富士ゼロックスのオープンイノベーション「プロジェクトA」
コンセプト公募、審査過程なども全てオープンに
本企業に広がってきたオープンイノベーション。だが通常、具体的なアイデアや審査過程は公開しない。競合他社に真似されかねないため当たり前の対応だ。富士ゼロックスはコンセプトの公募ながら、この当たり前を飛び越えてみせた。ベンチャー企業のA(エイス、東京都港区)が運営するウェブ上のコミュニティーを使い、アイデアや審査も全て公開したプロジェクトを実施。新しいモノづくりの試みが始まっている。
ある土曜日、横浜市西区の富士ゼロックスR&Dスクエアには、個人デザイナーや会社員、家具職人、主婦ら多様な人たちが集まった。同社が「価値あるコミュニケーションを実現する近未来のソリューション」をテーマに公募したコンセプト提案の最終選考に残った11組だ。
(最優秀賞に決まった「ROX」=イラスト)
社外の人も含めた投票で、最優秀賞は竹中明教氏が提案した小型ロボット「ROX」に決まった。偉い人も若手も分け隔てなくコミュニケーションを促す。丸顔に大きな丸い目で人を観察し、発言を記録。静かな人には話題を振り、意見をコロコロと変える上司にはツッコミを入れ、社長の居眠りを一喝する。愛嬌のある動きで雰囲気を和らげ、資料整理も手伝う。
ほかにも、岩田智子氏が提案した「方向指示ボール」は、待ち合わせする2人がボールを持つと、ボール同士が通信して相手のいる方向を矢印で教えてくれる。高齢者も簡単に使えそうだ。大和田彩果氏は、訪日外国人旅行者に和服や祭りの衣装などを貸し、手軽に旅行できるサービスを提案した。いずれも同社だけでは生まれなかったアイデアだ。
審査過程なども全てオープンにした今回の富士ゼロックスのコンセプト公募は、“究極”のオープンイノベーションと言える。Aが運営するコミュニティーを使ったモノづくりプラットフォーム「Wemake(ウィーメイク)」が取り組みの核になった。ここには、欲しい商品を一緒に創りたい生活者やクリエイターが参加している。
応募者は、アイデアをコミュニティー内で公開し、アイデアを見た人たちは「ここを改良したら?」などの意見を書き込む。やりとりは、フェイスブックなどのように並べて閲覧でき、さらに他の人も意見を書き込んで、アイデアを完成させていく。また、提案者1組に2―3人の富士ゼロックス社員がメンターとなって支援した。
それにしても、なぜ競合企業にも丸見えの方法を採用する必要があったのか。商品開発本部群企画部技術戦略グループの馬場基文グループ長は、「中途半端なオープン化では、わかるものもわからない。いろいろなお客さまの目を通すことで高い価値が生み出せる」と話す。社内には「敵に塩を送ることだ」と、反対意見もあった。
ただ、同社は変革を迫られている。複合機販売は海外で伸びるとはいえ、国内に昔ほどの勢いはない。山本忠人会長は社長在任中、「複写機卒業」を宣言し、価値を提供するソリューション・サービス型の事業構造へ舵を切ったのも同様の理由からだ。
このためオープンイノベーションに積極的で、今回の取り組みはその一つ。馬場グループ長は「敵に塩を送るリスクもあるが、変わるために必要な挑戦だ」と話す。中高年の社員は従来の仕事のやり方に成功体験を持つため、30代半ばの大川陽介氏がプロジェクトの中心となった。
大川氏は自らが参加する社内の非業務組織「わるだ組」の仲間に、「Wemakeはおもしろいよ」と教えてもらった。名前はさておき、わるだ組はさまざまな部署の社員が参加し、過去に触覚をテーマにハッカソンを開催するなど活発に活動している。会社として非業務の取り組みを阻害しない土壌も、オープン化できた理由のようだ。
偶然にも、大川氏と二人三脚で企画・運営したAの大川浩基社長は同じ年頃で、同じ名字。自然に名前で呼び合うようになり、頻繁に進め方を議論した。ふたりの大川氏は、コミュニティーを重視して、共感を醸成しながら上流のコンセプトを練り上げる仕組みにこだわった。技術から入ると、主力製品の複合機との関係を考え、自由な発想を妨げると考えた。
今後の事業化にあたって、馬場グループ長は、「いいものならば、他社が発売してもいい」と言い切る。自社での発売に限定すると、視野が狭くなる。事業化も外部の意見を取り入れる。両社の新しい試みに興味を持ちすでに一緒にやりたいと手を上げる企業も複数出てきた。「終着点は、コンセプトを商品にすることだけではない。想像できなかったものが生まれてほしい」(富士ゼロックスの大川陽介氏)。
Aの大川浩基社長は、「生活者とのモノづくりでは、大企業がコミュニティーとどう接するかが重要になる」と話す。一方通行のアイデア募集では関係を築けない。コミュニティーが育てば、優秀な人材が集まり、商品やサービス開発につながる。
富士ゼロックスは、担当部署以外も含めプロジェクトに50―60人が参加した。提案者を社員がサポートするメンター制度も、「陽介さんたちと話し、走りながら出てきたアイデア」(大川社長)という。
