「ウェルビーイング」時代の新指標「新国富」で比較した半導体集積の効果
心身が満たされた状態を意味する「ウェルビーイング」が重視されるようになり、国内総生産(GDP)を補完する指標が求められている。政府内でもウェルビーイングを目標に掲げる政策があり、新しい指標を望む声がある。そこで九州大学の馬奈木俊介主幹教授は「新国富指標」を提唱する。三井不動産などの企業が事業活動に採り入れようとしており、活用が始まっている。(編集委員・松木喬)
人工・人的・自然の3資本を金銭価値化
新国富指標とは将来世代が受け取る豊かさを金銭価値にする手法。国連もGDPに代わる指標を研究しており、馬奈木教授は新国富に関する国連の報告書の執筆代表を務めた。
その新国富は「人工資本」「人的資本」「自然資本」の三つの資本から求める。人工資本は建物や交通、エネルギーインフラなど、人的資本は教育と健康、自然資本は森林や農地、資源などである。
教育機関も人的資本の一つ。学ぶ期間が長いほど生涯収入が増える傾向にあるため、教育環境は将来世代に豊かさをもたらし、新国富はプラスになる。また医療機関が多ければ、住民は多くの医療サービスを受けられため、新国富は増加する。
豊かさを金銭価値化するには、資本の量に「シャドウプライス(潜在資本価格)」を掛ける。潜在資本価格とは「科学的に推計された値」(馬奈木教授)だ。普段は価格のない資本が対象でも、公的データなどを使って値付けする。自然資本の一つである森林の潜在資本価格は木材の取引価格に加え、科学者が議論した生態系に貢献する価値から推計する。
見えなかった価値を定量化できるため、生物多様性を向上させる「ネイチャーポジティブ」活動の評価にも活用できる。植林の成果が金銭価値化して現れるので、企業も資金を投じやすい。逆に費用対効果が不明なら緑地整備への継続的な投資は難しい。
半導体集積の効果比較、熊本が福岡上回る
九州大学と三井不動産、日鉄興和不動産(東京都港区)の3者は、新国富を使って半導体産業による効果を調査した。全国への波及効果も分析する手法を採用し、福岡県と熊本県にそれぞれ半導体産業を集積させた30年までの効果を比較した。
熊本県に集積させると、県内の人的資本が大幅に増加する。高度な人材が他の都道府県から流入するためだ。人材を送り出した側の東京都や神奈川県、愛知県でも人的資本が上昇する。この1都2県で半導体分野の教育が充実するためだ。結果的に30年までに全国の新国富を累積で93兆円高めることができる。
一方、福岡県に集積させると87兆円増加とやや少なくなる。福岡県は人口が多くインフラも整っているため、熊本県に比べ県外への依存が少ないためだ。
もちろん、工場の新設によって自然資本が減少する。だが「どれくらいマイナスになるのか分かることが大事」(同)という。開発した事業者は生態系回復の数値目標を設定し、マイナスをゼロ以上に戻す対策を打てる。社会に対してもデータを示して説明できる。
九大、三井不動産、日鉄興和不動産の3者は4月、「次世代GX産業集積研究部門」を設置した。蓄電池や電気自動車といった脱炭素産業の進出効果を新国富を使って予測し、経済だけでなく環境や社会的価値も含めた地域づくりを研究する。
人的資本や人工資本が多ければ、自然資本が極端に少なくても新国富は高い結果が出る。だが、「決して自然資本をゼロにして良いというわけではない。課題を可視化し、将来の地域のあり方を検討する合意形成に新国富を活用するべきだ。インフラを増やすべき場所、自然を守るべき場所をデータを使って議論できる」と強調する。
文部科学省は23年に策定した教育振興基本計画で、政府は5月21日に閣議決定した環境基本計画でそれぞれウェルビーイングを掲げた。持続可能な開発(SDGs)でも経済と社会、環境のバランスがとれた成長が問われている。幸せや豊かさに貢献した成果を評価できる指標があれば、政策や企業もウェルビーイングを推進しやすい。