ダイハツ、今日上場廃止。企業ブランドとして光り輝くことは可能か
モノづくりの力は卓越。インド市場を手始めにトヨタとのプロジェクトが発動へ
ダイハツ工業は27日に上場廃止となり、8月1日付でトヨタ自動車の完全子会社となる。軽自動車シェアトップのダイハツはトヨタ向け小型車などのOEM(相手先ブランド生産)も手がけ、これまでもトヨタグループの一員だったが大きな転換点を迎える。今後はトヨタの小型車部門担い手としての立ち位置がより明確化され、新興国向け小型車戦略も任される。ただ日本は人口や販売台数が減少傾向で、中長期では重複するサプライチェーンの再編・整理の可能性もある。
トヨタはダイハツの完全子会社化で、ダイハツが軽自動車で培った生産技術を取り込み、モータリゼーションが進展する新興国への良品廉価な小型車展開を進める。ダイハツは環境や安全、自動運転など、単独では限界がある技術開発でトヨタとの協業を加速。「子会社と完全子会社では、得られる技術協力、情報共有レベルに大きな差がある」(ダイハツ幹部)と、期待は大きい。
新興国戦略では、ダイハツも過去に進出を検討したことがあり、トヨタが苦戦している将来有望なインドなどでの協業が想定される。ダイハツの海外生産拠点はマレーシアとインドネシアのみだが、インドでの生産が視野にある。ある部品メーカー幹部は「トヨタに良品廉価な小型車づくりは難しい。ダイハツは昔は自信がなくて進出できなかったが今は違う。どういったスキームになるのか興味がある」と注目する。
ダイハツはコンパクトなモノづくりを心がけ、低燃費、低価格な軽自動車で存在感を示す。設立は1907年と国内自動車メーカーでもっとも古い。内燃機関の国産化を目指して発電や船舶、鉄道車両と用途を広げ、30年にオート三輪「ダイハツ号」を発売し、自動車業界にも参入。57年発売の軽オート三輪「ミゼット」は低価格ながら完成度が高く、庶民の足として大ヒットした。トヨタとは67年に業務提携し、98年に出資比率が過半となり子会社化された。
「ダイハツブランド」が残る前提の完全子会社化だが、ダイハツの国内の生産・販売拠点は、中長期的にはトヨタグループの戦略の中で整理・再編される可能性もある。京都工場(京都府大山崎町)や池田工場(大阪府池田市)は、トヨタ向け自動車を多く手がけており、ダイハツ関係者の心配する声も多い。
国内の軽自動車比率は上昇傾向だが、市場全体が縮小気味。日本特有の軽自動車に軸足を置くダイハツはリソースも限られ、生き残りと成長にはトヨタとの関係強化は必須。三井正則ダイハツ社長が「トヨタに認められた」と胸を張る、ダイハツらしいクルマづくりの本領が試される。
(文=大阪・松中康雄)
トヨタはダイハツの完全子会社化で、ダイハツが軽自動車で培った生産技術を取り込み、モータリゼーションが進展する新興国への良品廉価な小型車展開を進める。ダイハツは環境や安全、自動運転など、単独では限界がある技術開発でトヨタとの協業を加速。「子会社と完全子会社では、得られる技術協力、情報共有レベルに大きな差がある」(ダイハツ幹部)と、期待は大きい。
新興国戦略では、ダイハツも過去に進出を検討したことがあり、トヨタが苦戦している将来有望なインドなどでの協業が想定される。ダイハツの海外生産拠点はマレーシアとインドネシアのみだが、インドでの生産が視野にある。ある部品メーカー幹部は「トヨタに良品廉価な小型車づくりは難しい。ダイハツは昔は自信がなくて進出できなかったが今は違う。どういったスキームになるのか興味がある」と注目する。
ダイハツはコンパクトなモノづくりを心がけ、低燃費、低価格な軽自動車で存在感を示す。設立は1907年と国内自動車メーカーでもっとも古い。内燃機関の国産化を目指して発電や船舶、鉄道車両と用途を広げ、30年にオート三輪「ダイハツ号」を発売し、自動車業界にも参入。57年発売の軽オート三輪「ミゼット」は低価格ながら完成度が高く、庶民の足として大ヒットした。トヨタとは67年に業務提携し、98年に出資比率が過半となり子会社化された。
「ダイハツブランド」が残る前提の完全子会社化だが、ダイハツの国内の生産・販売拠点は、中長期的にはトヨタグループの戦略の中で整理・再編される可能性もある。京都工場(京都府大山崎町)や池田工場(大阪府池田市)は、トヨタ向け自動車を多く手がけており、ダイハツ関係者の心配する声も多い。
国内の軽自動車比率は上昇傾向だが、市場全体が縮小気味。日本特有の軽自動車に軸足を置くダイハツはリソースも限られ、生き残りと成長にはトヨタとの関係強化は必須。三井正則ダイハツ社長が「トヨタに認められた」と胸を張る、ダイハツらしいクルマづくりの本領が試される。
(文=大阪・松中康雄)
日刊工業新聞2016年7月27日