三菱重工のMSJ撤退、「失敗の要因」と「経営への影響」
三菱重工業が小型ジェット旅客機「三菱スペースジェット(MSJ)」事業からの撤退を決めた。約1兆円とみられる資金を投じ、三菱重工のみならず国内航空機産業の期待も背負った一大プロジェクトが幕を閉じた。足かけ20年に及んだ開発の歩みを振り返りつつ、「失敗の理由」「成果・経営への影響」「国内航空機産業への影響」についてまとめた。(戸村智幸、名古屋・鈴木俊彦)
型式証明、見通したたず ノウハウ不足露呈
MSJ、旧三菱リージョナルジェット(MRJ)は国内の航空機産業の構造を変革する挑戦だった。国産旅客機「YS11」の生産が1973年に終了して以来、完成機メーカーがなく、米ボーイングのティア1(下請け)として、重工業大手が機体やエンジンの部品を手がけてきた。そうした中、三菱重工は03年に経済産業省の助成事業に採択され「国産ジェット」の研究開発に着手。08年には開発子会社の三菱航空機(愛知県豊山町)を設立し、本格的な開発に乗り出した。
挑戦を断念した理由は何なのか。端的に言えば、型式証明(TC)取得の見通しが立たなかったことだ。TCは国の航空当局の審査で安全性を証明する役割を持っており、就航に不可欠。しかし三菱重工には取得するためのノウハウが不足しており、これが失敗を招いた。
当初は13年の初号機納入を目指したが、設計変更などで納入延期を繰り返した。17年の5度目の延期後、外国人技術者を採用して巻き返しを図ったが、20年にも延期。さらに新型コロナウイルス感染拡大による航空需要急減に見舞われ、同年10月、「いったん立ち止まる」として開発を事実上、凍結した。
それから約2年後。三菱重工の泉沢清次社長は7日の会見で「何か手はないか、突破口がないか模索していた」と説明した。しかしTCを取得するには、年間約1000億円を数年かける必要があるとみて撤退を決めた。
コロナ禍からの経済再開で航空需要は回復中だが、MSJが狙う座席数百席未満のリージョナルジェット市場は、航空会社のパイロット不足が問題になっている。また開発遅延の間に競合のブラジル・エンブラエルが市場を席巻し、MSJが割って入る余地は限られている。事業性について不透明感が強まったことも撤退の判断を後押しした。
防衛事業に知見生かす
三菱重工は防衛事業で、日英伊による次期戦闘機共同開発に参画する。MSJの開発人員を防衛に配置転換し、飛行試験や空力制御などの知見を生かす計画だ。
ティア1事業への波及も見込む。三菱重工は22年、ボーイングと航空機のカーボンニュートラル(温室効果ガス排出量実質ゼロ)に向けて覚書(MOU)を結んだ。持続可能な航空燃料(SAF)、水素、電動化など脱炭素の新分野で協業する。泉沢社長は「完成機を作る技術力が評価された」と胸を張る。ティア1事業についても、「完成機の知見により、レベルの高い協力関係を築ける」と効果を強調する。
三菱重工の経営への悪影響は限られそう。既に20年3月期にMSJ関連の資産1224億円の減損損失を計上済みで、23年3月期の業績への影響は軽微だ。
ティア1事業も持ち直している。航空需要回復と為替の円安が追い風だ。ティア1事業を含む航空・防衛・宇宙部門の23年3月期の事業利益は、前期比2倍の400億円を見込む。
さらに言えば、三菱重工の経営を支えているのは、ガスタービンや原子力の発電機器だ。これらのエナジー部門の23年3月期の事業利益は前期比27・6%増の1100億円を見込み、全社の約半分を占める。脱炭素に向けたエネルギートランジション(移行)戦略でも、同部門が中核となる。
ボーイングの復調に期待
日本の航空機産業は、三菱重工や川崎重工業、SUBARU(スバル)がティア1として、ボーイングの中型機「787」などの部位を分担製造し、サプライヤーが部品加工や機体組み立てで支える構図だ。
ティア1の3社は中部地方に航空機の工場を構え、サプライヤーも集積する。MSJの開発動向の行方に左右されてきた中部の部品メーカーにとって、開発凍結から中止への移行は織り込み済みのところが多い。ボーイングから受注している企業もあり、サプライヤーからは「787、(大型機)777の復調に期待する」との声が上がり、すでにフォーカスを切り替えている。
実際にボーイング機分担製造の仕事は増加が見込める。コロナ禍の航空需要低迷で、ボーイング機の生産は大きく落ち込んだが、経済再開により需要が回復している。同社の22年の受注は前年比約4割増の774機に回復。787は品質問題で納入を中断していたが、22年8月に再開した。製造までの時間差はあるが、重工大手やサプライヤーの今後の仕事量増が期待できる。
国産旅客機は二度と生産できないのだろうか。三菱重工はMSJから撤退するが、夢を諦めきれないように思える。説明資料には今後の取り組みの一つとして、「完成機を見据えた次世代技術の検討」と記した。
この意味について、泉沢社長は「一つのプロジェクトを中止した段階で、次はどうだと容易に話せるレベルではない」と述べるにとどめた。MSJの次があるかは、三菱重工が苦い経験を血肉にした上で市場性などの条件が整うか次第だ。ハードルは非常に高い。