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本末転倒な日本の大学。社会への“接続”ではなく“融合”へ

文=川原洋(サイバー大学学長)サーキットとなら大学はピットイン
 最近、少なからず違和感を覚える言葉の一つに「大社接続」というのがある。要は学生を大学からいかに円滑に社会へ送り出すかということらしい。いかにも大学が社会から隔離されている環境であるかのようである。学生は一斉に就活に走り、その間授業に出席する暇もなく、大学はむしろ授業が就活の妨げにならないように気配りしているかのように見える。本末転倒である。

3年以内の離職率高止まり


 しかし、これだけ大学も学生も、そして企業も就活に取り組んでも、厚生労働省が示す「学歴別卒業後3年以内離職率の推移」によると、大卒の離職率は、この20年間3割を下らない。さらによく見ると卒業後1年以内の離職率が一貫して最も高いことがわかる。これは学生と就職先の不幸なミスマッチが全く解決されてこなかった結果である。

 たまたまこの原稿をボストンからの帰国の機内で書いている。ボストン(正確にはケンブリッジ)では、所用の合間に、昨年秋マサチューセッツ工科大学(MIT)に入学した知り合いの日本人留学生から、入学後の様子について詳しく話を聞くことができた。

 前回の寄稿でも紹介したように、米国大学生の学習活動の厳しさは決して生ぬるいものではない。しかし、3月ともなると、そろそろ夏休みのことを考え始めるという。

 この時期になると大学からインターンシップ(就業体験)先の企業や研究機関が紹介される。学生も興味の赴くまま、しかし将来の進路も考えて希望する紹介先への応募を始める。両者の要件が合えば、その夏の過ごし方が決まる。もちろん労務に対する賃金は支払われる。

就業体験生かす米国の大学生


 米国の大学の夏季休暇は3カ月間と長いため、かなりまとまった実務体験が可能である。受け入れ側もそれを前提に研修プログラムやプロジェクト型の業務を用意し、場合によっては学生の実務能力に依存するかたちで仕事を割り当てることもある。

 大学では成績でしか計られない評価を、学生はこれらの業務体験を通じて、自らの職業的能力の可能性を知り、業務評価を受けることになる。短期間ではあるが、自分はどのような仕事に向いているのか、どのような仕事の仕方が好きなのか、自らのポテンシャルや将来的なライフスタイルを考える好機ともなる。

 いずれにしても、インターン生は職場では最大の努力をして高い評価を得ようとする。卒業後、就職活動をする際に、インターン生だったときの職場の上司によい推薦状を書いてもらえるからである。

市場と近接、緊張感保つ


 一般論として、米国の大学の教育指針もこの社会との接点を重視している。サンフランシスコに本校があるアカデミー・オブ・アート大学の工業デザイン学科の大学院では、修士プロジェクトで製品のプロトタイプないしイメージを表したポートフォリオをダウンタウンの道行く人たちに示し、「この製品が〇〇ドルで販売されたら購入したいか」というアンケートを行い、「イエス」と答えた人の署名を集めさせている。

 学生が自分の作品に対し、少なくとも数百からの人たちの「イエス」を集めてこないと、指導教員はその修士プロジェクトそのものにゴーサインを出さない。学生には常に市場との会話をさせて、決して独りよがりではない、自分の作品の金銭的評価と市場価値を認識させている。

 実はこうした教室を飛び出して得た社会の中での専門的職務体験は、逆に大学で何を学ぶべきかを気づかせてくれ、学修の動機付けともなる。職業的キャリアをレーシングカーが走るサーキットとするならば、大学はピットインである。

 レースの途中で知識やスキルのメンテナンスを行う。サーキットを走るレーシングカーは必要に応じてピットに飛び込んできて、メンテナンスが終わったら直ちにサーキットに戻ってラップを重ねる。大学と社会とは、そんな融合的かつ緊張した関係でありたい。
日刊工業新聞2016年3月21日「卓見異見」
矢島里佳
矢島里佳 Yajima Rika 和える 代表
学生の頃にどこまで社会と大人と関わるかということが、とても大事だと思います。私自身、大学1年時からいろんな大人と出会い、実際にインターンも経験し、働くということを考える機会をいただきました。大学3年生になっていきなり働くということを考えるのは難しいと思います。生きるの中に働くがある今の時代だからこそ、就職活動という枠組みではなく、働くについてのリアリティを持つこともできるのではないでしょうか。

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