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【追悼2016】経営者たちは後世に何を残したか

【追悼2016】経営者たちは後世に何を残したか

左から秋草氏、中央上は森下氏、中央下は室伏氏、左が上から高木氏、田口氏、箕浦氏

 2016年は、英国が国民投票で欧州連合(EU)離脱を決定。米国では保護貿易主義の強いトランプ氏が大統領選を制し、日本経済をめぐる環境は不透明感が強まった。そんな中、幾多の苦境を乗り越え、日本経済の発展に尽力されてきた経済・産業界の著名人たちが逝去された。ご冥福をお祈りします(肩書は当時の各社・各団体による)。

森下洋一さん(元松下電器産業<現パナソニック>会長・社長)


 93年に谷井昭雄氏の後を継ぎ5代目社長に就任した。温厚な人情家だったが、7年間の社長在任中は米MCA売却を決断するなど、バブル経済崩壊後の厳しい環境で経営再建に取り組んだ。後に「破壊と創造」の大改革を実行した中村邦夫氏を後任に指名、00年から会長を務めた。関西経済連合会と経団連の副会長を務め、財界活動にも尽力した。
12月18日死去 82歳

秋草直之さん(元富士通会長・社長)


 文系出身のシステムエンジニアの一期生として、同分野を一貫して歩み、98年に社長に就任した。翌99年にインターネット時代をいち早く予見し、「エブリシング・オン・ザ・インターネット」を提唱。ハード中心からソフト・サービス路線への転換を強力に推し進めた。歯に衣(きぬ)着せぬ発言でも知られる。実父は元日本電電公社総裁の秋草篤二氏。
6月18日死去 77歳

室伏稔さん(元伊藤忠商事会長・社長)


 90年に伊藤忠商事社長、98年に会長に就任。国際感覚と卓越した英語力を併せ持ち、米タイム・ワーナーとの戦略提携やファミリーマートへの出資など、伊藤忠の飛躍につながる数々の案件を手がけた。また07年に日本政策投資銀行総裁、08年の民営化後は社長として海外展開の陣頭指揮を執るなど、日本の産業・貿易の発展にも尽力した。
1月27日死去 84歳

髙木丈太郎さん(三菱地所名誉顧問・元会長・社長)


 87年に社長就任。「横浜ランドマークタワー」開発の陣頭指揮を執るなど大規模なプロジェクトを多く手がけた。89年には米ロックフェラーグループに出資。国内外から注目を浴びた。豪放磊落(らいらく)な人柄として知られ、大学時代に始めた空手道の普及発展に生涯尽くした。
3月5日死去 88歳

田口義嘉壽さん(セイノーホールディングス相談役・元会長・元社長)


 創業者・故田口利八氏の二男で、慶応義塾大学を卒業後、西濃運輸(現セイノーホールディングス)に入社。87年から社長、03年から会長を務めた。兄の利夫氏(故人)と二人三脚で、同社を物流業界の大手に育て上げた。全日本トラック協会副会長なども歴任。芸術やスポーツ振興にも尽力し、13年には岐阜県の名誉県民に選ばれた。
9月22日死去 78歳

箕浦宗吉さん(元名古屋鉄道社長・元名古屋商工会議所会頭)


 1988年に日銀から名古屋鉄道に転じ、94―99年に社長を務めた。多角化路線で積み上がった不採算事業の整理など、バブル崩壊後の負の遺産処理に当たった。2004―07年の名古屋商工会議所会頭時代は、05年の中部国際空港開港、愛知万博開催と一大行事に尽力した。
5月18日死去 89歳

企業経営者以外では



平松守彦さん(元大分県知事)


 通商産業省(現経済産業省)時代には米IBMに対抗する国内コンピューター産業の育成に尽力した。79年に大分県知事に就任。「一村一品運動」を提唱する。特産品による地域振興にとどまらず、人材育成も進める取り組みとして海外にも広めた。現在の地方創生をリードする地域おこしの手本として、国内外から高い評価を得ている。
8月21日死去 92歳
              


山岸章さん(連合初代会長)


 旧海軍の特攻隊要員として終戦を迎え、戦後に勤務した富山県の郵便局で労働運動に身を投じた。全電通(現NTT労組)委員長時代の電電公社民営化では「分割反対」の姿勢を貫き、89年にナショナルセンター・連合が結成されると初代の委員長に選出された。戦後初の非自民連立政権の細川連立政権発足に一役買うなど政治の世界でも影響力を示した。
4月10日死去 86歳
           
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
直接お会いして話したことのあるのが、森下さんと秋草さん。激動の電機業界を生き抜いた。皆さんのご冥福をお祈り致します。

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