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良質な科学の入り口が狭まる

「Newton(ニュートン)」の発行元が民事再生手続き
良質な科学の入り口が狭まる

「ニュートン」公式ページより

 第2次石油危機後の疲弊がまだ残っていた1981年(昭56)、月刊科学雑誌『ニュートン』が誕生した。編集長は地球物理学の泰斗で東京大学を退官した竹内均氏。当初の発行元は教材「トレーニングペーパー」で知られた教育社。

 この年は米国のスペースシャトル初号機「コロンビア」が打ち上げに成功。京都大学教授の福井謙一氏が日本人初のノーベル化学賞に輝いた。江崎玲於奈氏の物理学賞以来、7年ぶりの日本人受賞に国民は歓喜した。

 『ニュートン』の成功を受け、出版各社は相次いで科学雑誌を創刊。学習雑誌とは別に大人が新発見や新技術に親しみ、楽しむ習慣を広めた。日刊工業新聞社も雑誌『トリガー』を創刊して一翼を担った。

 科学技術が今よりみずみずしく、身近であった気がする。超電導ブームや、クォークの性質など素粒子論の発展。ビッグバン理論や、今日の人工知能につながるエキスパートシステムにワクワクした“科学中年”は少なくないはずだ。

 その後のITブームの台頭で、科学雑誌の多くは休刊。現在『ニュートン』を発行するニュートンプレス(東京都渋谷区)も20日、民事再生の申請に追い込まれた。良質な科学の入り口が狭まることが残念でならない。
日刊工業新聞2017年2月21日
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役ブランドコミュニケーション担当
会社側は「雑誌を維持、存続させることが、課された社会的使命と考え、全力で再建に臨みたい」とするコメントを出している。東京商工リサーチによると2000年ごろからデジタルコンテンツ事業に投資を行ってきたが、想定以上に収益が上がらなかったようだ。元代表らの逮捕はひとまず置いておいて、しっかりコストをかけたコンテンツをどう収益化していくか。いろいろな視点から多くの人が議論し挑戦しているが、コンテンツの「質」だけの問題ではない。

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