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ゴルフ場「太平洋クラブ」再生にみる、「高級路線化」による改革力

<情報工場 「読学」のススメ#107>『名門再生 太平洋クラブ物語』(野地 秩嘉 著)
ゴルフ場「太平洋クラブ」再生にみる、「高級路線化」による改革力

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コロナ禍でも増収を続ける「太平洋クラブ」

コロナ禍の中で「3密」を避けられるスポーツとして、ゴルフが活況という。従来のコア層である中高年だけでなく、若年層のプレーヤーにも増加傾向が見られ、ゴルフクラブの中古価格が上がったりもしている。

10年前、ゴルフ業界は不況の只中にあった。プレーヤーの減少が著しく、1971年創業の名門ゴルフ場運営会社「太平洋クラブ」が2012年、民事再生に追い込まれた。翌13年、同社とスポンサー契約を交わしたのは、パチンコ・スロットをはじめとする遊技業界大手のマルハンだった。異業種による再建に、多くの関係者が疑いの目を向ける中、太平洋クラブは見事に復活。現在も、代表的な男子プロツアーの一つ「三井住友VISA太平洋マスターズ」が開催される御殿場コースをはじめとする、国内18コースを運営する。14年以降、コロナ禍を経ても増収基調で、13年に67万3000人だった来場者は、21年に83万2000人まで増えた。

『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)は、マルハン創業者の息子である韓俊太平洋クラブ社長による同クラブ再生の過程を追ったノンフィクションだ。

パチンコにもゴルフにも縁が薄いから興味がない、という方もいるかもしれない。だが、この本から学べるのは、特定の業界のみに通じる表層的なハウツーではない。どんな業界のどんなビジネスにも通用する、企業経営の根幹における「改革」の要諦だ。そしてそこには、「太平洋クラブ」のブランド構築を成し遂げた、韓社長と従業員一人一人の地道な努力や思いが詰まっている。

著者の野地秩嘉さんは、『スバル ヒコーキ野郎が作ったクルマ』(プレジデント社)、『警察庁長官 知られざる警察トップの仕事と素顔』(朝日新書)、『キャンティ物語』(幻冬舎文庫)など、幅広い業界をフォローするノンフィクション作家だ。ていねいな取材から、生き生きとした人物像を浮かび上がらせ、人間味あふれるストーリーを描き出す。

マルハンで成功した「イズム」を「太平洋クラブ」に応用

韓俊社長の太平洋クラブ再生物語は、彼の父、韓昌祐さんが創業したマルハンを抜きに語れない。韓俊社長は1989年、中央大学卒業後に大阪興銀に就職した後、91年にマルハンに転じ、兄の裕さんと共にバブル崩壊後に苦しくなった経営の立て直しに当たった。当時店舗数は35(2022年6月現在314)あったが、各店の店長はそれぞれ勝手に営業し、組織としてはバラバラだったという。韓兄弟は本部が全体をコントロールできるよう組織化。同時に社員教育に力を入れるなどして、会社をまとめていった。

具体的には、「マルハンイズム」プロジェクトを立ち上げた。経営理念、ビジョン、企業姿勢、提供価値、組織理念、行動指針、社訓を明文化し、これに共感できる人を採用して彼らが働く環境を整える。太平洋クラブの再生にあたっても、韓社長は、この「イズム」方式を取り入れた。

太平洋クラブの「イズム」にも、経営理念、ビジョン、行動指針などが並ぶ。例えば経営理念には、社業を通じて「人々に生きる喜びと安らぎの場を提供」「心身のリフレッシュと明日への仕事の糧となる」などと記されている。

ところが、このイズムの導入を始めた当初は「パチンコで成功した事例がゴルフ場で通用するわけはない」という関係者からの批判もあったという。とくに、年齢を重ね、経験を積んだ社員たちにはプライドがあり、簡単に外からきた経営者の言いなりにはならない。イズムによる意識改革は、制度や技術の改革よりずっと手間がかかるのだ。それでも、若い従業員を中心に、共感し、理解してくれる人を少しずつ増やすことで、イズムを浸透させていった。

