リーダー不在で成功した、北海道東川町のまちづくり
<情報工場 「読学」のススメ#6>『東川スタイル』(玉村雅敏、小島敏明 編著)
**地方衰退の時代に20年で約14%人口を増やす
東京からおよそ1,300キロメートル離れた人口約8,000人の小さな田舎町。そこには60以上の個性的なカフェやベーカリー、飲食店、木工の工房などが点在する。周囲の見事な景観とあいまって“お洒落”で居心地のよい空間が随所に。そんな生活文化の質の高さに惹かれてじわじわと移住者が増え、「地方消滅」も危惧されるこの時代に20年で人口を約14%も増やしている−−。これは北海道の旭川市に隣接する「東川町」のプロフィールだ。
『東川スタイル』(産学社)は、その東川町の「まちづくりトラベルガイド」を自称する。特徴的なお店とその店主を紹介するとともに、自治体(町役場)の取り組みのリポート、町長・商工会長など関係者のインタビューを、美しいカラー写真とともに掲載している。編著者の玉村雅敏さんは慶応義塾大学総合政策学部教授。小島敏明さんは同大学大学院政策・メディア研究科特任教授で、乃木工藝社のプランニングディレクターとしてさまざまな施設のプロジェクトに参画している。
いわゆる「地方創生」の成功事例を紹介する本の一つなのだが、一読して、類書に取り上げられたケースとは異なる点があることに気づく。それは、個人や一つの組織・団体による強力なリーダーシップのもと改革を成し遂げたのでは“ない”ということだ。
たとえば『ローマ法王に米を食べさせた男』(講談社+α新書)では、“スーパー公務員”の著者がさまざまなアイデアを実行し、限界集落を救った。『神山プロジェクト』(日経BP社)は、地元NPOが仕掛け人となり、徳島県神山町をITベンチャーの集積地として栄えるまでの経緯を追っている。また『夕張再生市長』(講談社)によれば、東川と同じ北海道で財政破綻に追い込まれた夕張市は、1981年生まれの若き市長のもと再生への道を歩んでいる。
東川町の場合、改革が始まるきっかけとなったのは自治体の取り組みだ。町長も町役場の指針を変えるなどリーダーシップを発揮している。だがそれだけで、すいすい人口が増えていったわけではない。役場の職員、住民、移住して店を開く者たちなどが、それぞれ自分が「やるべきこと」「やったほうがいいと思うこと」を率先して行い、それが全体の改革につながっていった。本書にあるキーワードを借りれば、それぞれの「自分ごと」が集まって「みんなごと」になり、それが「世の中ごと」になっていったということだ。
きっかけというのは、1985年の「写真の町」宣言。当時は、一村一品運動など地方活性化のための投資が流行しており、他の地域では特産品をPR、あるいは開発したり、ハコモノが盛んにつくられた。しかし東川町はここでモノではなく「文化」に投資した。民間の企画会社からの提案だったというが、ここで写真に目をつけたことが、東川町のその後を大きく変えることになった。
「写真の町」の具体的な取り組みとしては、まず「写真の町東川賞」を制定し、国内外の写真家を表彰。そして「東川町国際写真フェスティバル」をスタートする。さらに、全国の高校生を対象とした「写真甲子園」を開催。全国の高校から選抜された生徒が、東川町で撮影を行い頂点を競うイベントだ。これが大いに受け、多数の高校生の訪問が町の活性化に一役かうことになった。
写真の素人ばかりだった役場の職員たちは、東川賞やフェスティバルを成功させるために、必死で勉強し、各方面の交渉や営業に奔走したという。ここで彼らのフロンティア精神や創造的な意欲が育ったというのが本書の見方だ。
東川町が「写真」に目をつけたのは、まさに慧眼といえる。「写真の町」宣言は、東川町自身が「被写体」にふさわしいものになることをめざすことにつながる。また、カメラは、たとえばスキーのように自然に手を加えることのない娯楽だ。
もともと道内最高峰の旭岳の麓にあり、農作が盛んで広大な水田が広がる東川の景観はすばらしいものだった。住民たちはそれを邪魔せず、生かす方法を自ずと考えるようになっていった。最初に行ったのは、地場産業である木工技術を生かして各店舗の店先に木彫の手づくり看板を出すことだった。
