基礎科学の惨状と未来。「大学の資金は生き物を飼う電気代で消える」
国立大学の理学部長たちが異例の声明。やっぱりノーベル賞が出なくなる?
このままでは未来への芽が枯れる―。国立大学法人理学部長会議(幹事大学=東京工業大学)は、基礎科学の置かれた惨状と未来への投資を訴えた声明を公表した。同会議は大学の教員数削減が研究力や教育力を弱体化させ、10―20年後には日本からノーベル賞受賞者が出なくなると危機感を持つ。一方、経済的価値を計れない基礎科学を支える仕組みは先進国共通の悩みだ。ただ、国民の理解が浸透しても、予算の捻出には新たな仕組みや政治的な決断が必要になる。
声明と同時に開かれた会見では、各理学部長が「大学から研究者に配れる研究費は年間約30万円」(楯真一広島大学理学部長)、「生物系の研究室では、大学からの資金が生き物を飼うための電気代で消える」(福田裕穂東京大学理学系研究科長)、「研究費は約1億円を二百数十人で分けるため50万円弱。人件費は今後13・2%削減する計画」(石森浩一郎北海道大学理学部長)など、基礎科学の厳しい環境を訴えた。
国が実用研究に投資をシフトする傾向を鮮明にしたことで、知的好奇心に基づく基礎研究は萎縮しつつある。特に若手への影響は甚大だ。若手は開発目標が決まった大型予算で雇用される形態が多く、好奇心で別の研究を進める余裕はない。
基礎科学を目指す若手は急減し、学術界でキャリアパスを見いだせるかどうかも危うい。「基礎研究は花や実が付くまで時間がかかる。現状ではその芽もすべて枯れる」(吉田裕亮お茶の水女子大学理学部長)と懸念する。
今回、全国34大学が集まり、理学部長会議声明として窮状を訴えた。岡田哲男東工大理学院長は「基礎科学の置かれた現状に危機感を持つのは(ノーベル賞に選ばれた)大隅良典東工大栄誉教授だけではない。研究者がいなくなれば科学の蓄積が途切れる。20年後に手遅れとなってからでは遅い」と指摘する。
ただ具体的な解決策は示せていない。東大の福田研究科長は、「実用化は企業と大学でオープンに研究し、浮いた資金を基礎に回してはどうか」と提案する。ただ企業も余裕がなくなっている状況では、余った資金を大学に回せるか不透明だ。
限られた科学技術予算の中で、理学と工学の配分を調整する程度では本質的な解決は難しい。日本は年間100億円の削減を10年続け、大学運営費を約1000億円削減した。この重圧の中で大学は運営の無駄を省き、研究者の意識改革には成功した。
一方で大学の序列化が進み、若手は知的好奇心を第一に考えて研究を選びにくい。地方大学を中心に惨憺(さんたん)たる状況にある。福田研究科長は「(国家予算のうち)年間100億円の削減が未来の芽を枯らすほどの価値があったのか」と問いかける。
(文=小寺貴之)
(理学部長会議の会見=10月31日)
<記者ファシリテーターの見方>
国が実用志向に傾倒したのは、学術界が重箱の隅の研究もど真ん中の研究も夏休みの工作レベルの研究も「新しい!面白い!」と主張し、専門外の人間には研究成果を評価できなくなったことがあります。評価軸を「役に立つ」によせて、産業界に判断してもらうことで、健全な評価できるはずと期待しました。
一方で、大学の大御所が企業の基礎研究部門を抱き込んだり、企業がほぼほぼ名義貸しのような協力をするようになりました。重箱の隅の研究もど真ん中の研究も夏休みの工作レベルの研究も「役に立つ!」と主張するようになっています。「役に立つ」評価でも、やっぱり長期的なことは当たらない、むしろ多様性が失われたという声が大きくなりました。
(続きはコメント欄)
声明と同時に開かれた会見では、各理学部長が「大学から研究者に配れる研究費は年間約30万円」(楯真一広島大学理学部長)、「生物系の研究室では、大学からの資金が生き物を飼うための電気代で消える」(福田裕穂東京大学理学系研究科長)、「研究費は約1億円を二百数十人で分けるため50万円弱。人件費は今後13・2%削減する計画」(石森浩一郎北海道大学理学部長)など、基礎科学の厳しい環境を訴えた。
国が実用研究に投資をシフトする傾向を鮮明にしたことで、知的好奇心に基づく基礎研究は萎縮しつつある。特に若手への影響は甚大だ。若手は開発目標が決まった大型予算で雇用される形態が多く、好奇心で別の研究を進める余裕はない。
基礎科学を目指す若手は急減し、学術界でキャリアパスを見いだせるかどうかも危うい。「基礎研究は花や実が付くまで時間がかかる。現状ではその芽もすべて枯れる」(吉田裕亮お茶の水女子大学理学部長)と懸念する。
「20年後に手遅れとなってからでは遅い」
今回、全国34大学が集まり、理学部長会議声明として窮状を訴えた。岡田哲男東工大理学院長は「基礎科学の置かれた現状に危機感を持つのは(ノーベル賞に選ばれた)大隅良典東工大栄誉教授だけではない。研究者がいなくなれば科学の蓄積が途切れる。20年後に手遅れとなってからでは遅い」と指摘する。
ただ具体的な解決策は示せていない。東大の福田研究科長は、「実用化は企業と大学でオープンに研究し、浮いた資金を基礎に回してはどうか」と提案する。ただ企業も余裕がなくなっている状況では、余った資金を大学に回せるか不透明だ。
限られた科学技術予算の中で、理学と工学の配分を調整する程度では本質的な解決は難しい。日本は年間100億円の削減を10年続け、大学運営費を約1000億円削減した。この重圧の中で大学は運営の無駄を省き、研究者の意識改革には成功した。
一方で大学の序列化が進み、若手は知的好奇心を第一に考えて研究を選びにくい。地方大学を中心に惨憺(さんたん)たる状況にある。福田研究科長は「(国家予算のうち)年間100億円の削減が未来の芽を枯らすほどの価値があったのか」と問いかける。
(文=小寺貴之)
(理学部長会議の会見=10月31日)
<記者ファシリテーターの見方>
国が実用志向に傾倒したのは、学術界が重箱の隅の研究もど真ん中の研究も夏休みの工作レベルの研究も「新しい!面白い!」と主張し、専門外の人間には研究成果を評価できなくなったことがあります。評価軸を「役に立つ」によせて、産業界に判断してもらうことで、健全な評価できるはずと期待しました。
一方で、大学の大御所が企業の基礎研究部門を抱き込んだり、企業がほぼほぼ名義貸しのような協力をするようになりました。重箱の隅の研究もど真ん中の研究も夏休みの工作レベルの研究も「役に立つ!」と主張するようになっています。「役に立つ」評価でも、やっぱり長期的なことは当たらない、むしろ多様性が失われたという声が大きくなりました。
(続きはコメント欄)
日刊工業新聞2016年11月3日