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【樋口泰行】ハーバード・ビジネススクールで得た経験と友

パナソニックへ復帰した「プロ経営者」を作った基盤
【樋口泰行】ハーバード・ビジネススクールで得た経験と友

ハーバード・ビジネススクール時代(樋口さん(左)と新浪さん

 《2017年4月にパナソニックのbツーb(企業間)事業を主に担当するコネクテッドソリューションズの社長に迎え入れられた樋口泰行専務執行役員。ヒューレット・パッカード、ダイエー、日本マイクロソフトの社長を務めた「プロ経営者」を代表する一人だ。そんな樋口氏は大学卒業後、松下電器産業(現パナソニック)に入社。溶接機の製造販売事業、IBMの業務用コンピューターのOEM(相手先ブランド)生産を手がける部署を経験した後、1989年にハーバード・ビジネススクールに留学する》

MBAと聞いてもピンと来なかった


 元々、技術留学志望だった。ところが、当時の上司が私に勧めたのはMBA(経営学修士)。当時は、まだMBAはポピュラーではなく、「理系は理系、文系は文系」と完全に分けられていた時代だ。正直、その場ではMBAと聞いてもピンと来なかった。

 授業の成績は相対評価で下され、最低評価が一定数に達すると、2年生に進学できずに退学者が出る。私は授業が始まる3カ月前にハーバード大学が立地するボストン暮らしを始め、英語集中学習コースに通いつめた。技術関連の知識なら、必死に努力すれば短期間でなんとかなっても、英語は一朝一夕には身につかない。ある日本人同士の懇談会に出ても、まわりは英語ぺらぺらの帰国子女ばかり。「日本人の顔をした外国人」にしか映らなかった。

憂鬱な気分で迎えた授業初日


 授業中の発言内容が成績に直結するため、英語でうまくしゃべることができないというハンディキャップは重く響く。逆に驚くほど数字に弱いのに、話し方のうまさだけで何とかしてしまう人もいた。

 一方の私は英語で話ながら論理構成を組み立てることはできず、事前に紙に書き下ろした内容を話すのがせいぜいだった。そもそも英語の聞き取りが難しく、今、何の議論をしているのか分からない。そこで、講義の最初に発言するようにした。

 すでに他の人が発言した内容を重複することはないし、多少ピントがずれた内容であっても、まだ周囲も頭がフル回転していないから、何とか乗り切れる。毎回、教室に入るときは自身に活を入れた。発言は毎度、相当の度胸が必要だった。(議論の流れとかみ合ってない発言をしたときなど)穴があったら入りたいくらいの恥ずかしい思いもした。

 こうした日々を振り返って、いい印象は全くない。日々、日本に帰りたいと思った。特に金曜日の夜は酒の力に頼ることが多かった。寮の部屋で飲んでばかりでは気がおかしくなりそうだったので、自ら尻をたたいて、夜のパーティに顔を出したこともある。

 だが、いかんせん英語ができないので、結局は会場の隅で独りで飲むことになる。ある夜は独りで飲んでいたら、気がついたら教室の前に立っていた。夜間は鍵がかかっていて入れない。その閉ざされた扉をバンバンたたき、「帰りたい、帰りたい」と連呼するほど、精神的に追い詰められていた。

糟谷君と新浪さん


  ハーバード・ビジネススクールでは、1年目は学生同士で勉強会を開催することが推奨されている。講義終了後、まず一人でテキストを読むなどして準備をし、夜に勉強会が始まる。そこでは、私が理解できていない部分を仲間にフォローしてもらえる。外国人と勉強会を組む人もいるが、英語が苦手な私は日本人同士による勉強会に参加した。

 深い雪の上で円陣を組んで励まし合ったこともあった。その一人、糟谷敏秀君(経済産業省経済産業政策局長)は数少ない海外生活経験のない物同士だった。彼は当時から製造業に明るく、タクトタイムの計算などを得意としていた。新浪剛史(サントリーホールディングス社長)さんは私から見れば、まじめというよりは、とにかく要領を得るのがうまかった。

 当時、ハーバード大学に留学する日本人といえば、経済学部出身で、金融機関に数年勤めてから留学する20代半ばの若者が多かった。彼らは頭は切れるが、バックグランドが似ているので、どうしても発言内容も似てしまう。

 一方の私は松下電器の駆け出しのころ、溶接の技術者としてハンダゴテを片手にモノづくりの現場を駆けずり回っていた。そんな人間はハーバード・ビジネススクールにはまずいない。表現力はなくとも、(製造現場やメーカーの視点からすると…)といったように、実務経験に根ざした発言ができたことが強みになったのではないか。

異文化は五感を働かせてこそ理解


 理論上は2年生でも落第は起こり得る。そのため、私は相対評価ではなく、落とされにくい絶対評価の授業を優先的に選んだ。本来は土地勘のない分野を勉強すべきかもしれないが、製造業や技術といった得意な分野ばかりを受講した。「落ちない」ことが判断基準だったからだ。(こうして卒業したことへの反省から)やり直したいという気持ちがまったくないわけではない。
 
 子どものころ、「人を押しのけて話してはいけない」と言われて育ってきた。だが、ハーバード・ビジネススクールを授業ではそんな心持ちではだめだ。授業ごとに気合いを入れ、鬼気迫る思いで発言してきた。

 そんな日々だったものだから、松下電器に戻ってからは、ずいぶんアグレッシブな性格になっているなと我ながら感じたものだ。社内で働いていても、「日本人はしゃべらないな」だとか、「しゃべらないのはフェアじゃない」なんて思ったこともあった。

 よくMBAを取得する意義や、MBA取得後のキャリア計画についての質問や相談を受ける。私は、まずはそうしたことを忘れて、一所懸命に毎日を過ごすのが一番だと考えている。

 情報化社会でも、アナログな情報はアナログなところにもっとも集まる。ビジネスの最先端を目指す精鋭達が議論を戦わせている現場で、その空気を吸うだけでも意味はある。

 多様性を学ぶ機会としても貴重だ。異文化は五感を働かせてこそ理解できる。こんな人がこんな生活をしているといったことを現地で目の当たりにしてこそ、異文化を納得できることもある。
2017年4月にパナソニックに復帰した樋口氏

(文=大阪・平岡乾)
 
日刊工業新聞2018年1月24日の記事を加筆
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
ともに「プロ経営者」と言われる樋口さんと新浪さんがハーバードで同窓だとは知らなかった。写真は今の面影がかなり残ってますね。

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