記者が見た5年という時間。震災後に購入した工作機械が映し出す現実
雪ヶ谷精密工業(気仙沼市)、社長は待ち望んだ新工場を見て息を引き取った
東日本大震災からまもなく5年を迎える。大きな被害を受けた岩手、宮城、福島の3県では、中小企業再興や新産業育成、社会インフラの整備が進む。すべてを失ったかに見えたあの日から1800日余―。被災地の産業はたくましく復興の道を歩んでいる。ただ、労働力不足や福島県での原発事故の影響は解消されていない。課題を乗り越え、復興から自律成長へとかじを切る被災地の今を追った。
宮城県気仙沼市の沿岸部に本社があった雪ヶ谷精密工業。津波で壊滅的な被害を受けたが、2014年に市内山間部で新工場を建設し復興を成し遂げた。
生産再開後は震災前の受注残を消化しつつ復興を軌道に乗せた。しかし今、主力の耳鼻科向け医療用いすの出荷は横ばい。「金属加工など自社技術を生かした新ビジネス創出が欠かせない」と菊田芳政専務は強調する。
ただ、足かせとなるのが労働力不足だ。同社の従業員は約20人と震災前の水準に戻ったが、残業で仕事を回している状態。そのうち2人は70歳を超える。「このままでは新ビジネスの模索や研究開発も満足にできない」と菊田専務は嘆く。
気仙沼市の有効求人倍率は15年8月時点で1・68倍。まさに売り手市場で「若手人材の取り合い」(菊田専務)なのが現実だ。
そんな中、鋼構造物の作製が主力の北斗(宮城県気仙沼市)は、外国人労働者の活用で課題解決を模索する。外国人技能実習制度を活用し、4月をめどにタイから溶接技能実習生を受け入れる。同制度は15年度から造船業や建設業にも、受け入れ期間を5年に延長する時限措置が適用された。「5年で十分な技能が習得できる」(武田孝志社長)と受け入れに踏み切る。
人を地元に定着させるには働く魅力や意義の訴求も必要だ。東北資材工業(岩手県花巻市)は水産事業者などと組み、高級すし食材のエゾイシカゲガイ養殖の収量拡大に乗り出した。
ホタテの数倍から10倍の高値で取引されるエゾイシカゲガイ。生存率が高く生育の手間が少ないため、安定収益が期待できる。高谷泰光取締役は「若い人材が地元で十分に生計が立てられる可能性がある」とみる。
同社は主力の発泡スチロール製造のノウハウを生かし、海中に重ねてつり下げる養殖用容器を実用化した。生産量を増やして「観光者を呼び込む地域ブランドに育てたい」(高谷取締役)と力を込める。
(文=長塚崇寛)
<ファシリテーターコメント>
縁あって被災直後の雪ヶ谷精密工業を1カ月間取材した。気仙沼湾沿岸部に立地していた旧本社工場は、津波ですべてを失った。幸いにも従業員は全員無事だったが、同社の復旧・復興の道はまさにゼロからのスタートとなった。
被災から約3カ月後の6月下旬。市内の自宅ガレージで、操業再開を決断した菊田芳孝前社長の元に集まった従業員は4人。積み上がるがれきの中から、使えそうな治工具を発掘することから作業は始まった。
(続きはコメント欄で)
宮城県気仙沼市の沿岸部に本社があった雪ヶ谷精密工業。津波で壊滅的な被害を受けたが、2014年に市内山間部で新工場を建設し復興を成し遂げた。
生産再開後は震災前の受注残を消化しつつ復興を軌道に乗せた。しかし今、主力の耳鼻科向け医療用いすの出荷は横ばい。「金属加工など自社技術を生かした新ビジネス創出が欠かせない」と菊田芳政専務は強調する。
若手取り合い
ただ、足かせとなるのが労働力不足だ。同社の従業員は約20人と震災前の水準に戻ったが、残業で仕事を回している状態。そのうち2人は70歳を超える。「このままでは新ビジネスの模索や研究開発も満足にできない」と菊田専務は嘆く。
気仙沼市の有効求人倍率は15年8月時点で1・68倍。まさに売り手市場で「若手人材の取り合い」(菊田専務)なのが現実だ。
そんな中、鋼構造物の作製が主力の北斗(宮城県気仙沼市)は、外国人労働者の活用で課題解決を模索する。外国人技能実習制度を活用し、4月をめどにタイから溶接技能実習生を受け入れる。同制度は15年度から造船業や建設業にも、受け入れ期間を5年に延長する時限措置が適用された。「5年で十分な技能が習得できる」(武田孝志社長)と受け入れに踏み切る。
働く魅力訴求
人を地元に定着させるには働く魅力や意義の訴求も必要だ。東北資材工業(岩手県花巻市)は水産事業者などと組み、高級すし食材のエゾイシカゲガイ養殖の収量拡大に乗り出した。
ホタテの数倍から10倍の高値で取引されるエゾイシカゲガイ。生存率が高く生育の手間が少ないため、安定収益が期待できる。高谷泰光取締役は「若い人材が地元で十分に生計が立てられる可能性がある」とみる。
同社は主力の発泡スチロール製造のノウハウを生かし、海中に重ねてつり下げる養殖用容器を実用化した。生産量を増やして「観光者を呼び込む地域ブランドに育てたい」(高谷取締役)と力を込める。
(文=長塚崇寛)
<ファシリテーターコメント>
縁あって被災直後の雪ヶ谷精密工業を1カ月間取材した。気仙沼湾沿岸部に立地していた旧本社工場は、津波ですべてを失った。幸いにも従業員は全員無事だったが、同社の復旧・復興の道はまさにゼロからのスタートとなった。
被災から約3カ月後の6月下旬。市内の自宅ガレージで、操業再開を決断した菊田芳孝前社長の元に集まった従業員は4人。積み上がるがれきの中から、使えそうな治工具を発掘することから作業は始まった。
(続きはコメント欄で)
日刊工業新聞2016年3月3日