現代日本人の「ウェルビーイング」を考えるヒントは“昔話”にあった

<情報工場 「読学」のススメ#103>『むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました』(石川 善樹/吉田 尚記 著)

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日本的「ウェルビーイング」に向けたヒント

近年、ビジネスの場で「ウェルビーイング(well-being)」が注目されている。この言葉は「心身共に健康で満足した状態」のことを指し、わかりやすく「幸福」と訳されることもある。

「幸福」は定性的で、どう感じるかには個人差もあり、これまで企業が指標にするには不向きとされてきた。最近になってそれが注目されている背景として、モノがあふれる現代では「心の充足」が求められること、コロナ禍で生活様式や価値観が変化し、個人の「生き方」が問い直されていることなどが指摘される。

ただ、そもそもウェルビーイングの概念はわかりにくい。どう目指していいのかもよくわからない。その点、日本的な感覚のウェルビーイングを大づかみできる好著が『むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました』(KADOKAWA)だ。

著者は、予防医学研究者の石川善樹さんと、ニッポン放送アナウンサーの吉田尚記さんで、2人のポッドキャスト番組の対談がもとになっている。石川さんの学術的でありながら、平易でくだけた文体による解説に、吉田さんによる異なる視点やクスッと笑えるコメントが挟まるという構成。ウェルビーイングについて「学ぶ」ための肩肘張った本ではなく、生活や文化のそこここに落ちているウェルビーイングのヒントを拾い、「こんな感じ」と示してくれるような書だ。

「ゼロに戻る」思考に、日本人特有の「幸せのかたち」がある

ところで「ウェルビーイング」と一言でいっても、何に満足や幸福を感じるかは時代や文化によって異なる。キリスト教の影響が大きい西洋のモノサシでは、日本的なウェルビーイングは測り切れないのではないか。

では、日本的な幸福や満足の形はどこにあるのだろう。本書が示すヒントは「むかしむかし」で始まる日本の昔話だ。

西洋の昔話は、子どもが主人公であることが多く、冒険して宝物を見つけたり、最後に結婚して幸せになるような「立身出世」の展開が多い。これとは対照的に日本の昔話は、「おじいさんとおばあさん」がやたらと登場し、ハッピーエンドは少なく、物語のスタートとゴールに変化がない話も少なくない。たしかに、浦島太郎は竜宮城から戻ってきておじいさんになる(立身出世しない)し、かぐや姫は月に帰っておじいさんとおばあさんが残される(ゼロに戻る)。

心理学者の河合隼雄は、こうした違いを指摘し、日本の昔話が世界の物語の中でも特殊であることから、ここに「日本人の意識構造」があるのではないかと分析した。「上昇するほど幸せになれる」と信じる西洋的な思想に対し、「元に戻る」「ゼロに戻る」をよしとし、受け入れるのが日本の思想で、石川さんは、日本的ウェルビーイングの原型は「ゼロに戻る」にあると考えている。

そういえば、ディズニー映画では、白雪姫からアナとエルサに至るまで、「プリンセス」が主人公でハッピーエンドが定番だ。一方で、日本のスタジオジブリ作品を見ると、同じプリンセスでも、ナウシカやもののけ姫、かぐや姫と、いずれの物語も単純なハッピーエンドとはいいがたい。「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)の主人公・千尋はどこにでもいる女の子で、湯屋で働いたのち、もとの世界、まさしく「ゼロ」に戻る。

こうした物語をよしとする価値観が、いまだ少なくない日本人の根底にあるのではないか。昨今のヒット漫画『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴作)も、主人公は一貫して、鬼になった妹を人間に「戻す」ことを試みている。

もちろん、明治以降、日本社会では西洋化が進んでいる。ビジネスについていえば、そもそも資本主義経済は基本的に成長を前提とするのだから、上を目指す心理が働くのは当然でもある。昇進や昇級を求めて頑張る生き方が「ウェルビーイング」につながるという人がいてもいい。ただ、改めて自身の「ウェルビーイング」が本当はどこにあるのか、思い込みを捨ててじっくりと考える機会を持つべきではないだろうか。

