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イグ・ノーベル賞、人を引きつけ深淵に誘う

研究は大学だけのものではなくなった
イグ・ノーベル賞、人を引きつけ深淵に誘う

「股のぞき」による視覚の変化の研究で、イグ・ノーベル賞を受賞した立命館大の東山篤規教授

 日本人のノーベル賞連続受賞で基礎研究の重要性が見直されている。経済性で直ちに価値を計れない科学をいかに支えていくのか、議論は尽きない。一般人が科学の深淵(しんえん)をのぞき込むと、その奥深さにおののくことがある。これはヒトが暗闇を恐れるのと同様、自然な反応だ。一方、人を笑わせ、考えさせる研究を表彰するのが「イグ・ノーベル賞」だ。人をひきつけ科学の深淵に誘う魅力がある。市民参加型の学術や研究エコシステムの中核に化ける可能性がある。

「役に立つ」だけでよい?


 「社会全体で基礎研究を支える仕組みが必要だ」―。ノーベル生理学医学賞の受賞が決まった東京工業大学の大隅良典栄誉教授の言葉に基礎研究者の多くがうなずく。多様な研究テーマを無闇に絞り込めば、基礎研究が実を結ぶ確率は低くなる。自明の理だが、基礎研究への投資を維持するのは財政上の制約などから簡単ではない。経済的な価値を計れない研究が優先順位を上げるのは難しい。

 また科学に実用性を求めた結果、研究者が研究予算の申請書に「役に立つ」と記入するようになった。北里大学の馬渕清資名誉教授は「国際的な論文を査読していても、本当に役に立つ研究は数年に1本あるかどうか。だが専門家はだませなくても、官僚や政治家の目を欺く文章力が研究者に養われた」と指摘する。こうした状況で基礎研究の予算を増額するだけでは健全な状態になるのか疑問符が付く。競争と経済効率だけでない、科学を支える仕組みが求められている。


科学の楽しさを体験、研究の難しさを実感


 ノーベル物理学賞を15年に受賞した東京大学の梶田隆章特別栄誉教授は、「我々の研究は人類の『知』の地平線を広げる仕事」と表現する。小説や音楽、スポーツ、芸能などと同様に科学も文化的な価値を持つ。科学が小説などと違うのは創作経験者の規模だ。

 経験者が限られる科学は、分野ごとに細分化し深化してきた。科学を楽しみ、支持する人口は多くない。そこで注目されているのがイグ・ノーベル賞に代表される研究だ。バナナの皮が滑る原理や、ピカソの絵を見分けるハト、迷路を解く粘菌など、笑えるテーマで科学に誘い、その奥深さを面白く見せる。身近な現象にテーマを見いだし、手軽な研究を始める人を増やした。市民参加型の学術形成に一役買っている。

 研究は大学だけのものではなくなった。研究の場は自宅のデスクやハッカソンなどに広がり、成果発表の場はウェブや動画投稿サイトにまで拡大している。研究に秩序がなく、その品質も保てないが、速度と拡散力は既存の学術をしのぐ。

 津田塾大学の栗原一貴准教授は「競争相手としてヒヤヒヤしている。研究者が論文を数カ月かけて書く内容を数日で作ってしまう。あのペースについていかないと」という。大学と市民参加型の研究が交わり、質と速度を高める仕組みが模索されている。

 科学の楽しさを体験すると研究の難しさを実感する。科学を楽しめないのは教養が足りないことよりも、経験がないからだ。一歩踏み込めば深淵の奥底で戦う研究者に共感でき、研究者の誤りにも敏感になる。

 イグ・ノーベルな研究を核に基礎研究を支える文化が育つかもしれない。
(文=小寺貴之)
<受賞者に聞く「イグノーベル賞」(日刊工業新聞電子版)>
日刊工業新聞2016年11月23日
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
音楽や小説、スポーツは一度作り手になると味わい方が深まります。スポーツを見るだけの人と実際にやっていた人では、選手の体の使い方や瞬時の判断を理解する深さが違います。小説を読むだけの人より、物語を書いた経験のある人。音楽を聞くだけの人より、楽器を演奏している人、作曲している人の方が作品の良さを深く理解できます。科学も一度研究を経験すると、自分ならその視点で発想を膨らませられたか、技術を使いこなせたかと考え、その思考の深さや努力にしびれるようになります。エンタメもサイエンスも、専門家が作る作品は、それを評価できる人に支えられています。面白さを説くより、巻き込んで創作の輪に取り込み、ともに楽しむ機会が必要です。そして、その分野をかじると同業に厳しくなります。最前線から離れても同業の吐く嘘はだいたいわかります。無駄遣いも防げると思います。 (日刊工業新聞科学技術部・小寺貴之)

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