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若手研究者が「ムーンショット」で挑む。2つの古くて新しい難題

若手研究者が「ムーンショット」で挑む。2つの古くて新しい難題

19年10月の台風19号による水害は、生活・産業に甚大な被害をもたらした(栃木県足利市の毛野東部工業団地=オグラ金属提供)

気象制御、豪雨被害防ぐ/人々の心、豊かで元気に

「気象の制御」と「心の変化の仕組みを解明」―。政府は困難な社会課題の解決を目指す「ムーンショット型研究開発制度」に、これら二つの目標を加えた。2022年春にも新目標の研究開発に着手する。50年までに台風や豪雨などの被害減少に向け気象の制御に挑むとともに、精神的に豊かで躍動的な社会の実現を目指す。次代を担う若手研究者が中心となり、古くて新しい難題に挑む。(山谷逸平)

新たなムーンショット目標の必要性が議論されたのは20年8月のこと。新型コロナウイルス感染症の影響で、社会経済の大きな変容が想定される中、ポストコロナを見据えた目標を1―2件検討することになった。新目標を担当する科学技術振興機構(JST)挑戦的研究開発プログラム部の中島英夫部長は「七つの目標は役所主体で検討した国の研究開発テーマ。新目標は次代を担う若手研究者からテーマを募集した」と違いを強調する。

新目標を検討する「ミレニア・プログラム」には21チームが採択された。約半年にわたる調査研究期間を経て、9月開催の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)本会議で二つの新目標が決定した。JSTは11月9日、研究開発全体の責任者であるプログラムディレクター(PD)を任命するとともに、実務を担うPMの公募を開始。選ばれた複数のPMは、PDの助言・指導の下でプロジェクトの作り込みや詳細な計画の立案を原則約3カ月以内に行うことになる。

新目標のうち、目標8の「気象制御」では、30年までに物理的な操作を前提に台風や豪雨の制御理論を検討し、その理論で被害が軽減できるかを計算機上で実証する。大気を人工的に変える装置の開発も検討する。50年までに激甚化しつつある台風・豪雨の強度やタイミング、発生範囲などを変化させる制御で、極端な風水害による被害の大幅な軽減を目指している。

目標9の「心の安らぎと活力」では、30年までに心と深く結びつく文化・伝統・芸術などを含んだ要素を抽出・測定し、心の変化の仕組みを解明する。50年までに心の安らぎや活力を増大し、精神的に豊かな社会を実現する技術の確立につなげる。

新目標に共通する課題が「倫理的・法的・社会的課題」(ELSI〈エルシー〉)だ。社会実装のためにはELSIを解決する必要がある。気象制御であれば、気象に人的に介入することで生態系に影響を及ぼす恐れもあれば、豪雨の位置を移された地域への対応もある。心の安らぎと活力についても同様に負の側面がある。

目標8の三好建正PD(理化学研究所計算科学研究センターチームリーダー)は「環境影響評価を十分に検証しておく必要がある」とした上で、「社会的・国際的な合意が必要になる。軍事研究に使われかねないため、日本がリーダーシップを発揮すべき分野だ」と強調する。目標9の熊谷誠慈PD(京都大学こころの未来研究センター准教授)も「心を動かすことに踏み込んでいるため、危険な側面はある」と認識。その上で「利点と欠点を考えつつ、日本が先導して研究開発すべきだ」としている。

【ムーンショット型研究開発制度とは…】

14―18年度の「革新的研究開発推進プログラム(ImPACT〈インパクト〉)」の後継施策。超高齢化社会や地球温暖化問題など重要な社会課題に対して、かつて有人月面着陸を実現した米国の「アポロ計画」のように、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発を推進する事業。財源1150億円を確保し、これまで七つの目標に基づく研究開発が進んでいる。

ムーンショットPDに聞く

◆温暖化に有望な技術 三好建正氏(理化学研究所計算科学研究センターチームリーダー)

―どんな問題意識を持っていますか。

「地球温暖化に伴う気候変動により、日本では毎年風水害が発生し激甚化しつつある。人の命を救い、被害を減らしたい。より現実的なシミュレーションができるようになってきた今、気象の『制御』に取り組める段階に入った。雨量を減らせれば河川の流量も抑えられる。同じ場所に降る量が制御できれば土砂崩れも起きにくくなる。総合的に被害を減らすことが目標8のターゲットになる」

―PMの応募者に望むテーマは。

「まずは気象学におけるシミュレーションによる制御技術や制御理論の研究だ。人工的に大気を変化させる操作技術の研究も必要だ。これまでも気象学者による研究は進められてきたが、新しい発想が欠かせない。その中でELSI問題に取り組む研究計画も求めたい。幅広い研究領域からの応募を期待する」

―目標8をどう実現していきますか。

「気象の制御は人類の夢だったと思う。現在は地球温暖化への適応策として望まれる技術だ。人類共通の開かれた技術として作り上げることにやりがいを感じている。PDとしてリーダーシップを発揮したい」

◆「総合知」で人々を幸せに 熊谷誠慈氏(京都大学こころの未来研究センター准教授)

―現代社会における課題は。

「科学技術がこれほど発達しても、心に起因する社会問題はますます深刻化している。コロナ禍によって社会構造や人々の意識も大きく変わった。このまま物質的、経済的に成長しても、人類が幸せを感じるのは難しいのかもしれない。心を総合的に理解し、科学技術を正しく活用して人々を幸せにしたい」

―PMにはどんなテーマを望みますか。

「文理融合を強く推奨している。科学技術に人文社会科学などを加えた『総合知』を持って、新しいテクノロジーを創るといった視点を期待する。技術をどう使うか、社会にどう役立てられるのかは自然科学の視点だけでは難しい。人文科学・社会科学的な視座に立てば技術の深みや可能性が広がる」

―PDとしての意気込みを。

「技術開発は人類の幸せのために行うべきだと考えている。それを忘れると技術が暴走し、悪い方に転用されてしまうからだ。振り返ればそうした人類史もある。心の幸せを目標に科学力を結集させれば、人々を笑顔にできるのではないか。全国の志のある研究者とともに、目標達成に向けて挑戦していきたい」

日刊工業新聞2021年11月26日

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