ニュースイッチ

「翻訳AI」「量子ネットワーク」…情通機構理事長が明かす戦略研究の現在地

情報通信研究機構の徳田英幸理事長は就任6年目、自ら策定した中長期計画の2年目を迎えた。国研経営者として円熟期にある。組織としては次世代通信システム「ビヨンド5G」の基金事業で、運営費交付金よりも大きな金額を差配する。研究所と資金配分機関の両方の役割を担う。

-ビヨンド5Gの基金事業として2020年度補正は300億円、21年度補正で200億円を差配しています。運営費交付金の倍近い予算を管理運営することになりました。
 「21年度補正分の公募は始まっており、審査や研究管理の業務が増えている。政府は5年間で1000億円を投じる構想だ。情通機構としては21年度に体制を整えた。大学だけでなく、民間企業や自治体を巻き込んでプロジェクトを進められる点が事業の強みになる。研究だけで終わらず、社会実装の形を示せる。20年度補正分では44プロジェクトが採択された。バラバラに進めては元も子もない。共通テーマを決めて研究者のグループを作り、プロジェクト間の連携を進めている。ビヨンド5Gでは地上の通信網だけでなく、成層圏や海洋、月などでの活用を視野に入れている。宇宙までシームレスにつながるシステムだ。人類の生存圏を拡大する挑戦になる。情通機構の研究開発の蓄積を生かして、戦略的に知財を獲得していきたい」

-新中計の2年目を迎えました。
 「21年度はいいスタートが切れたと思う。戦略4領域としてビヨンド5Gと量子情報通信、人工知能(AI)、サイバーセキュリティーを設定した。同時に中長期的に先端研究を進める重点5分野として電磁波先進技術と革新的ネットワーク、サイバーセキュリティー、ユニバーサルコミュニケーション、フロンティアサイエンスを設けた。オープンイノベーション推進本部で産学官連携や社会実装を進める。業務改革や仕事のデジタル変革(DX)も進めている。理事長直属のシンクタンクとして、イノベーションデザインイニシアティブ(IDI)がビヨンド5Gや量子ネットワークのホワイトペーパーを発行している。開発ロードマップや戦略を示し、産学官の連携を促していきたい」

-戦略研究の状況は。
 「翻訳AIはリアルタイムに翻訳する同時通訳を目指している。単純に翻訳速度を上げるだけでなく、意訳や要約が必要になる。発言意図や文脈を解釈して文章をぎゅっと縮める。AIの中でも難しい技術で挑戦になる。分野に特化した翻訳エンジンも開発している。例えば製薬会社から対訳データをもらって学習させる。『スタディー』を『治験』と訳すか、『勉強』と訳すか。分野ごとの専門用語を反映させる。これまで4週間かかっていた申請書類作成の作業が2週間に半減したそうだ。名古屋大学からは学内文書の日英対訳文を53万組の提供を受けた。大学事務の助けになればと期待している」

「量子ネットワークは6月に新研究棟が開所する。研究スペースに加えて、オープンな共創スペースを設ける。産学連携や量子人材育成を進めたい。サイバーセキュリティーは日本はデータ負けの面がある。例えば日本企業の国内拠点だけを守っていても不十分だ。海外拠点が踏み台にされ攻撃される。世界でどんな攻撃が発生しているか、攻撃データを広く収集する必要がある。そこで海外の信頼できるセキュリティー研究機関と連携してデータを集めたい。量子暗号技術では人工衛星を介した量子鍵配送に挑戦している。海外と連携して実証することになる。ビヨンド5Gの国際標準活動はビジョンが示され、具体的な技術要求の検討に入る。これからが正念場だ。国際連携がますます重要になっている」

-翻訳アプリや宇宙天気予報、サイバーセキュリティーなど、研究とサービスを両輪で進めているのが情通機構の特徴です。国研の出資が解禁され、情通機構発ベンチャーなどの事業に資金投入できます。準備状況は。
 「組織としては出資審査の体制を整えた。規定や枠組みを作り、出資案件がくれば審査し投資できる。ただ実際にいくつ案件が上がってくるかはこれからになる。数値目標などは定めていない。出資の資金は特許収入などの自己収入から捻出するため、1件当たりの金額は大きくはない。それでも起業時に自由度の高い資金があるとスタートアップは動きやすくなる。そして機構内にも幅広い意見がある。公的機関として確実な案件に絞るべきという声やスタートアップと一緒に最初にリスクをとらないと意味がないという声などだ。私自身はリスクをとって応援したい」

「高校生や大学生などが参加する『起業家甲子園』やスタートアップのビジネスマッチングを支援する『起業家万博』を開いてきた。この審査員がエンゼル投資家になるなど、ICTスタートアップのエコシステム(生態系)を育ててきた。従来は研究機関の基礎研究が応用研究になり、産業界と社会実装を進める〝リニア〟なモデルしかなかった。現在は技術を成熟させる前に世に出して市場を探したり、起業を見据えてビジネスモデルを考えながら研究を企画したりと産業界を巻き込む方法も多様になった。〝ノンリニア〟なオープンイノベーションを進めていきたい」

とくだ・ひでゆき 83年(昭58)カナダ・ウォータールー大院計算機科学科博士課程修了。96年慶大環境情報学部教授。07年環境情報学部長。18年慶大名誉教授。17年4月より現職。博士(計算機科学)。東京都出身、69歳。
日刊工業新聞2022年6月3日記事に加筆
小寺貴之
小寺貴之 Kodera Takayuki 編集局科学技術部 記者
ビヨンド5Gの研究開発が本格化し、事務方の業務負荷が増している。他省庁でも大型基金事業で資金配分機関の負荷が急増し、人員を拡大している。基金事業は時限制のため終了ともに管理人材が労働市場に供給されることになる。情通機構は研究開発と資金配分の両方を担う。研究と管理を行き来するキャリアパスを確立してほしい。

編集部のおすすめ