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将来有望な「勉強できる子」を“卑屈化”させる日本人の過度な平等意識

<情報工場 「読学」のススメ#30>『勉強できる子 卑屈化社会』(前川ヤスタカ 著)
**勉強ができることで周囲から白い目で見られる
 「学校の勉強なんかできたって、将来実社会では役に立たないぞ」
 こんな言葉を、小・中学生くらいの子どもに投げかける大人がいる。もしかしたら、あなた自身がそう信じ、子どもに言い聞かせているかもしれない。

 大人にしてみれば、これはある一面真実に違いない。確かに、たかが小中レベルの学力で乗り切れるほど現代社会は単純ではない。

 しかし、言われた子どもにしてみたらどうだろう。
 親は「この子の将来のために」と思って、子どもに勉強を“させている”かもしれない。だが、はっきりと将来のことを考えて勉強に励む小・中学生など、ほとんどいないのではなかろうか。
 大半の「勉強できる子」は、素朴な知識欲や好奇心から、もしくは目の前の問題を解いて正解するゲーム的な面白さ、達成感を求めて勉強に励んでいるような気がする。

 それなのに、将来のために打算的に勉強をしているように言われてしまう。
 周囲のクラスメイトに良い成績をとったことを告げれば、「自慢か」と嫌味にとられ、白い目で見られる。勉強ができるがゆえに肩身の狭い思いをし、できるだけ自分からは周囲に成績を言わないようになる。あまつさえそれを隠すようにもなり、鬱屈した、“卑屈”な態度をとる子どもになっていく。

 本書『勉強できる子 卑屈化社会』では、そんな日本特有と思われる「勉強できる子」にまつわる現象とその原因、対策などを論じている。

 

 著者の前川ヤスタカさんは上海在住のサラリーマン兼業ライター。前川さんが「勉強できた子あるある」をツイッターに連続投稿したところ、予想外の反響があったという。どうして「勉強ができること」が素直に賞賛されず、逆に引け目を感じさせられるようになるのか。本書では、その答えを求めて教育史やメディア史(歴代の学園テレビドラマにおける「勉強できる子」の描かれ方など)などを掘り下げていく。巻末には東大卒の漫画家・エッセイストの能町みね子さんのインタビューも収録。

 ここで少し告白すると、私(本記事の筆者)自身も、かつてまぎれもない「勉強できる子」だった。東京郊外のごく普通の公立小学校から、日本でトップクラスの難関中高一貫校に進学した。本書に書かれているような「あるある」は、能町さん同様、身をもって経験してきたことばかりだ。見事に「卑屈化」した私は、今でも、どうしても必要でない限り出身校を自分から他人に言うことはない。

 「卑屈化」とはどういうことか。人によっても違うのだろうが、一言でいえば「自分に自信がもてなくなる」ということではないか。また、勉強に嫌気がさして落ちこぼれたり、いらぬコンプレックスを抱え込み、思い切ったチャレンジをしなくなったりする。一般論として、そのせいでせっかくの素質や意欲を持った人材が十分に活躍できないとしたら、社会にとって大きな損失なのは間違いない。
ニュースイッチオリジナル
冨岡 桂子
冨岡 桂子 Tomioka Keiko 情報工場
勉強できる子の「卑屈化」は、単に、子どもに自信を持たせなくなるだけでなく、日本社会から大きなものも失わせていると感じる。本来なら知的好奇心をもち様々な発見をしたかもしれない可能性をつぶす。それはひいては、日本でイノベーションが起きる可能性をつぶすことにもなる。イノベーションは同質性からは起きない。日本文化の特徴である「和」そして「同質性」の良い面と、その逆である「多様性」を認めること。このバランスをどうとるかが日本の今後の鍵になると思う。

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