現時点で、新しいモノづくりが成功する確証はない。ただ、つくり手視点だけでは限界があり、生活者にとって無意味な性能競争が増えている。変化していくには、新しい挑戦から“うまく失敗”し、何かを得なくてはならない。
(文=梶原洵子)
ベンチャーA(エイス)
ある土曜日、横浜市西区の富士ゼロックスR&Dスクエアには、個人デザイナーや会社員、家具職人、主婦ら多様な人たちが集まった。同社が「価値あるコミュニケーションを実現する近未来のソリューション」をテーマに公募したコンセプト提案の最終選考に残った11組だ。
(最優秀賞に決まった「ROX」=イラスト)
社外の人も含めた投票で、最優秀賞は竹中明教氏が提案した小型ロボット「ROX」に決まった。偉い人も若手も分け隔てなくコミュニケーションを促す。丸顔に大きな丸い目で人を観察し、発言を記録。静かな人には話題を振り、意見をコロコロと変える上司にはツッコミを入れ、社長の居眠りを一喝する。愛嬌のある動きで雰囲気を和らげ、資料整理も手伝う。
ほかにも、岩田智子氏が提案した「方向指示ボール」は、待ち合わせする2人がボールを持つと、ボール同士が通信して相手のいる方向を矢印で教えてくれる。高齢者も簡単に使えそうだ。大和田彩果氏は、訪日外国人旅行者に和服や祭りの衣装などを貸し、手軽に旅行できるサービスを提案した。いずれも同社だけでは生まれなかったアイデアだ。
「敵に塩を送ることだ」社内には反対意見も
審査過程なども全てオープンにした今回の富士ゼロックスのコンセプト公募は、“究極”のオープンイノベーションと言える。Aが運営するコミュニティーを使ったモノづくりプラットフォーム「Wemake(ウィーメイク)」が取り組みの核になった。ここには、欲しい商品を一緒に創りたい生活者やクリエイターが参加している。
応募者は、アイデアをコミュニティー内で公開し、アイデアを見た人たちは「ここを改良したら?」などの意見を書き込む。やりとりは、フェイスブックなどのように並べて閲覧でき、さらに他の人も意見を書き込んで、アイデアを完成させていく。また、提案者1組に2―3人の富士ゼロックス社員がメンターとなって支援した。
それにしても、なぜ競合企業にも丸見えの方法を採用する必要があったのか。商品開発本部群企画部技術戦略グループの馬場基文グループ長は、「中途半端なオープン化では、わかるものもわからない。いろいろなお客さまの目を通すことで高い価値が生み出せる」と話す。社内には「敵に塩を送ることだ」と、反対意見もあった。
「複写機卒業」で必要な挑戦
ただ、同社は変革を迫られている。複合機販売は海外で伸びるとはいえ、国内に昔ほどの勢いはない。山本忠人会長は社長在任中、「複写機卒業」を宣言し、価値を提供するソリューション・サービス型の事業構造へ舵を切ったのも同様の理由からだ。
このためオープンイノベーションに積極的で、今回の取り組みはその一つ。馬場グループ長は「敵に塩を送るリスクもあるが、変わるために必要な挑戦だ」と話す。中高年の社員は従来の仕事のやり方に成功体験を持つため、30代半ばの大川陽介氏がプロジェクトの中心となった。
「想像できなかったものが生まれてほしい」
大川氏は自らが参加する社内の非業務組織「わるだ組」の仲間に、「Wemakeはおもしろいよ」と教えてもらった。名前はさておき、わるだ組はさまざまな部署の社員が参加し、過去に触覚をテーマにハッカソンを開催するなど活発に活動している。会社として非業務の取り組みを阻害しない土壌も、オープン化できた理由のようだ。
偶然にも、大川氏と二人三脚で企画・運営したAの大川浩基社長は同じ年頃で、同じ名字。自然に名前で呼び合うようになり、頻繁に進め方を議論した。ふたりの大川氏は、コミュニティーを重視して、共感を醸成しながら上流のコンセプトを練り上げる仕組みにこだわった。技術から入ると、主力製品の複合機との関係を考え、自由な発想を妨げると考えた。
今後の事業化にあたって、馬場グループ長は、「いいものならば、他社が発売してもいい」と言い切る。自社での発売に限定すると、視野が狭くなる。事業化も外部の意見を取り入れる。両社の新しい試みに興味を持ちすでに一緒にやりたいと手を上げる企業も複数出てきた。「終着点は、コンセプトを商品にすることだけではない。想像できなかったものが生まれてほしい」(富士ゼロックスの大川陽介氏)。
大企業がコミュニティーとどう接するか
Aの大川浩基社長は、「生活者とのモノづくりでは、大企業がコミュニティーとどう接するかが重要になる」と話す。一方通行のアイデア募集では関係を築けない。コミュニティーが育てば、優秀な人材が集まり、商品やサービス開発につながる。
富士ゼロックスは、担当部署以外も含めプロジェクトに50―60人が参加した。提案者を社員がサポートするメンター制度も、「陽介さんたちと話し、走りながら出てきたアイデア」(大川社長)という。
現時点で、新しいモノづくりが成功する確証はない。ただ、つくり手視点だけでは限界があり、生活者にとって無意味な性能競争が増えている。変化していくには、新しい挑戦から“うまく失敗”し、何かを得なくてはならない。
(文=梶原洵子)
日刊工業新聞2016年6月6日