「連」と「号」に見るビジネスパーソンのウェルビーイング

石川さんは、他にもたくさんのウェルビーイングのヒントを紹介しているのだが、その中でも「連」と「号」の話はビジネスの現場でも応用できそうだ。昔話ではなく「和歌」がテーマである。

「万葉集」の時代から、日本人は歌を詠み続けてきた。やがて歌を詠み合うグループである「連」が生まれ、そこに集う人々は「号」という別名を持つようになった。江戸時代、多くの人が複数の号を持ち、いくつもの連を渡り歩いて人生を楽しんでいたという。ところが昨今は、公私にわたる首尾一貫性が求められ、息苦しい時代になっていると、石川さんは指摘する。

これに関連した、吉田さんの瀬戸内寂聴さんについてのコメントが興味深い。「毎日が楽しくない」と悩む人の相談に、寂聴さんが「秘密を持ちなさい」と助言したエピソードを紹介しているのだが、寂聴さんご自身が、紫式部にちなんだ「ぱーぷる」というペンネームで、密かにケータイ小説を書いていたことがあるのだとか。

有名作家が身元を隠し、こっそりケータイ小説として好きな物語を書く……。俗名の「晴美」に加えて「寂聴」「ぱーぷる」の“号”を持ち、さぞかし人生を謳歌され、ウェルビーイングでいらしただろう。

この話、ビジネスの世界でいえば、「副業」に通じるのではないかと思うのだ。職場によって異なる顔を持つことは、秘密とは限らないが、それに似た楽しみがある。「あなたらしくない」といった周囲の声にとらわれることなく「号」のような別名や、「連」のような居場所を使い分け、居心地のいい立ち位置を見つけることがウェルビーイングにつながる気がする。

他にも石川さんは、自分よりも大切な何か、すなわち「推し」をもつことや、旅をすることなど、ウェルビーイングを見つけるヒントをいくつかあげている。これらに通底するのは、「doing(すること)」ではなく「being(いること)」の感覚を大事にすることだ。

現代の私たちは、つねに何を「する」かを問い続けられ、「いる」を楽しむことや、「いる」だけでいいという価値観を忘れがちだ。その点、「推し」は「いて」くれるだけでいいし、旅先では素の自分で「いる」ことができる。

自分も相手も「いる」だけで十分。受け入れてくれる場所を見つけ、相手を受け入れる寛容さを持つことが、ウェルビーイングへの第一歩なのかもしれない。

(文=情報工場「SERENDIP」編集部 前田真織)

『むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました』
-日本文化から読み解く幸せのカタチ
石川 善樹/吉田 尚記 著
KADOKAWA
192p 1,430円(税込)

情報工場 「読学」のススメ#103

COMMENT

吉川清史
情報工場
チーフエディター

本書は、数多のウェルビーイング論や幸福論のなかでも出色の良書だった。日本で、実名表記が求められるフェイスブックよりも、ハンドルの使用が認められるツイッターや匿名掲示板の方が人気なのも、日本的ウェルビーイングに関連しているのだろう。つまり、自分の名前を出して何かを「する」、発言するよりも、名もなき一人としてコミュニティの中に「いる」ことに、心地良さを見出す日本人の心性の表れなのだと思う。おそらく「もう一つの世界」で「違う自分」になれるメタバースについても、欧米と日本では利用の仕方が違ってくるのではないか。欧米はメタバースの中で何かを「する」、例えば事業を始めたりする傾向があるのに対し、日本人は、ただメタバース空間に「いる」ことを指向し、知り合った仲間と何気ないおしゃべりをするようになると予想できる。さまざまな場所、場面での自分自身のウェルビーイングも見つけていきたい。

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