揺れる東芝「半導体から初の社長」悲願がこういう形で・・
セミコン社のDNAとは?室町会長兼社長の素顔は?
西田氏の社長昇格時にライバルが2人いた
<2005年2月23日付>
“ポスト岡村”には西田厚聡専務の他に実は2人の候補がいた。前セミコンダクター社社長の古口榮男執行役専務とデジタルメディアネットワーク社社長の藤井美英執行役上席常務。藤井氏は現職の前はセミコン社の副社長で、両者は共に半導体畑である。東芝は05年3月期の営業利益計画1600億円のうち半分を半導体事業が稼ぐ構造。歴代社長の中でまだ純粋な“半導体族”はいないものの、収益面でも人材登用でも最近はその重要性が高まっていることがみてとれる。
「中川(剛副社長)さんの時から東芝の半導体事業は変わった。浜松町の本社にサプライヤーを集めて『協力を頼む』と頭を下げたのはあの人が初めて」。国内製造装置大手の幹部は、勝ち組といわれてきた東芝の強さを指摘する。米アプライド・マテリアルズなど海外製が多かった装置購入も、日本企業に門戸を開放するなど前例踏襲主義から決別。東芝ファンが増え、仕入れ先からの情報も掴(つか)みやすくなった。その“中川イズム”は古口氏、現在のセミコン社社長の室町正志執行役常務に引き継がれている。
「売価ダウンが嫌なほど続いている」(笠貞純執行役専務)。上昇気流に乗っていった半導体事業はここにきて急降下。04年度第3四半期(10―12月)の営業利益はわずか34億円で前年同期比から300億円以上も減少。利益の6―7割を占めるNAND型フラッシュメモリーの価格下落が収益悪化につながった。
「2ギガや4ギガビットなど大容量品の需要が予想ほど伸びなかった」(笠氏)というが、需要より供給コストでライバルの韓国サムスン電子に遅れたとみた方が正確だろう。「サムスンに比べ明らかに生産能力は劣っている。しかもサムスンは新規参入組に利益を出させないため価格を一気に引き下げる戦略に出た」(国内大手商社)。
03年までNANDフラッシュ市場はサムスンと東芝の2社寡占状態。ところが04年に入ると、韓国ハイニックス半導体など3、4社が本格参入し競争が激化。ただアイサプライの調査によると、サムスンは前年比で5・4ポイントシェアを上げたのに対し、東芝は逆に4・1ポイント下げている。
21日開かれた四日市の300ミリメートル新工場の竣工式の場で、すかさず生産前倒し計画を発表。04年度の設備投資額も過去最高の2030億円になる。室町セミコン社社長は四日市工場長、メモリ事業部長を務めてきただけに、フラッシュへの思い入れは人一倍強い。
もともと東芝の半導体事業は社内でも独立色が強く外販が9割近くを占める。昨年、自社のセット機器とよりシナジーを発揮する方針を打ち出し、そのキーマンに藤井氏が指名された。ソニーなどと共同開発中の高性能プロセッサー「セル」などはまず自社製品への搭載が優先される。
「西室―岡村体制」はセミコン社の戦略に理解力があった。今回、西田氏が社長に昇格することで、直言居士として存在感のあった中川副社長などは退任する可能性が高い。今後、「西田・藤井・室町」のトライアングルがどのような距離感を保つのか興味深い。
(肩書き、年齢は当時)
大分工場長に就任した若干50歳の室町氏
<2001年2月20日付>
温かい県民性に加え、食べ物がおいしく、温泉や好釣り場が豊富で楽しみ」と大分工場着任の印象。大分で生活するのは初めてだが、DRAMの開発から量産立ち上げまで長く携わってきた関係で、大分は何度となく訪れた地。1月1日付で現職に。大分工場は創業30年という歴史と伝統ある工場。この工場が世界トップを誇った1メガビットDRAM製品の開発も担当した。
64キロビットDRAMの開発途上に、「新聞で“東芝がDRAMから撤退”と報じられ、ショックを受けた」ことも。技術開発の遅れが要因だが「このときの苦労が1メガDRAM開発のバネになった」と、苦労を振り返る。
システムLSI重視に方向転換した大分工場にあって「人的資源もそろっており、システムLSIで世界トップを目指す」が近い将来の目標。「メモリーの文化を移入するのが役目かも。寿命が短く、顧客の顔が見える製品だけに満足いく製品をいかに早く提供するか」と闘志を燃やす。
「継続は力」を信条とする。趣味はゴルフと釣り。神奈川県藤沢市の自宅に夫人と大学生2人の息子を残し単身赴任中。神奈川県出身、50歳。
(肩書き、年齢は当時)