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消費を左右する“オタク”集団「ファンダム」の熱狂

<情報工場 「読学」のススメ#51>『ファンダム・レボリューション』
**日本の「オタク」はいつ頃出現したのか
 「オタク」という言葉が世に出回りだしたのは、いつ頃だろうか。
 諸説はあるが、どうやら初めて出現したのは1970年代末頃らしい。ただ、80年代初めに、数人の仲間と一緒にアイドルを追っかけていた身としては少々違和感がある。当時のわれわれの行動は「オタク」そのものだったが、誰にもそう呼ばれていなかった。

 調べると、コラムニストの中森明夫氏が『漫画ブリッコ』で83年に「『おたく』の研究」という連載を始め、それが「オタク」という呼称が広まるきっかけになったとのことだ。おそらく80年代後半から90年代初頭にかけて、一般にも使われるようになったのだろう。

 知っている人も多いだろうが、オタクという言葉は、コミケ(コミックマーケット)などに集うマニアたちが、お互いを「お宅」という二人称で呼び合っていたことに由来するのだという。これはオタクが、初めから「他者」を前提として成り立っていたことを意味するのではないか。
  

 『ファンダム・レボリューション』(早川書房)は、原書『Super fandom』が米国で出版されており、日本の「オタク」を論じた本ではない。しかし、同書のテーマである「ファンダム」は、日本の「オタク」とほぼ同義と解釈していいのではないだろうか。

 同書では、特定のコンテンツや商品、人物などに熱狂する集団や、その活動を「ファンダム」と呼んでいる。そして、米国の人気クラウドソーシング・ホビー会社「スクイッシャブル」の共同創設者である二人の著者が、自分たちのビジネスでの経験などを踏まえつつ、ファンダムの特性や、企業が彼らといかにつき合うべきかを、豊富な事例(失敗例も含む)とともに論じている。

 現代は、ファンダム(日本でいうオタク)に頼らなければモノが売れない時代になってきているようだ。CDがその典型だ。少なくとも日本でCDを買っているのは、いわゆる「アイドルおたく」が中心だ。しかもCDの「モノ消費」が、「握手券」などが目当ての「コト消費」に転換されている。これからの消費経済を考える上では、ファンダムと、ファンダムによるコト消費を無視するわけにいかないのだろう。

インターネットがファンダムの台頭を助長


 さて、ここにきて、なぜファンダムが台頭してきているのか。近頃の物事の変化はたいていインターネットの普及によるものだが、ファンダムも例外ではない。

 インターネットが登場する前のファンやマニア、オタクは、それほど集団的な活動にこだわっていなかったように思う。もちろん仲間はいて情報交換をしたりはしていたが、範囲は限られていた。むしろ、一人でコツコツとモノを集めたりする延長で、徐々に仲間を増やしていくような感じではなかったか。

 情報収集の手段の中心は雑誌だった。専門誌がたくさんあった。公式ファンクラブも情報源や仲間をつくる媒介として重要だった。そして熱心なファンたちは、自分たちでミニコミ誌や同人誌を発行したり、私設ファンクラブを結成したりした。

 こうした活動が、インターネットやSNSによって、とてもやりやすくなった。情報は、(真偽は怪しいものの)より広く、深く集めることができ、地球の裏側にいる同好の士を見つけることも可能に。こうして広範囲にわたる、“濃い”熱狂集団=ファンダムが形成されていったのだ。

熱狂の対象が自己のアイデンティティと一体化


 『ファンダム・レボリューション』には「人はみな自分が独特で特別だと思いたがる。その一方で所属感を感じたがる。ファンダムはこの矛盾をうまく解決してくれる」とある。また「ファンダムの目的は、魂のない商業的なコモディティに、個人の生きがいを吹き込むこと」という記述もある。

 つまり、ファンダムの「熱狂するファンたち」は、ファンオブジェクト(有名人、ブランド、組織、娯楽。映画、本、音楽といったファンが熱狂する対象)が自己のアイデンティティそのものになっているのではないか。以前のファン活動は、あくまで「趣味」であり、誰か(何か)のファンであるということは、アイデンティティの「補完」でしかなかった気がする。

 自己のアイデンティティの形成や強化には「他者」の存在が欠かせない。他者に認められるかどうか、あるいは「どう見られるか」によって、アイデンティティが確立していくものだからだ。

 インターネットやSNSでファンダムの範囲が広がり、多数の「他者」(ファン仲間)と交流を持つことで、ファンとしての(ファンオブジェクトと一体化した)アイデンティティはますます強化されていく。そしてそれにより、ファンダムの熱狂がさらに加熱していく。

 そんな時にファンオブジェクトが意にそぐわない発言や行動をしたり、企業が勝手に商品の仕様変更をしたりすると、ファンは自己のアイデンティティが傷つけられたり、壊されたと感じる。それゆえ、たとえそれがファン以外にとっては些細なものであったとしても、「反乱」「不買運動」「炎上」といった、企業や有名人にとっておぞましい現象が起きてしまうのだ。

 ただ、ファンはむやみにファンオブジェクトの提供者である企業に反抗することはない。明らかに「ファンを利用している」とわかっているイベントやキャンペーンであっても、進んで参加したりもする。それが楽しめるものであり、企業の意図が理解できるものであれば構わないのだ。ただし「利用される」かどうかは、ファン自身が決める。企業やファンオブジェクトのためになるというよりも「自分が気に入るものであるか」が問題なのだ。

 ファンダムとうまく付き合うには、「ファンになってみる」しかないのかもしれない。一緒にファン活動をするという意味ではない。企業の広報や開発担当者が「ファンの気持ちになって考える」習慣をつけるだけでもいい。そのためにはまず、少しでもファンダムの生態や価値観を知ろうとする姿勢を持つことが重要なのだろう。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)
『ファンダム・レボリューション』
-SNS時代の新たな熱狂
ゾーイ・フラード=ブラナー/アーロン・M・グレイザー 著
関 美和 訳
早川書房
304p 1,700円(税別)
冨岡 桂子
冨岡 桂子 Tomioka Keiko 情報工場
 TwitterなどSNSには様々な企業アカウントがあり、面白い発信をするアカウントは時々話題になっている。このファンダムをベースに考えると、単純にSNSの向こう側にいる大人数に面白いことを発信するだけでは足りなさそうだ。「ファンの気持ちになってみる」ためにも、SNSを通じて、ファンダムに教えを乞うと新しい発見があるかもしれない。

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