31年ぶりの社長交代。牧野フライス、井上新体制始動
「現状維持か成長かを問われれば、間違いなく成長を選択する」(井上社長)
牧野フライス製作所の新経営体制が始動した。井上真一社長(49)が就任し、新たに高山幸久取締役(48)、土屋雄一郎取締役(44)の40歳代の2人が加わった。創業家の牧野駿前専務(75)は代表権のある会長として、新社長を支える。井上社長は29日開いた就任会見で、目指す経営指標について、「現状維持か成長かを問われれば、間違いなく成長を選択する」と、売上高など規模拡大を目指す所信を表明した。
井上社長は国内の金型業界向けに軸足を置く経営方針は変えず、その上で規模拡大を模索する。具体的な目標額や施策には言及しなかった。カギとなるのが量産部品加工向けの工作機械だ。例えば、1993年に本格参入した自動車部品の加工ラインを一括供給する事業は「きちんと成果を上げなくてはならない。大きな経営課題だ」と後発でもあり、力を発揮しきれていない。
量産分野の再強化に白羽の矢を立てたのが、部長級だった土屋取締役開発本部副本部長だ。同取締役は「量産部品(向けの機械)開発の専門家」として、井上社長の期待は大きい。また、高山取締役営業本部長を含む経営陣の若返りは「新しいアイデアとバイタリティー」の発揮を狙う。
一方、通信やデータをフル活用するスマート化への対応を進める。競合大手と異なり慎重な姿勢をみせてきたが、「IoT(モノのインターネット)は顧客支援のインフラとして有効な手段だ」と製品やサービス、自社の生産部門に取り込んでいく方針だ。
大手工作機械メーカーの一角として創業76年(2013年5月の記事掲載当時)の歴史を持つ牧野フライス製作所。創業当初から脈々と受け継がれてきた理念の一つが「クオリティー・ファースト(品質第一)」だ。
今でこそ日本の工作機械は、世界トップレベルの品質と技術を誇る。ただ、同社の創業期である戦中から終戦直後は欧米製の工作機械が主流。日本製品は「安かろう、悪かろう」との評判が一般的だった。創業者である牧野常造氏の長男で、現在同社を率いる牧野二郎社長(13年当時)は「欧米の品質に匹敵する工作機械を1機種でも多くつくる、という意欲の表れだったのだろう」と、創業者がクオリティー・ファーストという言葉に込めた思いを代弁する。
<1970年ごろの汎用フライス盤の組立工場(牧野フライス製作所提供)>
カメラ業界向けの立型フライス盤の拡販で、敗戦による需要低迷から浮上するきっかけを得た同社。1958年(昭33)には富士通信機製造(現富士通)と共同で国産初の数値制御(NC)フライス盤の開発に成功し、その後のNC工作機械隆盛への道を切り開いた。
日本の工作機械生産高は82年に米国を抜いて世界トップとなり、その後27年間首位を堅持した。08年秋のリーマン・ショックを境に、生産高首位の座は中国に明け渡したが、品質や技術面では日本勢が依然、世界トップの水準に位置する。マラソンに例えるなら、かつては日本勢が欧米勢の背中を追いかける構造だったが、今は日本が先頭集団をけん引し、韓国、台湾、中国などの新興メーカーの追い上げに対抗する展開となっている。
牧野社長は「クオリティー・ファーストという言葉は変わらないが、クオリティーの持つ意味合いは創業当時と現在では大きく変わった」と指摘する。当時と違って欧米勢という明確な品質目標が存在しない今、「顧客とのやりとりの中で自分で決めるもの。それが品質だ」と説明する。
技術革新においても顧客との接点を重視する姿勢は変わらない。「技術者自ら顧客の製造現場に足を運び、加工内容をみせてもらう中で課題を見つけ出し、解決策を用意する。工作機械メーカーの革新はそこからスタートしなければならない」と牧野社長は強調する。
工作機械は機種や技術レベルが多種多様で、ユーザーの使い方も各社で千差万別。牧野社長は「全ての顧客ニーズを満たそうと思うと、すべての顧客が不満足になる」とし、得意分野に集中した専門店型の経営が理想と説く。創業者も「工作機械の経営は本質的に大きくはなり得ない」との言葉をのこしている。
一方で顧客は日本国内にとどまらず世界全体に拡大。しかも、かつては先進国・大都市の限られた地域に顧客が集中していたが、今は新興国・地方への分散が進む。世界中に立地する顧客に充実したサービスを提供するためには、ある程度大きな組織と経営規模が必要になる。