東京からおよそ1,300キロメートル離れた人口約8,000人の小さな田舎町。そこには60以上の個性的なカフェやベーカリー、飲食店、木工の工房などが点在する。周囲の見事な景観とあいまって“お洒落”で居心地のよい空間が随所に。そんな生活文化の質の高さに惹かれてじわじわと移住者が増え、「地方消滅」も危惧されるこの時代に20年で人口を約14%も増やしている−−。これは北海道の旭川市に隣接する「東川町」のプロフィールだ。
『東川スタイル』(産学社)は、その東川町の「まちづくりトラベルガイド」を自称する。特徴的なお店とその店主を紹介するとともに、自治体(町役場)の取り組みのリポート、町長・商工会長など関係者のインタビューを、美しいカラー写真とともに掲載している。編著者の玉村雅敏さんは慶応義塾大学総合政策学部教授。小島敏明さんは同大学大学院政策・メディア研究科特任教授で、乃木工藝社のプランニングディレクターとしてさまざまな施設のプロジェクトに参画している。
いわゆる「地方創生」の成功事例を紹介する本の一つなのだが、一読して、類書に取り上げられたケースとは異なる点があることに気づく。それは、個人や一つの組織・団体による強力なリーダーシップのもと改革を成し遂げたのでは“ない”ということだ。
たとえば『ローマ法王に米を食べさせた男』(講談社+α新書)では、“スーパー公務員”の著者がさまざまなアイデアを実行し、限界集落を救った。『神山プロジェクト』(日経BP社)は、地元NPOが仕掛け人となり、徳島県神山町をITベンチャーの集積地として栄えるまでの経緯を追っている。また『夕張再生市長』(講談社)によれば、東川と同じ北海道で財政破綻に追い込まれた夕張市は、1981年生まれの若き市長のもと再生への道を歩んでいる。
東川町の場合、改革が始まるきっかけとなったのは自治体の取り組みだ。町長も町役場の指針を変えるなどリーダーシップを発揮している。だがそれだけで、すいすい人口が増えていったわけではない。役場の職員、住民、移住して店を開く者たちなどが、それぞれ自分が「やるべきこと」「やったほうがいいと思うこと」を率先して行い、それが全体の改革につながっていった。本書にあるキーワードを借りれば、それぞれの「自分ごと」が集まって「みんなごと」になり、それが「世の中ごと」になっていったということだ。
「写真の町」として被写体としての魅力向上をめざす
きっかけというのは、1985年の「写真の町」宣言。当時は、一村一品運動など地方活性化のための投資が流行しており、他の地域では特産品をPR、あるいは開発したり、ハコモノが盛んにつくられた。しかし東川町はここでモノではなく「文化」に投資した。民間の企画会社からの提案だったというが、ここで写真に目をつけたことが、東川町のその後を大きく変えることになった。
「写真の町」の具体的な取り組みとしては、まず「写真の町東川賞」を制定し、国内外の写真家を表彰。そして「東川町国際写真フェスティバル」をスタートする。さらに、全国の高校生を対象とした「写真甲子園」を開催。全国の高校から選抜された生徒が、東川町で撮影を行い頂点を競うイベントだ。これが大いに受け、多数の高校生の訪問が町の活性化に一役かうことになった。
写真の素人ばかりだった役場の職員たちは、東川賞やフェスティバルを成功させるために、必死で勉強し、各方面の交渉や営業に奔走したという。ここで彼らのフロンティア精神や創造的な意欲が育ったというのが本書の見方だ。
東川町が「写真」に目をつけたのは、まさに慧眼といえる。「写真の町」宣言は、東川町自身が「被写体」にふさわしいものになることをめざすことにつながる。また、カメラは、たとえばスキーのように自然に手を加えることのない娯楽だ。
もともと道内最高峰の旭岳の麓にあり、農作が盛んで広大な水田が広がる東川の景観はすばらしいものだった。住民たちはそれを邪魔せず、生かす方法を自ずと考えるようになっていった。最初に行ったのは、地場産業である木工技術を生かして各店舗の店先に木彫の手づくり看板を出すことだった。
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