世界シェアはわずか1%、「SUBARU」社長はなぜ死ぬほど考えるのか

他社もうらやむ個性、それでも再び試練が訪れる時に備える

 4月1日。富士重工業は社名を「SUBARU」(スバル)に変える。社名とブランド名の統一は、スバルブランドを磨き上げ、世界で唯一無二の車メーカーとして生き残るための強い決意の表れだ。自動運転やカーシェアリングの台頭など自動車業界は転換期を迎える。富士重は世界市場で個性を生かした戦いに挑む。

 「しびれるくらいいい車」。7日開幕したスイス・ジュネーブ国際モーターショー。新型スポーツ多目的車(SUV)「スバルXV」の完成度に社長の吉永泰之は満面の笑みを浮かべていた。「安全性でナンバーワンを目指す」。多くの来場者を前に吉永は力強く語った。

 自動車の世界シェアはわずか1%。規模は小さいけれど強い会社。富士重にはこんな企業イメージが定着してきた。「うちもスバルさんみたいに個性を伸ばして勝ち抜きたい」。

 ある中堅車載機器メーカー幹部は、富士重をモデルに自分たちの強みは何かを模索している。富士重は日本企業の成功のロールモデルの一つになった。

 しかし、今に至るには大きな苦難があった。90年代以降、経営陣は自動車業界での生き残りに向けもがいていた。規模ではトヨタ自動車や日産自動車、ホンダには遠く及ばず、埋没していた。

 「長所を伸ばすのが小さな会社の生きる道」。吉永ら経営陣が導き出した答がこれだ。

 そして富士重には前身会社、中島飛行機から引き継がれる“安全”への強いこだわりがあった。創業のDNAである安全へのこだわりを個性と認めた時、スバル車は輝きを取り戻し、安全はスバルのブランドになった。運転ミスによる死亡事故を減らした運転支援システム「アイサイト」はその象徴だ。

 「死ぬほど考える」とは吉永が大きな決断の振り返りでよく口にする台詞。朗らかで笑顔を絶やさない吉永のもう一つの顔だ。

 吉永は11年の社長就任後、軽自動車生産、風力発電など非中核事業からの撤退を加速した。9月末には黒字だった汎用エンジンを生産する産業機器事業から撤退し、自動車への集中を鮮明にした。

 16年度は自動車の世界販売が初めて100万台を突破する。10年間で台数はほぼ倍になった。ただ規模を追うのではなく「個性的な商品で付加価値を認めてもらい利益率を高める」(吉永)。

 スバルを確固たる世界ブランドに昇華する時期に入った今、吉永は「スバル」を社名とすることを決断した。

 富士重の根底にある強さは社員一人一人が持つ会社への強い愛情だ。「これまで厳しい局面ばかり経験してきたからだろうか。連帯感が強く、役員同士の足の引っ張り合いがない。そんなことをしたら会社が駄目になるってみんな分かっているから」と吉永は笑う。

 電気自動車(EV)、自動運転、コネクテッドカー(つながる車)―。車をめぐる競争環境が大きく変わり、再び試練の時が訪れるかもしれない。その時はSUBARUの名の下、六連星はより強固に結束し、次の100年を切り開く。
(敬称略)
               


※日刊工業新聞では現在「挑戦する企業 富士重工業編」を連載中
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日刊工業新聞2017年3月14日

明 豊

明 豊
03月20日
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「死ぬほど考える」という言葉にはさまざまなステークホルダーのことを背負っている重みだろう。

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