こうした相矛盾する要素をどう乗り越えていくか。「当社に限らず、工作機械業界全体のこれからの課題だ」と牧野社長は話す。
井上社長は国内の金型業界向けに軸足を置く経営方針は変えず、その上で規模拡大を模索する。具体的な目標額や施策には言及しなかった。カギとなるのが量産部品加工向けの工作機械だ。例えば、1993年に本格参入した自動車部品の加工ラインを一括供給する事業は「きちんと成果を上げなくてはならない。大きな経営課題だ」と後発でもあり、力を発揮しきれていない。
量産分野の再強化に白羽の矢を立てたのが、部長級だった土屋取締役開発本部副本部長だ。同取締役は「量産部品(向けの機械)開発の専門家」として、井上社長の期待は大きい。また、高山取締役営業本部長を含む経営陣の若返りは「新しいアイデアとバイタリティー」の発揮を狙う。
一方、通信やデータをフル活用するスマート化への対応を進める。競合大手と異なり慎重な姿勢をみせてきたが、「IoT(モノのインターネット)は顧客支援のインフラとして有効な手段だ」と製品やサービス、自社の生産部門に取り込んでいく方針だ。
マキノの理念は「クオリティー・ファースト」
大手工作機械メーカーの一角として創業76年(2013年5月の記事掲載当時)の歴史を持つ牧野フライス製作所。創業当初から脈々と受け継がれてきた理念の一つが「クオリティー・ファースト(品質第一)」だ。
今でこそ日本の工作機械は、世界トップレベルの品質と技術を誇る。ただ、同社の創業期である戦中から終戦直後は欧米製の工作機械が主流。日本製品は「安かろう、悪かろう」との評判が一般的だった。創業者である牧野常造氏の長男で、現在同社を率いる牧野二郎社長(13年当時)は「欧米の品質に匹敵する工作機械を1機種でも多くつくる、という意欲の表れだったのだろう」と、創業者がクオリティー・ファーストという言葉に込めた思いを代弁する。
<1970年ごろの汎用フライス盤の組立工場(牧野フライス製作所提供)>
カメラ業界向けの立型フライス盤の拡販で、敗戦による需要低迷から浮上するきっかけを得た同社。1958年(昭33)には富士通信機製造(現富士通)と共同で国産初の数値制御(NC)フライス盤の開発に成功し、その後のNC工作機械隆盛への道を切り開いた。
日本の工作機械生産高は82年に米国を抜いて世界トップとなり、その後27年間首位を堅持した。08年秋のリーマン・ショックを境に、生産高首位の座は中国に明け渡したが、品質や技術面では日本勢が依然、世界トップの水準に位置する。マラソンに例えるなら、かつては日本勢が欧米勢の背中を追いかける構造だったが、今は日本が先頭集団をけん引し、韓国、台湾、中国などの新興メーカーの追い上げに対抗する展開となっている。
牧野社長は「クオリティー・ファーストという言葉は変わらないが、クオリティーの持つ意味合いは創業当時と現在では大きく変わった」と指摘する。当時と違って欧米勢という明確な品質目標が存在しない今、「顧客とのやりとりの中で自分で決めるもの。それが品質だ」と説明する。
技術革新においても顧客との接点を重視する姿勢は変わらない。「技術者自ら顧客の製造現場に足を運び、加工内容をみせてもらう中で課題を見つけ出し、解決策を用意する。工作機械メーカーの革新はそこからスタートしなければならない」と牧野社長は強調する。
工作機械は機種や技術レベルが多種多様で、ユーザーの使い方も各社で千差万別。牧野社長は「全ての顧客ニーズを満たそうと思うと、すべての顧客が不満足になる」とし、得意分野に集中した専門店型の経営が理想と説く。創業者も「工作機械の経営は本質的に大きくはなり得ない」との言葉をのこしている。
一方で顧客は日本国内にとどまらず世界全体に拡大。しかも、かつては先進国・大都市の限られた地域に顧客が集中していたが、今は新興国・地方への分散が進む。世界中に立地する顧客に充実したサービスを提供するためには、ある程度大きな組織と経営規模が必要になる。
こうした相矛盾する要素をどう乗り越えていくか。「当社に限らず、工作機械業界全体のこれからの課題だ」と牧野社長は話す。
日刊工業新聞2016年6月30日 機械・ロボット・航空機面、2013年5月23日 経営面「不変と革新」