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「追悼2015」偉大な経営者たちは後世に何を残したか

「追悼2015」偉大な経営者たちは後世に何を残したか

左から小林氏、岩田氏、堀場氏、西川氏

**小林陽太郎さん(元富士ゼロックス社長、元経済同友会代表幹事)
 富士ゼロックスの社長に44歳で就任。グローバルな視点と卓越した英語力、ユーモアのセンスやファッションで知られる国際派経営者の草分けだった。「市場の進化」「企業の社会に対する責任」という理念を早くから唱えた。経済同友会代表幹事として財界のオピニオンリーダーを務め、日米のパイプ役でもあった。今も「最も尊敬すべき経営者」として、その名を挙げる産業人が少なくない。
9月5日死去(82歳)

岩田聡さん(任天堂社長)  


 東京工業大学卒業後、ゲームソフト開発会社「ハル研究所」を経て任天堂の中興の祖、故山内溥氏に請われ2002年、42歳で社長に就任した。ゲーム機事業の立て直しに奔走し、携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」などのヒット商品を打ち出した。自らの情報発信も多く、ホームページの映像コンテンツ登場や記者会見で愛用のノートパソコンを持ち込んで説明する姿はおなじみだった。
7月11日死去(55歳)

堀場雅夫さん(堀場製作所創業者・最高顧問)


 京都帝国大学(現京都大学)在学中の1945年、20歳で堀場製作所の前身となる「堀場無線研究所」を創業した。社是に自身の哲学「おもしろおかしく」を掲げ、学生ベンチャーから世界的な分析機器メーカーに成長を遂げた同社の基盤を築いた。一方、78年の社長退任後は地元京都の文化発展や産業支援などに尽力し、04年には堀場雅夫賞を創設した。82年に藍綬褒章を受章している。
7月14日死去(90歳)

西川俊男さん(元ユニー会長・社長)


 ユニーの前身である呉服店西川屋の創業者の三男。1971年に愛知県内最大手のスーパー・ほていやと合併しユニーを設立。76年に社長に就任後はコンビニエンスストア・サークルKの日本事業や衣料品専門店のパレモ、総合スーパーのアピタの設立など経営多角化を進めた。
1月1日死去(89歳)

※(肩書きは当時の各社・各団体による)
日刊工業新聞2015年12月29日「追悼」より
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役ブランドコミュニケーション担当
2015年も日本経済発展に尽力された経済・産業界の著名人たちが逝去された。今回紹介した4人の方以外にも多くいる。この中では岩田さんの若さが際立つ。心からご冥福をお祈りします。

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