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『キラキラネームの大研究』~栗下直也のビジネスに効くかもしれない新刊

未来の職場は大混乱?(新潮社新書)
 「煌理」、「一蕗」、「琉翔」、「陽智」、「未夢」

 果たしていくつ読めるだろうか。順に「きらり」、「いぶき」、「りゅうと」、「ひさと」、「みお」と読む。

 これらの名前は、秋田県の人口3万7000人程度の都市が発行する広報誌に掲載された「誕生おめでとう」からの抜粋であるという。「変わった名前だけ抽出して、全てのように語るな」と突っ込みを入れられそうだが、著者は「読み方が掲載されていなかったら読めない名前がほとんど」と語る。約100の名前が載っているが、私も残念ながら7割は読めなかった。

 従来の漢字のとらえ方では読むのが難しい「キラキラネーム」が広がりをみせている。馬鹿な親が増えていると片づけるわけにはいかない。「けしからん。日本語が崩壊する」と叫んでも意味がない。いくら嘆こうが、わめこうが、あなたや私の周囲がキラキラネームで溢れる未来がそこまで迫ってきているのである。

 本書では日本語の歴史を辿ることで、キラキラネームの由来を明らかにする。意外に思われるかもしれないが、キラキラネームは日本語の宿命であり、キラキラネームの大繁殖は皮肉にも戦後直後の悲願が叶った姿と言っても過言ではないのだ。

 日本語は和名に漢字を当てはめたために、言葉のつくりに無理があるという。時代をさかのぼればさかのぼるほど顕著で、平安時代に清少納言が枕草子で違和感を表明している。「覆盆子(いちご)」、「鴨頭草(つゆくさ)」、「苺苺苺(まりなる)」。いずれも、クイズミリオネアの世界であり、現代人の大半は読むのに苦労するだろう。

 平安時代までさかのぼらなくても、明治期にも「紅玉子(るびこ)」、「元素(はじめ)」など難解な名前は少なくない。

 変わった名前と言えば森鴎外の子どもが有名だ。長男は「於菟(おと)」で長女は「茉莉(まり)」、次女は「杏奴(あんぬ)」。カタカナ表記が似合いそうな外国人風の名前(オットー、マリー、アンヌ)だった。

 こうした事実を指摘して、キラキラネームを「先祖返り」と喜ぶ奇特な人々もいるらしが、本書では一蹴する。

 読みにくい点では同じだが、キラキラネームは長い間をかけて体系化され、洗練された字源や字義を全く無視しているところがこれまでと異なるという。 鴎外は外国でも通ずる響きを重視したのは知られているが、「於菟(おと)」は響きだけでない。中国の儒教書のひとつ『春秋』の注釈書の中の表記である「穀於菟」(虎に育てられた男)に由来する。漢籍の表記に依拠した正統派の文字遣いなのである。

 一方、最近は例えば、「心太」と書いて、しんたと呼ばせるケースがある。一般的に心太は「ところてん」である。一昔前ならば「『ところてん』って学校でイジメられる」と親の頭をよぎるはずだが、迷うことなく名付けてしまう。

 デザインが格好良いとの理由で「胱」を名前で使えるよう希望する親もいるという。「月に光でオシャレ~」という発想らしいがよく考えれば、いや深く考えなくても「胱」は地平線の彼方まで突き進んでも、「膀胱」の「胱」である。「中がうつろになった内臓」という意味である。最悪の字義である。

 著者が嘆くように、響きとデザインのみを重視する姿勢は外国人が変な漢字のタトゥーを好むのと大差ない。字義や字源を無視した漢字の用い方は、かつて漢字があまりにも難解であったことの裏返しであると著者は指摘する。

 第二次世界大戦後の教育改革で欧米に追いつくには難解な漢字が障壁になっているとの意見が主流になった。庶民だけでなく、大手新聞社や志賀直哉など文学者も「漢字を廃止せよ」と声高に叫んだ。その結果、一般的に使う漢字は削減された。

 戦後直後は顕著で、名前に使える漢字も激減した。1948年から3年間は現代では一般的な「弘」や「稔」、「也」も「智」、「宏」、「彦」が名前に使えない時期があった。大和田伸也も安岡力也も荒俣宏も生まれるのが一年遅れたら、全く別の名前になっていたのである。(いずれも本名同じ、47年生まれ)。

 皮肉にも漢字軽視の流れが70年経ち、その狙いが叶ったとき、キラキラネームが生み出される土壌が整ったというわけだ。とはいえ、今更、キラキラを放逐し、漢字文化の復興をと叫んだところで、我々が生きている間にそのような時代は到来するわけがない。本書が示すように言語文化は一朝一夕には変わらない。市井の会社員としては、現状を嘆くよりはキラキラへの耐性を強めるしかないのだ。

 本書ではキラキラネームのルーツを辿る壮大な試みの一方、難読な名前を簡単に読む法則を紹介している。キラキラネームに囲まれた社会で部下の名前が読めなくては話にならないではないか。「職場では部下を苗字でしか呼びません」と言われればそれまでだけれども。

 <書籍紹介> 「キラキラネームの大研究」(著者=伊東ひとみ)
 ●発売日2015年5月16日
 ●定価842円(税込み)
 ●主な内容
 苺苺苺と書いて「まりなる」、愛夜姫で「あげは」、心で「ぴゅあ」。珍奇な難読名、いわゆる「キラキラネーム」の暴走が日本を席巻しつつある。バカ親の所業と一言で片づけてはいけない。ルーツを辿っていくと、見えてきたのは日本語の本質だった。それは漢字を取り入れた瞬間に背負った宿命の落とし穴、本居宣長も頭を悩ませていた問題だったのだ。豊富な実例で思い込みの“常識”を覆す、驚きと発見に満ちた日本語論。(新潮社ホームページより)
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日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
キラキラネームが読みにくいひとつの原因は訓読みの都合の良いところを切り取ってしまうところにあるとか。例えば「大輝(だいや)」。普通に読めば、「だいき」ですが、「輝く(かがやく)」の「や」だけ切り取り(だいや)。最初は開いた口がふさがりませんでしたが、悲しいのか嬉しいのか、本書を読むとキラキラが普通に読めてきます。。。まあ、「在海(あるふぁ)」のように全く読めないものもありますが。

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