「買い物難民」生んだ関西の食品スーパー倒産、コスト上昇も価格転嫁遅れた悲劇の顛末
ツジトミは、1982年3月に設立した食品スーパーマーケット。京都府南部と大阪府北摂地域に「スーパーツジトミ」4店舗を構え、ピークとなる2000年12月期の年売上高は約52億円を計上していた。
09年以降は出店に伴う設備投資から借入金負担が増加。近隣同業者などとの競争激化で安値販売をせざるを得ない状況が続き、収益性の改善が進まず赤字決算が常態化。13年以降は運転資金の不足から借入金負担が更に膨らんでいた。19年9月には本店(八幡店)を閉店してコスト削減を図ったが、この時期から人材が流出。ベテランバイヤーが退社したことを契機に仕入部門が弱体化、商品力の低下を招いた。
20年以降は新型コロナウイルス感染拡大の影響で巣ごもり需要が拡大。21年8月には、「京田辺店」をオープンし業容は回復基調となったが、人件費負担が嵩み赤字体質は続いた。資金繰りのほか仕入れや店舗管理といった一連の業務が社長に集中していたとみられ、辻浩一社長との連絡が取りづらい状況となった。
22年以降は、エネルギー価格の高騰による光熱費や物流費の上昇でコスト負担が増加、各種食料品が相次いで値上げとなるなか、価格転嫁の遅れが続いた。京田辺店は思惑通りの売り上げとはならず、取引先への支払遅延が頻発するなど信用不安が高まっていたなか、22年10月1日付で事業を停止した。
利用客からはプリペイドカードの残高が残ったままで、前日まで通常営業していた店舗が突然閉店となったことに大きな不満の声が上がった。「サニータウン店」については、その地域で唯一のスーパーであったため、高齢者を中心に買い物難民となる住民が出ている。市民生活を支えてきた重要なインフラの倒産が一般消費者に大きな影響を及ぼすこととなった。(帝国データバンク情報部)