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日本は水道インフラのAIベンチャー「フラクタ」を生かせるか

<情報工場 「読学」のススメ#111>『水道を救え』(加藤 崇 著)
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水道の危機を打開するAIベンチャー

街を歩いていて、「水道管の取り換え工事をしています」といった看板を見かけることがある。脇をすり抜けながらのぞき込むと、掘り返された道路の下で、何やら作業をしている人の姿が見えたりする。

こうした工事現場に出くわした時などに、いつも気になることがあった。日本全国津々浦々に埋まっているすべての水道管の「取り替え工事」をしたら、どれほどの時間がかかるのだろう……。『水道を救え』(新潮新書)によると、今のペースで工事を続けると、なんと130年以上もかかるらしい。

水道管の老朽化については、以前から問題視されている。日本全域に張り巡らされている水道管は約67万6500キロメートル。うち、法定耐用年数の40年を超えて使われ続けている水道管は約15万3700キロメートル。地球約4周分だ。そして、その網の目のように張り巡らされた水道管のどこかで、年間2万件を超える水道管の漏水・破損事故が起き、そのたびに補修工事などが必要になる。まさに、日本の水道は危機的な状況にある。

この危機を打開すると期待されているスタートアップがある。AI(人工知能)によるシミュレーションで「交換すべき水道管」を判別する事業を行う「FRACTA(フラクタ)」だ。創業者で、『水道を救え』の著者でもある加藤崇さんは、2015年に米シリコンバレーで同社を創業、CEOに就任。現在は同社会長を務める。加藤さんは、東京大学発ロボットベンチャー「株式会社シャフト」の共同創業者でもあり、同社をGoogleに売却したことで知られる起業家でもある。

1300の要素を解析して水道管の腐食を予測

水道の老朽化問題の難しさは、単に古くなった水道管を順次取り替えればいいわけではないことにある。老朽化は腐食によって進むが、そのスピードは、埋まっている周辺土壌の湿度、地上における車両の往来、勾配の有無などによって大きく異なる。つまり、耐用年数を超えて使える水道管もあれば、耐用年数未満で漏水してしまうケースもある。ところが水道管は地中に埋まっているため、目視で傷み具合を確認できない。それゆえ、どの水道管から交換していけばいいのかの判断が難しい。

そこでフラクタは、公開情報と独自に集めたデータから、腐食に関する1300の要素をコンピュータで解析し、腐食のパターンをAIに学習させた。それによって腐食が速く進む箇所を予測し、そこにある水道管を優先して交換することができる。

水道管をいかに効率よく補修・交換し、水道インフラを維持するかは、日本だけの課題ではない。すでにフラクタは、米国の水道公社とパートナー契約を結び、全米50州のうち28州で82以上の事業者と仕事を始めているという。米国の場合、今後30年間に110兆円が水道の更新に投入される予定で、加藤さんによると、フラクタの予測を使うことにより、不要な更新を先延ばしにする効果などで約4割、つまり40兆円以上の予算を削減できる計算だという。

翻って日本ではどうか。国内でも徐々にフラクタの認知度は高まっているようだが、本書に記されている限りでは、愛知県豊田市、兵庫県朝来市、福島県会津若松市など10強の事業者に使用例があるにすぎないようだ。それでも豊田市のケースでは、水道局職員たちの「この地域は漏水が多い」といったプロの勘ともいえる暗黙知をAIに覚え込ませるなど興味深い事例が本書には紹介されている。

ちなみに、同市の水道事業は昨年11月、「AI劣化予測診断ツール」などを使って効率的な管路更新を実施し、「他の公営企業の模範となる経営及び運営が行われている」として「優良地方公営企業総務大臣表彰事業体」にも選出されている。

日本はスタートアップを後押しする国になれるか

欧米に比べて日本ではベンチャー企業が育ちにくいといわれる。ベンチャー企業が新しいサービスや画期的な製品を開発しても、公的機関や大企業が前例主義でリスクをとろうとせず、導入をためらうのが理由の一つだろう。加藤さんは、ベンチャーの技術を上から値踏みするような日本の大企業や事業会社の態度に辟易していたと語っている。

自治体などの組織内に「水道のような公共財をベンチャー企業に任せていいのか」といった意見があることは想像に難くない。だが、たとえベンチャーでも優れた技術があるのなら、それを取り込まなければ、この先、日本の水道を維持していくことは難しいのではないか。

実は、加藤さんは、フラクタを米国で創業したにもかかわらず、あえて日本の事業会社から大型の資金調達を行った。「フラクタを経営して、最初で最後の、非合理的な決断」とのことだ。しかし彼には、「失われた30年」といわれる日本を元気にするために、日本企業にフラクタの技術を利用してほしいという考えがあるようだ。そしてフラクタは2018年、水処理装置大手メーカーの栗田工業の子会社となった。

今後、フラクタが先例となり、日本の自治体や、インフラ事業を手がける大企業がベンチャー企業と積極的に組み、技術やサービスを展開するようになっていくとしたら。それは、日本にベンチャー企業を後押しする風土をつくるという意味で、非常に意義のあることではないだろうか。

加藤さんはほかにも、シンガポールでホール・アース・ファウンデーションを創業し、ゲーミフィケーションを使ってマンホールの劣化状況を把握する試みなど、画期的な取り組みを次々と展開している。本書は、気骨ある起業家、ベンチャー企業の考え方に触れられると同時に、その存在に元気をもらえる一冊だ。(文=情報工場「SERENDIP」編集部 前田真織)

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『水道を救え』-AIベンチャー「フラクタ」の挑戦
 加藤 崇 著
 新潮社(新潮新書)206p 858円(税込)
情報工場 「読学」のススメ#111
吉川清史
吉川清史 Yoshikawa Kiyoshi 情報工場 チーフエディター
水道管に関する行政職員の暗黙知をAIに学習させたという豊田市の事例が興味深い。水道に限らず、日本では、さまざまな業種、職種に膨大な量の暗黙知が、現場の勘やノウハウといったかたちで蓄積されていると思われる。「背中を見て覚えろ」といった、ハイコンテクスト文化の伝統が、この国では根強いからだ。だからこそ、「暗黙知をAIに」という研究が進めば、それが日本企業の強みになるかもしれない。フラクタを先頭に、技術的進展を期待したい。

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