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能楽、ICTで「せりふの壁越え、門戸広く」

新たなファン層拡大へ
能楽、ICTで「せりふの壁越え、門戸広く」

能楽師・観世喜正氏

 伝統芸能・文化財鑑賞の分野で、情報通信技術(ICT)を活用して新たなファン層を拡大しようとする動きが広がっている。スマートフォンやタブレット端末をツールに能楽鑑賞の提案を行ったり、博物館の集客力を高めたりするのに役立てている。モバイル端末に慣れている若い層だけでなく、2020年の東京五輪・パラリンピックに向け外国人観光客にも訴求していく。ICTが新規客獲得の起爆剤となるか。

伝統芸能、タブレットで解説


伝統芸能の分野では、タブレットを使った能楽鑑賞が広がりつつある。舞台の動きに合わせて文字やイラスト情報をタブレットに配信し、映画の字幕のようにせりふや場面を解説する。

 国・自治体が所有する能楽堂では、これまで初心者向けに字幕用ディスプレーを座席に設置したり、イヤホンガイドシステムを導入したりしてきた。一方、民営の能楽堂では新しい客層に対し効果的に能を紹介する手段としてタブレットを活用することにした。

 15年9月には矢来能楽堂(東京都新宿区)で、後方の30席限定でタブレット付きの公演を実施。16年も数回の公演でタブレットを採用している。能楽師の観世喜正さんは「タブレットならどの能楽堂でも使える。大きな設備が要らず、コストがかからない」と利点を指摘。海外公演も同様で「能楽を初めて鑑賞する人も多いことから、タブレットによる付加情報のニーズは高い」という。

 多言語対応の強化に加え、鑑賞者のニーズに即したコンテンツの充実が今後の課題となる。観世さんは「まだ実験の段階だが、タブレットを大いに活用する方向で考えている」と話す。

(舞台の進行に合わせ、タブレットで解説を見ながら鑑賞できる=矢来能楽堂)

博物館、SNSで文化財への関心誘う


 一方、博物館によるICTの利用は文化財の関心を高め、来館者の裾野を広げる効果を発揮している。特に会員制交流サイト(SNS)は重要な道具になっている。博物館学が専門の岐阜女子大学文化創造学部の井上透教授は「SNSの利用は博物館の集客力を高める効果がある」と指摘する。

 実際に東京国立博物館(同台東区)が15年2月にツイッターで刀剣の展示を告知したところ、前年同月に比べて来館者が3割増えた。刀剣を扱ったスマホゲームが流行していた影響により、これまで少なかった若い女性が多く来館した。同博物館の田良島哲博物館情報課長は「SNSは広く情報を衆知できる。普段の来館者とは違う世代にも訴求できると感じた」と振り返る。

 スマホやタブレットの普及により、博物館内のICT利用も進む。東京国立博物館は鑑賞ガイドアプリ「トーハクなび」を無料で配信する。音声ガイドや写真などで館内を案内しており、展示品の付加情報などを得られる。

 また中高生向けに見学レポートを作成できる学校版を作るなど工夫を凝らしている。モバイル端末は多言語対応のための道具としても期待されており、訪日外国人の観光客が増加する中で活用が広がりそうだ。

 一方でICT利用が期待されつつ、不十分な取り組みもある。特に求められているのが各博物館の所蔵品をインターネットで横断検索する仕組み。現状は検索できる所蔵品が一部にとどまっており、各博物館の全体像を広く紹介する仕掛けが貧弱という。井上教授は「訪日外国人客の足を博物館に向けるためにも早急に整備すべきだ」と力を込める。

(博物館鑑賞ガイドアプリ「トーハクなび」を利用する学生=東京国立博物館提供)

インタビュー 能楽師・観世喜正氏


 タブレットを活用した能楽鑑賞について、能楽師の観世喜正さんに狙いを聞いた。
 ―タブレットを導入した理由は何ですか。
 「能の舞台は多くが室町時代の作品で、古文のせりふを謡いながら上演する。そのため、せりふが難しく聞き取りづらいと昔から言われている。現存する日本最古の芸能である能を多くの人が見たい、また見るべきだと思っても言葉の壁がある」

 」さらに2001年に能楽が世界遺産に認定され、外国人客が増えている。そうした中でいかにコストをかけずに能の面白さを伝えるかを考え、タブレットを導入することにした」

 ―どのように活用していますか。
 「舞台の進行に合わせ、能独特の詞章や解説を分かりやすく説明した文字情報をタブレットに配信する。舞台に連動し、タブレットの画面が自動で切り替わる。古典の内容を現代語訳にしたり、外国人向けに英語で解説したりする。また子ども向けにイラストを多用している。能楽は歌舞伎と違って単発公演が多いため、公演ごとにコンテンツを作り込んでいる」

 ―お客の反応を教えてください。
 「おおむね好評で、使い方によって威力を発揮するシステムだと実感した。現在はタブレット付きの座席を決め、運用している。ただタブレットを使う人と使わない人が混在する形にするには両者の理解が必要」

 「紙の台本を見ながら鑑賞するのは違和感がない。だがタブレットとなると固定客の中には作法にかなわないと思う人がいるかもしれない。こうした新規客と固定客の意識の違いは、タブレット鑑賞が当たり前になれば気にならなくなると思う」

 ―今後のタブレットの導入計画は。
 「9月8、9日の矢来能楽堂と、15、16日の宝生能楽堂でのリレー公演で導入する。複数の公演を行うことで、訪日外国人や東京を観光する日本人にも能に触れる機会を増やしていきたい。さらに多くの人たちに門戸を開くという意味でタブレットを用いた能楽鑑賞を売りにしていく」
【略歴】かんぜ・よしまさ 70年東京都生まれ、慶大法卒。父である三世観世喜之に師事し、東京を中心に国内外の公演に多数出演している。能楽協会の理事を務める。

(文=清水耕一郎、葭本隆太)
日刊工業新聞2016年8月17日
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
最近は落語の寄席に若い女性が目立つ。外国人観光客に日本の伝統が伝わっていくのは良いことだが、まず日本人として自国の文化にもっと触れていかないと。

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