そうだったから、種まき機を作ったのが始まりという。社長は不便なことや人の困りごとに着目し、その解決方法を常に考えている。課題を解決したい思いがアイデアの源泉になったと感じた」
―読者に伝えたいことは。
「中小企業は大手からの下請け仕事に対応できる高い技術力を生かし切れていない。また、下請けから脱却できない課題を抱える。ハードロック工業は強みを生かし、世界市場を開拓している。同社の事例が、下請け脱却や、自社の強みの生かし方を模索する企業の参考になればと願っている」
(取材・文=村上授)
高橋武男(たかはし・たけお)氏 フリーライター
00年(平12)関西外大外国語卒。コピーライター、書籍編集者を経て08年にフリーランスの編集ライターとして独立。ビジネス書やビジネス情報誌の取材・執筆を中心に活動し、これまで企業経営者など500人以上に取材してきた。兵庫県出身、41歳。
『奇蹟のネジ』(幻冬舎メディアコンサルティング 03・5411・6440)>
―フリーライターとして年間30―50社に取材しています。今回、執筆されたハードロック工業にどんな思いを持っていましたか。
「これまで多くの大阪のモノづくり企業を取材してきたが、ハードロック工業は特徴のある企業として有名だ。いつか取材対象にしたいと思っていた」
―創業者の若林克彦社長から同社のすごさを感じたようですね。
「『絶対に緩んではいけない箇所でネジは使わない』が世界の常識なのに、同社は『絶対に緩んではいけない箇所でネジを使う』市場を作った。他社に同様のネジはなく、いわゆる“ブルーオーシャン”戦略をとった。ネジは価格競争に陥りやすいが、製品の『ハードロックナット』は単価が高い。世界中から注文が舞い込んでいる。同社は究極の本業一点集中主義だ。ハードロックナットが会社の収益源に育って約40年間、他の製品を作っていない。ネジの製造技術を応用すれば、周辺分野に展開できるのに本業を極めている」
―一点集中する、そのこだわりの要因をどう思われますか。
「若林社長はこう話す。経営は無(心)と有(形)の両輪でできていて、よい心があれば、よい形が生まれる。中小企業は経営資源が少なく他分野に進出すると分散し、無と有のバランスが取れない。本業に集中することで無と有のバランスが取れるんだ、と」
「若林社長はハードロック工業の創業前に立ちあげた会社があり、別のネジを開発していた。キャッチフレーズを『絶対にゆるまない』として発売し、削岩機など振動が加わる機械で採用されたが、緩んでクレームが出たという。欲を出した結果、顧客に迷惑をかけた。取材時、社長がつらい記憶を忘れていない印象を受けた」
―クレーム後に、立ち上げた会社を無償譲渡し、新たなネジを手がける会社を作ったエピソードは印象的です。
「僕ならネジを改良し、同じ会社から売り出すが、若林社長は『それはやったらあかん』と話す。完璧でないネジと、新しいネジを同じ所から出すのが許せなかったのだと思う」
―本では若林社長のアイデア力にも触れていますね。
「若林社長が開発したネジが収益柱に育つまで3年かかった。ただアイデアマンの社長が発売した卵焼き器などがヒットし、会社運営に必要なつなぎ資金を確保した。すごいとしか言いようがない」
―取材から若林社長のアイデアの源泉は何だと思いますか。
「若林社長のモノづくりの原点は少年時代。農業の種まき作業が大変そうだったから、種まき機を作ったのが始まりという。社長は不便なことや人の困りごとに着目し、その解決方法を常に考えている。課題を解決したい思いがアイデアの源泉になったと感じた」
―読者に伝えたいことは。
「中小企業は大手からの下請け仕事に対応できる高い技術力を生かし切れていない。また、下請けから脱却できない課題を抱える。ハードロック工業は強みを生かし、世界市場を開拓している。同社の事例が、下請け脱却や、自社の強みの生かし方を模索する企業の参考になればと願っている」
(取材・文=村上授)
00年(平12)関西外大外国語卒。コピーライター、書籍編集者を経て08年にフリーランスの編集ライターとして独立。ビジネス書やビジネス情報誌の取材・執筆を中心に活動し、これまで企業経営者など500人以上に取材してきた。兵庫県出身、41歳。
『奇蹟のネジ』(幻冬舎メディアコンサルティング 03・5411・6440)>
日刊工業新聞 2018年10月1日