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「国境なき医師団」を突き動かす“共感”の持つチカラ

<情報工場 「読学」のススメ#53>『「国境なき医師団」を見に行く』(いとうせいこう 著)
**ザトウクジラはなぜシャチからアザラシを救ったのか
 海洋哺乳類のシャチは、英語で「Killer Whale(殺し屋クジラ)」と呼ばれるように、獰猛な肉食性でペンギンやアザラシ、イルカなどを襲って捕食することがある。このシャチの攻撃から他の種を「守る」行動が見られる動物がいるのをご存知だろうか。ザトウクジラという体重30トンほどのクジラの一種だ。

 動物が同じ種の仲間を守るのは、種の保存の観点から当然と考えられる。だが、ザトウクジラは、シャチに襲われたアザラシやマンボウ、コククジラなど、縁もゆかりもない動物や魚を救出するというのだ。

 たとえばアザラシの場合。シャチは群れで行動し、1頭あるいは親子でいる獲物を海に突き落として窒息死させる。ある時、シャチによって流氷上から海に落とされたアザラシにザトウクジラの群れが近づき、1頭のクジラの胸ビレの間に乗せてあげているのが観察されたそうだ。それを見たシャチは諦めて立ち去ったという。

 ザトウクジラがなぜこのような利他的行動をとるのか、詳しくはわかっていない。推測だが、ザトウクジラは「自分たちも同じ目にあうかもしれない」と思ったのではないだろうか。大人のザトウクジラは大きいのでシャチに襲われることはあまりないというが、小さな子どもが標的になることはあるからだ。

 こうしたザトウクジラの行動を促したのは、人間でいえば「共感」にあたるのかもしれない。『「国境なき医師団」を見に行く』(講談社)は、「共感」について深く考えされられるノンフィクションだ。

 同書の著者、いとうせいこうは、サブカルチャーに少し詳しい人なら誰もが知る作家・クリエーターだ。活字・映像・音楽・舞台など幅広く活躍している。みうらじゅんと一緒に全国の仏像を見て回る『見仏記』や、田口トモロヲ主演のドラマ『植物男子ベランダー』の原作『ボタニカル・ライフ』などの作品で知られる。野間文芸新人賞を受賞した『想像ラジオ』は、芥川賞・三島賞の候補にもなった。

 『「国境なき医師団」を見に行く』は、タイトル通り、1971年にフランスの医師とジャーナリストによって結成されたNGO(非政府組織)「国境なき医師団(MSF)」の活動現場を訪ねた際の経験を綴ったルポルタージュだ。

 

 MSFは現在、七十数ヵ国に展開。所属する多国籍の医師やスタッフが、紛争地や被災地、難民キャンプ、貧困地域、性暴力が多発する地帯などに赴き、医療や心理ケア、水・衛生管理などを行う。1999年にはノーベル平和賞を受賞した。

 いとうさんがMSFと関わりをもったのは、ひょんなきっかけからだった。ツイッター上で知り合った傘屋さんと一緒に「男日傘」という男性向けの日傘を作って売り出したところ、パテント収入があったのでMSFに寄付した。それと、SNSでMSFの活動を拡散したことなどから、MSFジャパンの広報がいとうさんに興味を持ったそうだ。広報から取材を受けたいとうさんは、逆にMSFの活動を取材したいと依頼。2016年春から2017年夏にかけて、ハイチ、ギリシャ、フィリピン、ウガンダの現場を訪ねた。

ギリシャの難民キャンプで気づいた「たまたま彼らだった私」


 いとうさんは、各地でMSFの献身的かつ的確な活動を目にし、人間の「尊厳」や「共感」「希望」について考察していく。中でも共感について重要な思考の手がかりが得られたのが、ギリシャの難民キャンプへの訪問だった。

 取材当時、ギリシャにはすさまじい数の難民が、シリアをはじめ各地から押し寄せていた。紛争が続くシリアからの難民の方々は、受け入れに寛容な政策をとるドイツなどをめざし、トルコやマケドニア、セルビアなどを経由してギリシャに渡る。

 ところが、2016年春に締結された「EU-トルコ協定」によって、不法移民と判断されたシリア難民や、シリア以外の地域からの難民がEUに渡れなくなった。そうした人々はトルコに戻されるのだが、せっかくギリシャまで来た難民たちは動きたくない。そのため、いくつもの難民キャンプができることになったのだ。

 いとうさんは、ギリシャの難民キャンプで働くMSFのスタッフが、一人ひとりの難民の方々に「敬意」をもって接しているのに気づいた。「施す人」と「施される人」の関係とは明らかに違っていた。難民の方が現れると、サッと椅子から立ち上がり席をゆずるといった何気ない行動からも、MSFスタッフが「人間の尊厳」を重んじていることが感じられた。

 「たまたま彼らだった私」「たまたま私であった彼ら」というのが、いとうさんの気づきだ。時間と空間がずれていたら、もしかしたら自分が難民の方々と同じ状況になっていたかもしれない。難民は自分であり、自分は難民、何の違いもない。この感覚と思考こそ、「共感」と呼ぶべきものなのだろう。

 「共感」と「同情」は、似ているかもしれないが、まったく別物だと思う。同情も温かい感情ではあるのだが、意識せずとも相手を下に見てしまいがちなのではないか。「相手は自分とは違う“かわいそうな人”だ」「自分じゃなくてよかった」といった思いがあるのかもしれない。

 共感には“かわいそう”という感情はあまり入り込まないのではないか。また、自分と相手を比較しない。「自分じゃなくてよかった」ではなく「自分だったかもしれない」と考える。

 単なる同情からは慰めの言葉は出るかもしれないが、具体的行動には結びつきづらいのではないか。対して共感は、相手を「たまたま彼らだった私」と捉えるために、自分自身のためにも「自分にできること」をするという行動につながりやすい。

 MSFのスタッフは、自らの行動を「傷に絆創膏を貼る」とたとえることがあるという。難民問題のような深刻で入り組んだ問題は、少しずつでも各国の政府が解決していくしかない。MSFができるのは「共感」を原動力にして困っている人たちに接し、「何が起きているか」を伝えること、そして“絆創膏”を貼って血が流れるのを止めることだ。

 ザトウクジラも、シャチの捕食行動を止めることはできない。ただ、自分たちを守るためにも、助かる命を救っているのだ。

(文=情報工場「SERENDIP」編集部)

『「国境なき医師団」を見に行く』
いとうせいこう 著
講談社
392p 1,850円(税別)
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冨岡 桂子
冨岡 桂子 Tomioka Keiko 情報工場
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は昨年、世界の難民・避難民の数が過去最高の6560万人に上ったと発表した。日本は、米国に次ぎ2番目に多い資金を国連の難民対策部門に支出している(2014年実績)が、実際の難民受け入れ人数はあまりにも少ない。2011年以降、難民申請をした63名のシリア人のうち認められたのはわずか3人なのだ。日本の難民認定基準の厳格さが理由だ。こうした状況はすぐに変わるものではない。だが、紛争や宗教による対立のない日本は、いろいろな国や地域のさまざまな状況の人々に手を差し伸べられるはずだ。国レベルではなくても自分個人として「できること」を考えたい。

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