太平洋クラブのイズムは、ザ・リッツ・カールトンが掲げる「クレド(行動指針)」を連想させる。同ホテルチェーンでは、クレドがあることで、おもてなしと快適さの提供を使命とし、最高レベルのサービスを提供する姿勢を、全スタッフが共有できている。従業員が自分たちの存在意義を確認し、誇りを持って質の高いサービスを提供する理由を常に意識できるからだ。

さらに、「イズム」は近年注目の「パーパス」にも通じるのではないか。明らかになった自社の存在意義(パーパス)をすべてのステークホルダーが共有することで、結果的に、従業員一人一人のやる気を高めることにつながるのである。

高級路線に見るインフレ時代を生きるヒント

太平洋クラブでは、イズムに基づき、クラブハウスの清掃やコースの整備を徹底。さらに韓社長は、事務所の古くなっていた家具類を新調したほか、従業員の給料を上げ、新人を採用するなど「人」に投資した。原資の一部は会員の年会費だ。それまで無料だった年会費を年間6万6000円(税別)とした。退会者は続出したが、納得してくれた約1万6000人の会員が残った。

ところで、一般的に、日本企業が高級路線に移行するのは、簡単なことではない。直近は、ロシアのウクライナ侵攻の影響などで、国内でもインフレが進んでいる。だが、それまで日本は長年、デフレに苦しんできた。そもそも日本人は値上げを嫌う。「そんなにはいただけません」と謙遜したり、「安売りでご奉仕」がこの上なく喜ばれる風潮があるように感じられる。

それでも韓社長は、太平洋クラブの再出発にあたって「高級路線」を明確にした。「コストを節約するために何かをしたことはありません」とも語っている。

例えば、コースに併設されたレストランのテーブルクロスの上にビニールを敷けば、クロスが傷まないのでコストを削減できる。コースからバンカーの数を減らしたり、クラブハウスの調度品を片付けることも、小さいがコスト削減の手段になる。しかし韓社長は、これらのコスト削減をしなかった。それより、クロスの敷かれた食堂で働く従業員が感じるプライド、難しいバンカーのあるコースで働くコース管理者の誇り、会員たちが整えられた空間で過ごす「非日常の体験」を重視した。高級路線をとって値上げをしても、それに見合う環境やサービスを提供できれば、顧客から支持されることを証明したともいえる。

太平洋クラブの高級路線による「再生」の成功は、製品やサービスの値上げを余儀なくされる日本企業に、一つのヒントを与えてくれるのではないだろうか。

(文=情報工場「SERENDIP」編集部 前田真織)

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『名門再生 太平洋クラブ物語』
野地 秩嘉 著
プレジデント社
320p 2,200円(税込)
情報工場 「読学」のススメ#107
吉川清史
吉川清史 Yoshikawa Kiyoshi 情報工場 チーフエディター
ゴルフもパチンコもやらないが、野球ファンの私にとって、「太平洋クラブ」といえば、一時期、現在の埼玉西武ライオンズが「太平洋クラブライオンズ」という球団名だった時に、親会社だったことくらいの認識だった。正直なところ、この本を知ってはじめて太平洋クラブがゴルフ場だったことを知ったくらいだ。そんな私でも、太平洋クラブの「人」を重視した改革のストーリーには引き込まれた。「イズム」の導入、と聞くと上から精神論を叩き込まれるような印象があるかもしれない。だが太平洋クラブのイズムには、社訓として「創意と工夫」、行動指針として「依存ではなく自立」などとあり、従業員の自主性を重んじるもので「説教くささ」は感じられない。韓社長が自ら動く場面も多いようだ。従業員も会員も一般の利用客も等しく「ウェルビーイング」を実現できるようにするのが、新生太平洋クラブのめざすところなのではないだろうか。

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