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特殊部隊「グリーンベレー」の異名をとる、味の素の海外市場開拓チームの底力

<情報工場 「読学」のススメ#123>『地球行商人』(黒木 亮 著)
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「味の素グリーンベレー」の正体は

「味の素」という社名から何を思い浮かべるだろう。同社には、和風なら「ほんだし」、洋風なら「味の素KKコンソメ」、手軽さなら「CookDo」、スポーツをする人なら「アミノバイタル」などなど、幅広い商品群がある。先日、社会科見学で味の素の工場を訪れた小学生の娘は、赤いキャップのミニボトルに入ったうま味調味料「味の素」をもらってきた。

食卓に並ぶ商品を提供するだけに、家庭的で平和なイメージもある同社だが、じつは社内に「グリーンベレー」の異名をとるチームがあるらしい。言わずと知れた米陸軍特殊部隊の俗称で呼ばれるとは穏やかでないが、いったいどんなチームなのか。

『地球行商人』(中央公論新社)では、味の素で海外市場の開拓を担うグリーンベレーをはじめとする営業職や、研究職の人たちの働きぶりを、物語風にたどりながら詳しく知ることができる。フィリピン、ベトナム、インドといったアジア圏から、南米はペルー、アフリカはエジプトやナイジェリアといった新興国で、現地のものを食べ、現地の言葉を話し、現地の人たちを雇って一緒に働きながら「行商」で市場を開拓している。

著者の黒木亮さんは、フィクション、ノンフィクションともに手がける作家。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学大学院(中東研究科)修士修了後、銀行、証券会社、総合商社に23年あまり勤務し、2000年に国際金融ビジネス小説『トップ・レフト』で作家デビューした。箱根駅伝を走った元ランナーでもあり、1988年から英国在住だ。

「永遠のOJT教育」で現地スタッフたちと働く

「行商」を辞書で引くと「商品を持って家々をたずね歩き、小売すること。また、その人」とある。各国で市場開拓を担う味の素の行商人たちは、商品を携え、現地の零細食料雑貨店を含む小売店をめぐっている。

物語の始まりは、1965年のフィリピンだ。当時29歳のマニラ駐在員で、グリーンベレーの「生みの親」とも言える古関啓一さんは、現地の事情を鑑み、商品を問屋経由で販売するのではなく直販とすること、さらに、その日暮らしの生活をしている人たちが気軽に購入できるよう、販売単位を小分けにすることなどを本社と交渉。当初、100グラム入りだった商品を3グラムずつに小分けし、現地の営業スタッフたちと一緒に営業活動を繰り広げた。その手法は「現地スタッフ、現物取引、現金」の「三現主義」だったという。

重要なのは、現地に暮らす人々をきちんと理解し、彼らに最適なかたちで商品を提供することなのだろう。古関さんの薫陶を受けた日本人営業スタッフたちは、各国で直販部隊を指揮するようになるが、それぞれ現地の言葉を学び、現地のお客さんにファーストネームで呼びかけ、現地の食べ物を食べて舌を現地化し、「味の素」が合う料理を探して売り込みをかけ、着実に販売を伸ばしていく。

とはいえ、現地では信じられないようなことが次々起こる。驚きのエピソードの数々はこの本の大きな魅力だ。フィリピンで「日本兵に両親と夫を殺された」と老婆に泣き喚かれた古関さんは、彼女の手を握ってお詫びを伝える。ほどなく彼女は味の素を取り扱うようになる。ペルーでは、国民の健康増進のために小麦に鉄分を入れることが法律で定められている。ナイジェリアでは、護衛の私服警官が、道を開けないという理由でトレーラーのコンテナに発砲する事態まで起きる。

現地の営業スタッフたちも一筋縄にはいかず、仕事を覚えたと思ったら突然辞めていく人も多い。そのなかでも「商品は必ず両手に持って渡す」「相手から目を逸らさない」「メモをとる」といった教育を地道に重ね、「10回断られても50回、100回と繰り返す」「気合と根性と忍耐」といった泥臭さで味の素流の販売方法を浸透させていく。「永遠のOJT教育」と表現されているが、その様子から、グリーンベレーと呼ばれる理由もわかる気がしてくる。

マーケティングの時代に「行商人」が持つ価値

ひたすら泥臭く現地を歩き回る行商は、SNS全盛期で、マーケティングが重視される現代には支持されないかもしれない。しかし、行間からは、良い商品をその地に暮らす人たちに届け、広げていくことに対する誇りや喜び、直接会って、売って、心を通わせることの温かさが伝わってもくる。時代が変わっても、商品には最終消費者がいる。行商人は、最終消費者が何をどうつくって食べるのか、何を思って暮らしているのかを、舌や肌で知っているのだ。その情報とネットワーク、人間力は、現代にも大きな価値を生み出せるはずだ。

2013年ごろ、エジプト革命最中のカイロのエピソードが印象的だった。大統領を支持する勢力と軍が衝突し、広場にはデモ隊が陣取り、軍の戦車や装甲車が展開して道は封鎖され、銃声が響く大混乱の時期。そのなかでも、表通りを離れて庶民の市場に向かえば、そこには変わらぬ日常が続いていて、味の素を求める人がいるのだ。営業スタッフたちは、いつものカバンに商品を入れ、歩き回って行商を続けていたという。

戦争、自然災害、パンデミックなど、どんなに悲惨な状況のなかでも、人間は食べなければ生きていけない。庶民の食生活を支えるために歩き続ける行商人たちの姿から、味の素が備える「底力」を知った気がした。(文=情報工場「SERENDIP」編集部 前田真織)

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『地球行商人』
黒木 亮 著
中央公論新社
496p 2,420円(税込)
情報工場 「読学」のススメ#123
吉川清史
吉川清史 Yoshikawa Kiyoshi 情報工場 チーフエディター
味の素が世界で主に「行商」しているのは、主力商品である、うま味調味料「味の素」という小さな商品だ。それ単体で食されることはほぼなく、必ず料理と組み合わさって使われる。本書には、駐在員が特技である手品を披露して現地に溶け込むエピソードも描かれているが、まさにマジックのようにふりかけただけで劇的に味が変わる味の素は、現地に赴き、現地の人々の前で実演、試食して感動してもらってこそ、販促の効果が見込めるのだろう。新たな味の組み合わせに行商人自らが感動することもあるはずだ。そうした感動の連鎖や広がりが、行商人たちのモチベーションになっているという面もあるに違いない。

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