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「別の人生を歩んできた」…60歳で第二創業した『一太郎』の生みの親・浮川和宣さんの転換点

【連載】転換点 #02 MetaMoJi社長・浮川和宣氏

日本語ワープロソフト「一太郎」の生みの親であるジャストシステム創業者の浮川和宣さんは、60歳でアプリ開発のMetaMoJi(メタモジ、東京都港区)を起業した。米マイクロソフトとの激しいシェア競争で経営不振に陥り、キーエンスの出資を受けた2009年にジャストシステムを離れて立ち上げた。第二創業決断の背景や今後の展望を聞いた。(聞き手・葭本隆太)

年齢は能力の限界を決めない

-メタモジを立ち上げた背景を教えてください。
 時代より一歩でも先に行く挑戦がしたかったからです。ジャストシステムには出資を受けたキーエンスから新しい経営陣が入ったので、経営は彼らの意図が反映されます。その中で、専務(で妻の初子氏)と2人でもう一度ゼロから会社を興して、未来を見据えた経営方針を立てたいと思いました。

-ジャストシステムを去ることに迷いは。
 ありません。もうきっぱり。決心したら、前に向かって全力をあげる性格ですから。

-一般のサラリーマンは定年を迎える60歳という年齢をネックに捉えませんでしたか。
 企業は新陳代謝のために60歳や65歳での定年があると思いますが、年齢によって能力が限界になることはありません。挑戦する意欲があれば、年齢は関係ありません。世の中の多くの方も同じように考えているのではないでしょうか。

-メタモジではiPad向けのアプリ開発を手がけています。
 創業2カ月後に登場した米アップルのiPad(アイパッド)を手にした瞬間、新しい時代がくると感じました。その持ち運びやすさによってパソコン(の機能)が、多様な現場に持ち出せるようになるからです。その特徴を生かした使い方にいち早く着目することで成長できるに違いないと思いました。ジャストシステムもパソコンが世の中に生まれたときに、それが浸透する流れをキャッチアップして成長した会社ですから。

-具体的には手書き入力システム「mazec(マゼック)」を開発しました。
 キーボードではなく、手書きでスムーズに入力できれば、営業マンなど、机の上でなく外で仕事をする人も使いやすく、幅広く活躍できると思ったからです。また、キーボードに慣れていないお年寄りや子どもなどもITを使えるようになる大きな可能性を感じました。

-足元ではマゼックを活用し建設現場の業務を効率化するシステム「eYACHO(イーヤチョウ)」の利用が広がっていますね。
 手書き入力ができる機動力の高さという特徴を生かして、活用を広めてもらったのが建設現場でした。ただ、(ほかの多様な仕事現場など)まだまだ現実社会の広がりは、私の夢に追いついていません。

-その夢の実現に向けた今後の展望は。
 手書きだからできることはもっとあるはずで、まだ(私たちには)見えていないことも多いのでしょう。それを突き詰めていくと、新しいパソコンの使い方が生み出せると信じて、社員たちと未来に向かって進んでいきます。

起業で別の人生を歩み始めた

-浮川社長のこれまでの半生において転換点はいつでしたか。
 一番はサラリーマンを辞めてわけが分からない会社(ジャストシステム)を自分で作ったことです。別の人生をそこから歩んできました。

-学生時代から起業の意向があったのですか。
 ありません。普通のサラリーマンになろうと思っていました。いざ就職して私や妻が東京で働いていたころに、妻の祖母から「徳島に帰って家族と一緒に会社を作ったら」と提案されました。その言葉のインパクトが大きくて(背中を押されるように)起業しました。

-大きな決断かと思うのですが、決め手は。
 私たち夫婦や私の両親、長女である妻の家族の3つの家族を養うには、サラリーマンの収入では難しいだろうと考えており、もしチャンスがあれば挑戦しようと思っていました。また、当時はオフィスコンピューターが普及し始めたばかりです。コンピューターが世の中を変えていく流れに身を置いて、ビジネスを展開したい思いがありました。もう一つ、当時は20代だったので、仮に失敗してもやり直しができる若さも決断の要素でした。

専務で妻の初子氏(左)と冬は宮古島でテレワークをする

―ジャストシステムで日本語ワープロソフトの開発に挑んだ理由は。
 ワープロは専用機が当時すでにあり、それが一斉を風靡しました。その中で、パソコンのOSとアプリの間に専用機に負けないくらいの「かな漢字変換システム」を作れば、必ずや汎用的に使われ、普及すると思いました。

-そうして開発された日本語かな漢字変換システム「KTIS(ケイティス・ATOKの前身)」のローマ字で入力し、スペースバーで漢字に変換する方式は、現在のパソコンに標準仕様として受け継がれています。この設計はどのように考えたのでしょうか。
 目をつぶりキーボードの上で手を動かしながら、どのような操作だと使いやすいのかを考えました。利用者の頭になって設計していきました。

―ATOKを活用した「一太郎」は利用が広がります。受け入れられた最大の要因をどう振り返りますか。
 日本人にタイプライティング機能を提供し、パソコンを使えるようにしたい強い思いがあったからでしょう。それまで日本語のタイプライターは、プロしか使いこなせない難しいものでした。それを変えたい思いがあり、考えた末にスペースバーで漢字変換するという非常に使い勝手がよい設計を作り出せたことで、利用が広がったと思います。

1996年に「一太郎7」を発売した

-一方、95年には米国のマイクロソフトの「Word」が登場し、劣勢に立たされます。
 日本語処理は我々と同等の機能で、OSに載せているのでメーカーはそれを採用せざるを得ません。私たちのシェアは落ちましたし、それが彼らの戦略だったのでしょう。

-ワープロソフト以外の取り組みを真剣にやってこなかったことの反省を過去の記事で吐露されています。
 決してやらなかったわけではないです。(95年に)インターネット接続サービス「ジャストネット」を始めましたが、とにかく爪が甘かったですね。

-そうした失敗は後悔することはありますか。
 過去の失敗はグチグチ考えません。先にやるべきことがたくさんあります。過去はどうしようもありませんし、前の方が(可能性)が無限に広がっていますから。

私は悩むこともほとんどありません。それよりは未来について色々と幅広く考えています。(雨の中、)自動車の窓ガラスをワイパーで拭きながらハンドルを切っているようなものです。そのときは後ろをそう振り返らないでしょ。

-浮川さんご自身の今後の目標は。
 メタモジの事業に全力をあげることが私の人生です。ほかによそ見する趣味もありません。メタモジが成長することがとても大きな喜びです。

略歴:79年ジャストシステム創業。社長としてかな漢字変換システム「ATOK」やそれを活用した日本語ワープロソフト「一太郎」などを開発。日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会会長やコンピュータソフトウェア著作権協会副理事長など歴任。09年10月ジャストシステム会長を辞任してMetaMoJiを設立し、社長に就任。スマートデバイス用のアプリ開発に注力している。愛媛県出身。72歳。
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葭本隆太
葭本隆太 Yoshimoto Ryuta デジタルメディア局DX編集部 ニュースイッチ編集長
取材はオンラインで実施し、奥様で専務の浮川初子さんにも同席いただきました。ジャストシステム時代の話などは初子専務が適宜、そのときの浮川社長の様子などを補足して下さいました。「ATOK」や「一太郎」などを生み出したこの二人三脚が、浮川社長が脳裏に描く夢に向けて今後どんなものを生み出すのか。注目し続けたいです。

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