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田中角栄の「日本列島改造論」と安倍政権の「地方創生」ー違いと共通性

策定に関わった元通産事務次官、小長啓一氏が語る
 戦後「20世紀の奇跡」と賞賛される復活と経済成長を遂げた日本。だが次第に、産業、人口の大都市集中と地方の過疎化、交通難、公害などの弊害が顕在化した。1972年6月、日刊工業新聞社は田中角栄通商産業相の『日本列島改造論』を刊行。均衡の取れた国土の発展をうたって大ベストセラーとなり、同年7月には第1次田中内閣が発足した。出版に至る経緯を通商産業省で事務次官を務めた小長啓一氏(弁護士、85)に語ってもらった。

「一冊の本にしたい」-。どこから出版するか



(小長啓一氏)

 田中角栄さんが71年(昭46)7月に通商産業相に就任して、私が秘書官についた。田中さんは日米繊維交渉を片付けて就任半年近くたったころに「代議士1年生から国土開発問題を政治家の仕事としてやってきた。工業サイドから見た国土開発はある程度勉強できた。それを取りまとめて一冊の本にしたいのだが君は手伝ってくれるか」と言われ、私も快諾した。

 次に「出版社はどうするかね」と聞かれ、最初は全国紙のどこかに頼むかと議論したが、田中さんから「全国紙のどこかに頼むと、決まったところは喜ぶが、外れたところは反田中になるから良くないね」。「俺はたまたま日刊工業新聞社社長の白井(十四雄)さんを同郷でよく知っているから日刊工業でどうかな」と言われた。通産省詰めには今はもう亡くなられた川添凌司さんをはじめ非常に有能な記者がいるのを私も知っていたので賛成した。

 昭和46年の暮れに川添さんを中心に日刊工業新聞の記者十数人と、通産省の若手数人が大臣室に集まって、田中さんから1日数時間のレクチャーを4日聞いた。戦後、国土開発に取り組んだ話から始まり、道路法改正、河川法改正、ガソリン税法をつくって道路財源にした話とか、議員立法二十数本をやってきたことを具体的に話された。それを我々がメモにとって、私が章立てにして、執筆分担を決めて、執筆に取りかかった。「田中さんのためなら」ということで、他省の人たちも協力してくれた。

総裁選挙のマニフェストに


 田中さんも当初は「1年ぐらいかけてやってくれればいい」と言っていた。ただ、二階堂進さん(後の内閣官房長官)から「君ら大変なことをやってるらしいな。(昭和47年)7月に間に合わんかね」と言われた。総裁選挙のマニフェストにしたいということだった。

 そんな大事なことは断れないので、昼も夜もない突貫作業になった。何とか7月の総裁選挙に間に合って印刷できた。総裁選絡みなので飛ぶように売れて、九十数万部までいって文字通りミリオンセラーになった。田中さんも満足されていた。

工場を地方へ適正配置


 『日本列島改造論』は、過密過疎の弊害を是正し、東京へ集中していた人・モノ・カネ・情報を地方へ逆流させていくのが基本的なコンセプトだった。当時の産業界も全面協力で、主な大企業は地域に工場を移してくれた。例えば、松下電器産業(現パナソニック)は1県1工場という思い切ったこともやっていただいた。

 現在、安倍政権は地方創生のために思い切った政策をとっている。その一つのポイントは地域で産業を興すことだ。

第4次産業革命、考え方は今も生きている


 一方、田中さんは工場の地方への適正配置を目指していた。安倍政権は地域に特徴ある産業を育てていこうとする地域ぐるみの取り組みを国が積極的にバックアップしようとしている。それは農業や林業の六次産業化かもしれないし、“第4次産業革命”と呼ばれるデジタル化、IoT(モノのインターネット)、AI(人工知能)などのからむ次の新しい産業かもしれない。ただ、大きな流れとしては田中さんの考え方は今でも生きていると思っている。
【略歴】
小長啓一(こなが・けいいち)53年に岡山大法文学部を卒業後、同年通商産業省(現経済産業省)に入省。71年に通産大臣秘書官、72年に首相秘書官。84年に通産事務次官。民間に転じ、89年にアラビア石油副社長、91年に社長。現在は島田法律事務所弁護士、産業人材研修センター理事長。岡山県出身。
日刊工業新聞2015年11月30日
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
昨年の11月30日、日刊工業新聞社は創刊100周年を迎え当日の新聞で田中角栄さんの「日本列島改造論」を取り上げました。ちょうど、今日、老朽化店舗の解体の記事を公開したので、改めて地方創生の政策を考える上で、列島改造論と比較する意味で同時にアップした次第です。

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