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英国EU離脱は新たな「グローカリズム」の始まりか

日本でも「中央」と「地方」のずれは確実に進んでいる
 「グローカリズム」という言葉が台頭したのは今世紀に入ってからだと記憶する。米国主導で加速する「グローバリズム」に対し、地域性を重視しろという反発が欧州の一部に生じ、その説明の中でよく使われた。

 「民族自決」は第二次大戦後の世界秩序の基本原理だ。グローバリズムは国際秩序と法の支配のもとで、世界普遍化を目指す。この両立をはかるのがグローカリズムと解釈できる。

 英国民が欧州連合(EU)からの離脱を選択したのは、欧州の秩序に対する反発だ。典型的なグローカリズムであろう。自らの生活や安全を守るために政策決定権を持ちたいというのは、自然な欲求に思える。

 ただ普遍化を目指すグローバリズムの概念も、歴史とともに変質している。ごく初期には、諸民族が混血して単一言語を話すイメージが強かった。今では民族や言語、宗教の異なる人々のグループが、それぞれの生活圏を確保しつつ共存する「モザイク化」がひとつの目標だ。

 英国という大きなピースは、EUとは別の色になると自分たちで決めた。それは必ずしも、世界というモザイク作品をバラバラにするものではない。地域の意思を柔軟に受け入れられるグローカリズムに、より磨きをかけたい。
日刊工業新聞2016年6月27日
原直史
原直史 Hara Naofumi
英国のEU離脱で感じたことは「中央」の限界ということだ。「中央」が起こるはずがないと思っていても、「周辺部」あるいは「地方」では起こっても不思議がない状態となっていたということだろう。日本のマスコミは、一様に驚きを表明しているが、それは多くのマスコミが「中央」に属し、「中央」の状況や意見を反映しやすい存在になっているからであるようにも思われる。  日本では、「中央」から見た「地方」は比較的話題に上るようになってきたが、「地方」から見た「中央」は、沖縄の問題などを除いて、取り上げ方が少ないような気がする。規模は小さくとも、「地方」と「中央」のずれは、日本でも確実に進んでいるように見えるのだが…。

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