50周年を迎えた「武蔵野線」の魅力は、不器用さまで愛される“路線柄”?
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開業50周年を迎えた「武蔵野線」
「武蔵野線」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。首都圏に住んでいる人なら、沿線に広がる「田舎」っぽい風景、東京競馬場や中山競馬場のアクセスに便利な「ギャンブル路線」、最近は強風でも止まりにくくなった……など、何かしらイメージがあるだろう。が、首都圏外の人にとっては、山手線や中央線は知っていても、武蔵野線は名前も聞いたことのない場合が多いのではないか。
武蔵野線は、山手線より外側を走る、輪が閉じていない「不完全な環状路線」だ。神奈川県・鶴見駅(時計でいえば6時の位置)からスタートし、東京都の西側の府中本町駅や西国分寺駅(9時)を通って埼玉県に入り、南越谷駅(12時)などを経て千葉県へ、さらに東松戸駅(3時)などを通って西船橋駅(4時)に至る。ちなみに、鶴見-府中本町間は、通常は貨物列車しか走らず「武蔵野南線」とも呼ばれる。
正直、いまひとつパッとしない地味な路線である。その武蔵野線は、2023年に開業50周年の節目を迎えた。人間ならば『論語』的にいえば「天命を知る(知命)」年齢だ。では武蔵野線さんがどんな50歳になったのかといえば、それがなかなか、味のある魅力的な大人になっているようなのだ。
『開業50周年! 武蔵野線をゆく』(イカロス出版)を読むと、武蔵野線の「人柄」ならぬ“路線柄”が見える。武蔵野線ユーザーや鉄道好きの方はもちろん、武蔵野線に縁のない生活を送ってきた人にもその魅力が十分に伝わってくる。著者の鼠入昌史さんは、文春オンラインや東洋経済オンラインのほか、週刊誌・月刊誌・ニュースサイトなどに執筆するライター。鉄道関係の取材・執筆も多く手掛けている。
不器用さまで愛される武蔵野線の“路線柄”
本書でも述べられているのだが、首都圏の鉄道の多くは、都心部に核となるターミナルを持ち、郊外からそのターミナルを目指して走る。その点、都心をぐるりと囲むように走る武蔵野線は特異である。
環状に走るがゆえに、都心から放射状に伸びる路線の多くと接続する。南武線、中央線、西武池袋線、東武東上線、埼京線、京浜東北線、埼玉スタジアム線、東武スカイツリーライン、つくばエクスプレス、常磐線、新京成線、京成成田スカイアクセス線・北総線、東葉高速線、総武線、東京メトロ東西線、京葉線……といった具合だ。地味なイメージとは言ったが、この便利さは結構目立つ特徴だろう。
唐突だが、あなたの周りにも、こんな武蔵野線のような人がいないだろうか。会社の中枢(都心)には食い込んでいなさそうなのに、この部署(例・中央線)にも、あの部署(例・埼京線)にも知り合いがいて、快く繋いでくれる。本業はよくわからないけれど、意外な人(例・つくばエクスプレス)とも繋がっていたりして、人と人の橋渡しがうまい人だ。決して派手ではないのだが、味のある大人である。
ちなみに著者の鼠入さんは、武蔵野線が多くの路線に接続することについて、そのおかげで「放射状路線が存分に機能を発揮でき」ると語る。が、その一方で、なかなか辛口なコメントも。例えば、私鉄との乗り換え駅において駅名が違うことが多いなど「意味がわからない」と記している。
実際、「南越谷駅」は東武スカイツリーラインの「新越谷駅」との、「北朝霞駅」は東武東上線「朝霞台駅」との乗り換え駅だ。これは、知っていないと乗り換えの計画を立てられない。しかも「新秋津駅」から西武池袋線「秋津駅」に乗り換え可能だということを知っても、いざ駅に降りてみると呆然とするかもしれない。「秋津駅」が見えず、乗り換えるには、街中を歩かないといけないからだ。かと思えば「新松戸駅」は流山線「幸谷駅」のほとんど目の前にあるのに、公式には乗り換え駅になっていない……という。確かに、便利なのか不便なのか、よくわからなくなってくる。
ただし、本書を執筆するにあたり沿線全駅を訪問し、退屈さや不便さまで含めて丁寧に紹介していく鼠入さんの書きぶりからは、武蔵野線への熱い思いが伝わってくる。いわば、不器用さまで愛されてしまうのが武蔵野線の“路線柄”なのだ。読み進むにつれ、次第に無粋な武蔵野線が愛おしくなってくるから不思議だ。
沿線の発展や人口増に貢献して「出世」
1973年、府中本町-新松戸間が開業した当初、全列車6両編成、ラッシュ時15分間隔、日中は40分間隔のダイヤが組まれたという。鼠入さんの言葉を借りれば「ローカル線に毛が生えた」程度。開業初年度のピーク時混雑率114%(新小平-西国分寺間)、終日平均混雑率30%で「ガラガラ」状態。大半の駅で予想利用者数の3分の1から4分の1程度にとどまった。つらい新人時代である。
しかしその後、状況は大きく変わる。例えば、東所沢駅周辺に広大な住宅地ができるなど沿線開発が進んだ。埼京線との接続駅である「武蔵浦和駅」の乗車人員は、開業翌年度の1986年度1日平均1万1269人から5年後の1991年には2万3950人に、東武伊勢崎線と接続する「南越谷駅」は、同期間に2万9324人から4万9053人へと激増。武蔵野線は、その混雑ぶりも話題にのぼるようになったという。
利用者の増加を受けて、1989年には日中の運転間隔は12分に統一。1990年には京葉線が東京駅まで延伸し、武蔵野線は東京駅まで直通するようになった。地味とはいえ、開業当初からすれば見違えるほどの出世を果たしてきたのである。いまの首都圏の有り様は、武蔵野線があることによって成り立っているとまで鼠入さんは言うが、おそらく誇張ではないのだろう。
さて、50歳(知命)を迎えた武蔵野線が、「天命」を知ったとしたら何だろうか。この本では、武蔵野線は「日本一の、生活路線」だとまとめている。派手ではないけれど、人々の「生活」に密着した路線であることが、武蔵野線の天命なのかもしれない。 (文=情報工場「SERENDIP」編集部 前田真織)
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『開業50周年! 武蔵野線をゆく』
鼠入 昌史 著
イカロス出版
184p 1,650円(税込)