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「激写」アートディレクターが語る素人のお嬢さんがヌードになる確率

文・写真=長友啓典(デザイン会社K2代表)「GORO」で初めて篠山紀信さん出会う
 40年程前に「GORO」という男子向け雑誌が創刊された。創刊時は、まだ試行錯誤されていた編集コンセプトも2年ぐらい経った頃、ほぼ落ち着き、ターゲットも絞られた。篠山紀信さんが表紙と巻頭グラビアを引き受けることになり、同じくディレクターとしてボクが指名を受けた。篠山さんとの初めての出会いであった。

 「激写」というフレーズが商標登録された時代である。勢いのある写真が毎号のように掲載されていた。それは篠山紀信さんが編集長以上に編集長らしく、生来のアートディレクターの目を持っていたことによることが大である。色々な写真家と仕事をする機会に恵まれたが、篠山さんにはそういった意味で大層教わることが多かった。

 後年、「写楽」という「GORO」の兄貴的存在の写真を中心とした相互雑誌の創刊時は、編集会議を小学館の内部でするところ、外に出て篠山紀信事務所に集まり、写真家、アートディレクター、作家、評論家等と編集者が喧々囂々(けんけんごうごう)と議事が進行したほどである。

ページを繰る生理を心得て撮影していた篠山さん


 大概の場合、ワンショット、ワンショットの善し悪しで撮影は進行するのだが、篠山さんはエディトリアルという映像の流れをちゃんと把握され、ページを繰る生理を心得て撮影がなされていた。アートディレクターとすればこんな楽なことはなかった。時には違った切り口で編集を試みたり、ページネーションを考えるのだが、どうしたって篠山さんが撮るあのライブ感が出なかった。本当に頭が下がる。

 「激写」が社会現象になるほど、世間を一世風靡(いっせいふうび)したのは「激写チーム」の奮闘を語らずにはおられない。モデルである素人のお嬢さんがヌードを決意するに至るまで根気よく説明する力は並大抵ではなかった。

 ほとんどは街中で「コレッ」と思ったお嬢さん方に声を掛けるのがキッカケなんですよ。彼女たちが首を縦に振り、それからご両親の承諾を得る為に東奔西走するのだから大変なのだ。

 そんな中、面白いことを見つけた。お母さんはお嬢さんの決意に「二十歳の記念に……」と納得するのだが、お父さんの場合は、ホワイトカラー族は「説得に弱く」話を聞く姿勢があり、ブルーカラー族の父親はハナから「てやんでぇ」、「あさって来やがれ」となる確率が多いと分かった。
日刊工業新聞2016年3月25日「友さんのスケッチ」より
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
小さい頃、GOROをドキドキして見た記憶がよみがえる。

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