ビジネスパーソンが問われる「塩梅」の意味
現代の私たちの暮らしに「塩」にまつわる言葉は多い。「敵に塩を送る」「手塩にかける」から「塩対応」まで。そして、今、多くのビジネスパーソンが直面するのが「塩梅」だ。
塩が生活に欠かせない働きをしているのは言うまでもないだろう。古代から中世にかけて塩は欧州で通貨の代わりに使われていたほどだ。今でもその名残はあり、給料を意味する英語のサラリーはラテン語のサラリウム(塩を供給するの意味)に由来する。
もちろん、料理でも貴重な役割を担う。塩の加減は味の生命線である。
例えば、日本料理が四季とともに味付けが変わる。醤油と塩の配分は季節ごとに逆転する。冬に7:3の配分が初夏に4:6に、そして夏には3:7になる。塩加減、すなわち「塩梅」が重要になる。
塩梅の語源は諸説ある。梅干しをつくるときの塩加減からきているという説のほかに、中国でスープを作るときに、塩と梅をほどよく調和させ、味を調えた説もある。いずれにせよ、「えんばい」と読まれていたものが、程よく配列する、という意味の「按配」と混同されて、同じ「あんばい」と読まれるようになったとの見方が支配的だ。
職場で上司から「あとはいい塩梅でやっといてよ」と仕事を振られた経験が誰にでもあるだろう。上司としては「あとは適当に」という意味だったかもしれないが、塩梅の語源にさかのぼれば、きめ細かい心配りが必要なことがわかる。そして、この「塩梅」こそが、いまや多くのビジネスパーソンが直面している問題でもある。
テクノロジーの進展で世界は情報にあふれている。誰もがスマホをいじるだけで、世界中の情報を収集できるようになった。「適当な」さじ加減で仕事をしていたら、取引先や顧客に適当さが見破られる時代ともいえる。料理人や梅職人でなくても、「塩梅」の本来の意味を考えなければいけない。
例えば商品開発。一昔前ならば新商品を出せば売れた時代もあったし、「安かろう悪かろう」でも売れた時代もあった。だが、今では安くても質が悪すぎれば見向きもされないし、高品質だからといって高い値付けでは買ってもらえない。
性能も同じ問題を抱える。
例えば、自動車で、車のドアを閉める音は、品質を示す象徴として考えられている。閉めた際に「ドンッ」と重厚な音がすると高級感を私たちは感じやすい。
ただ、当然だが、ドアを重くすれば車体も重くなり、走行時の燃費が悪くなる。コストパフォーマンスを訴求したいメーカーには悩ましい問題になる。
品質と価格、相反する性能、外観と性能をどうバランスさせるか。
それこそ、日本料理における醤油と塩の割合のように時に変えながら調整しなければいけない。
つまり、私たちが日常で目にするモノやサービスは開発者やマーケッターなどが試行錯誤を重ねた末の「いい塩梅」の結果ともいえる。そう考えると、日常の景色も少し変わって見えてくるのではないだろうか。