ニュースイッチ

酵母が息づく蔵で、微生物や米と向き合う女性副杜氏。 IT×酒造りの融合に挑む

酵母が息づく蔵で、微生物や米と向き合う女性副杜氏。 IT×酒造りの融合に挑む

旭日酒造の主力商品。左端の「ワンニャンカップ」は、売り上げの一部を動物愛護活動団体に寄付

島根県出雲市は「日本酒発祥の地」と呼ばれる。出雲神話や出雲国風土記でも記述が見られるように、古来より出雲の地と日本酒は強い結びつきがあった。たとえば一つの身体に頭と尾が8つもあるヤマタノオロチを、スサノオノミコトが退治したという有名な神話がある。スサノオノミコトは酒で大蛇をおびき寄せ、蛇が酔い潰れたところをつるぎで刺すという話だ。

この時大蛇に飲ませたのが「八塩折の酒」(やしおりのさけ)。その意味は、水のかわりに酒を使って何度も醸造したもの。ヤマタノオロチ級の大蛇を酔い潰すことができるほどアルコール度数が高く、神話の時代から出雲には高度な酒造りの技術があったことがうかがえる。

日本酒発祥の出雲市には、現在4つの日本酒の蔵元がある。今回明治2年創業の老舗であり「十旭日」(じゅうじあさひ)という酒の製造で知られる「旭日酒造」を訪ねた。また、出雲大社の御神酒「八千矛」(やちほこ)を、以前出雲にあった古川酒造から引き継いでもいる。

出雲大社に奉納された八千矛と十旭日

酒の仕込みは、店舗の裏手にある大正15年に建てられた土壁の蔵の中で行われている。約100年前から蔵の中に息づく微生物が、旭日酒造の酒の旨さの源だ。キーマンはとなるのは、旭日酒造の10代目当主佐藤誠一氏の長女・寺田栄里子氏(以下栄里子さん)。彼女は現在副杜氏を務める。

当初酒造りには後ろ向きだった女性副杜氏

2023年の出雲神在祭の前日(11月22日)に行われた「出雲の酒祭」に栄里子さんの姿があった。旭日酒造の新酒を来訪者に試飲してもらうため、おすすめの飲み方などを説明していた。看板商品の「生酛純米 十旭日」を選ぶと、まずは常温で、その後燗で飲むことを勧められた。「お燗をすると、香りと味がフワーッと広がるんです。温度による味の違いを堪能してください」と実にイキイキと自社の酒を語る。

これは、明るい黄金色の熟成酒。燗にしてもらうとさらにコクも味わいも増す。酒祭りで出されていたモツ煮込みとも相性がいい。

出雲の酒祭りで接客をする寺田栄里子さん

栄里子さんは大学卒業後、京都の茶舗に勤務していた。しかし、9代目の祖父が亡くなったことで、新しい当主になった父から請われて、旭日酒造に戻ってきた。意外にも当時は酒造りにあまり関心がなかったそうだ。

「ここで暮らしてはいましたが、酒造りの学校に通ってもいなかったので、アルバイトで瓶詰やラベル貼りといった軽作業から始めました。自分から家業に入りたいと思ったわけでもないのですし……」

しかし、そのうち日本酒の魅力にハマっていくようになる。酒がつなぐ人との出会いに喜びを感じるようになった。

「父と一緒に遠方の取引先の方をお訪ねしたことで、日本酒との向き合い方が変化したのです。飲食店の方が、お酒の魅力を最大限に発揮できるように、器や温度を変えたり、料理との相性を考えたりしてくださいました。お客様にいかにお酒を楽しんでいただけるか、とても工夫をしている姿に感動したのです。私はこんなに素晴らしいものを生み出せる蔵にいるのだから、もっとしっかりお酒に関わりたいと思うようになりました」

旭日酒造の店舗

時間も手間もかかる生酛造りで唯一無二の味を再現

出雲に戻ってから5年目に本格的に酒造りに携わるように。10年目には栄里子さんの夫の寺田幸一さんが杜氏、栄里子さんが副杜氏となり、蔵人たちとともに日本酒三昧の毎日を送っている。2008年からは「生酛造り」(きもとづくり)にもトライして、現在の旭日酒造の主力商品を生み出している。

生酛造りとは、人工の乳酸を使わない酒の技法。米や米麹をすりつぶす作業の後に、酒蔵に存在する乳酸菌が乳酸を造る。そこに酒蔵の壁や天井などに住み着いた酵母が入って育つことで酒母が完成する。人工の乳酸を使えば2週間ほどで酒母を作ることができるが、生酛造りは最低でも一ヶ月ほどかかる。

「長くこの蔵に生きている酵母たちが、酒母やもろみにイタズラをすることで、酒の味わいに個性を加えているのではないかと思って始めました。と言っても、我々はそのプロセスをコントロールするのではなく、手伝っているだけです」

前述の通り、生酛造りは人工の乳酸を使うよりも工程は長く、手間がかかる。しかも安定的な製造も担保しづらい。こういう理由から、栄里子さんが生酛造りを提案した時、職人たちから反対の声があがった。そこで初年度は酵母を添加し、2年目から全て蔵に住んでいる酵母で醸すなど、徐々に生酛造りを増やしていった。

酒蔵の様子。ここに住み着いた酵母が酒の旨さにつながる。

新たな農家と出会い新しい酒米での銘柄も加えるなど、15年間も地道に続けてきたことで、どこにもない味わいが出来上がった。

十旭日は“万人にウケる飲みやすさ”というよりも、“味の爪痕をしっかり残す”タイプ。日本酒好きに愛されるクラシカルな酒だが「お料理に合わせて、好みに合わせて水を加えてもいいですよ」と、栄里子さんは言う。もちろん酒造りに関して譲歩はしないが、飲む人への心遣いは忘れない。そう、日本酒は芸術品ではなく、飲んでもらってなんぼのものだからだ。

店舗の中にある試飲コーナー。まずは好きな酒を知るのが大事

ITの導入で心のゆとりが生まれた

2020年から世界を席巻した新型コロナ禍の影響で、日本酒の需要が減った時期がある。そこで栄里子さんはYouTubeを始めて「出雲の地酒 十旭日チャンネル」を7回配信。十旭日はかなり種類が多いので、ここで詳しい説明をしている。

その後インスタライブにも着手。作業の合間に日々状態が変わるもろみの様子をリアルタイムで配信し、視聴者からの質問にも答える。仕込みの段階によっては「パチパチ」と弾けるもろみの音を聴くことができ、「ああ、酒は生きているんだ」と感じられる。

毎年11月から4月にかけて、文字通り寝食を忘れて酒造りに没頭する。プライベートな時間もほとんどない。そこでITを導入。麹の温度を測るソフトを知己のIT企業に開発してもらったのだ。

「麹の出来はお酒の味を左右します。相手は微生物でとても神経を使うので、こまめに現場に行って温度を確認していましたが、これでは寝る時間もままなりません。でも麹に挿した温度計から連続した温度の情報がスマホのアプリに届くので、麹の状態や傾向を手元で見守ることができ、他のメンバーとも情報が共有できます。それで心の余裕が生まれました」

それでも、栄里子さん曰く、酒造りはまだまだ摸索中だそう。「これでいいのだろうか」と自問自答することが多いが「出雲で酒造りができることに感謝しかないです」と微笑む。(ライター=東野りか)

編集部のおすすめ