少子化でも大学が潰れないのはなぜか 私立大学の粘り強さに学ぶ
少子化で18歳人口が減っても大学数が増える「謎」
「同族経営」という言葉に、どんなイメージがあるだろうか。「前近代的」「封建的」というようにネガティブに捉える人も少なくないはずだ。だが、少し見方を変えれば、同族経営は「企業家精神に富んだダイナミックな」経営ともいえるのだ。そんな同族経営のポジティブな面が如実に表れているのが「日本の私立大学」である。
数年前まで、日本の多くの私立大学において、経営破綻が続出するといわれていた。少子化で18歳人口が減少し、十分な入学者数を確保できず、学費収入が激減する大学が多くなると考えられたからだ。
ところが現実は違った。2000年に日本に存在した私立大学のうち、2018年までに完全消滅した大学は11校(1.5%未満)にすぎず、大学の数は過去20年間、むしろ増えている。なぜ、こんなことが起きたのか。
日本の教育・雇用システムを研究する豪州モナッシュ大学のジェレミー・ブレーデン准教授と、社会人類学者である英国オックスフォード大学日産現代日本研究所のロジャー・グッドマン教授が、『日本の私立大学はなぜ生き残るのか』(中公選書)で、その大きな「謎」に迫っている。
長きにわたる調査研究の結果、2人の著者が辿り着いたのは、日本の同族経営の私立大学が備える“レジリエンス(粘り強さ、回復力)”だ。同族経営と大学が結びつかない人がいるかもしれないが、特定の一族が所有、もしくは経営主体となっている日本の私立大学は、代替わりの予定が明確ではない新しめの大学を含めると、約4割にものぼるという。
ブレーデン准教授は、実際に日本の私立高等教育機関に勤務した経験がある。また、グッドマン教授は、同族経営の私立大学「メイケイ学院大学(仮称・以下MGU)」で2003年から2004年にフィールドワークを行っており、現地の職員や学生の話を踏まえた論には、抜群に説得力がある。
同族経営のメイケイ学院大学は志願者9割減の危機をどう乗り越えたのか
著者らによれば、日本人にとって同族経営は「大学経営に関する話題としてはタブーに近いテーマ」であり、実際、関連する研究がほとんど見当たらないようだ。
事例としてとりあげられるMGUは1940年代に創立された経理学校を起源としており、他に短期大学、高等学校、専門学校を擁する学校法人が経営にあたっている。創設者の次男が学校法人と理事会を取りまとめる「総長」であり、その弟は同学校法人の専門学校校長、といった具合に一族が多くの重要ポジションを占めている。経営はトップダウンで中央集権化された、いわゆる「ワンマン経営」だ。
かつてMGUは中堅校として比較的安定した人気を得ており、1991年には2,250人の入学定員の枠に4万1000人以上の志願者が集まっていた。ところが、2003年には志願者数が約90%減、卒業前の退学者、留年者がそれぞれ約20%増加するなど、教育機関として、また経営的にも危機的な状況に陥る。
その対策に動いたのは、教授会でも事務組織でもなく、「総長オフィス」だった。総長を中心に大改革の案を作成し、実行した。
教育面の改革では、社会に貢献できる実践的スキルも身につけさせることを目的に、新たなトレーニングのコースが設けられた。ニーズの少ない学科やコースは廃止され、「ホスピタリティ経営」「スポーツ経済」といった魅力的で実践的なコースが新設された。また、学生の学習経験を重視し、英語の授業に能力別グループを設けたり、「問題解決型学習/プロジェクトベース学習」を重視し、授業例を紹介するウェブページをつくったりもした。
経営面では、入学定員を大幅に削減し、2000年から2015年の間に約半分にした。これには、少人数教育を可能にするという教育面のメリットもある。そして、効果が大きかったのが、学費の値下げだ。それまで私立文系としてはトップクラスの高額だった学費を27%以上下げた。
さらに、これまた高額で知られていた教員の給与も下げるとともに、定年を70歳から65歳に繰り上げた。その結果、学生と年齢が比較的近い、教育熱心な若手教員が増えた。
こうして大学としての魅力を高める改革を断行したMGUは、大幅に志願者数を増やし、定員割れを解消することができた。2006年に845人(定員2,175人)にまで減っていた新入生数は、2018年には1,572人(定員1,380人)にまで回復した。
「存続こそ最優先事項」という同族経営のメンタリティ
MGUの改革が成功したのは同族経営の強みがあったからだと、2人の著者は仮説を立てている。強みの一つは、多くの重要ポジションを親族メンバーが占めることで、経営に一貫性がもたらされ、意思決定が迅速になる、ということだ。
さらに興味深いのは、同族経営の大学が「存続こそ最優先事項」と考えるという、著者らの指摘である。同族経営では、一族のアイデンティティに対する意識が、「伝統を途絶えさせてはならない」という強固な意志に結びつけられる。もはや「お家断絶」を避けようとする武家のイメージに近い気もするが、そのメンタリティがレジリエンスにつながるという指摘は納得できる。
実際、MGUだけでなく、危機に陥った多くの同族経営の私立大学は、規模を変え、提供するコースを変え、キャンパスの場所を変えたりと「存続」のためにさまざまな手段を講じる。ときに赤字を出して他の大学と相互補助をしたり、大学の名称を変えることになったりしても、「閉じる」という選択はしない。
企業の成功や復活のストーリーにも、製品やサービスの規模の変更、事業領域の見直し、短期的な赤字覚悟の長期思考の投資、他社との提携やブランド名の変更などはつきものだ。つまり、同族経営の大学は、V字回復に成功した企業と似たような改革を実行しているともいえる。これこそが、本記事の冒頭で引いたように、同族経営が「企業家精神に富んだダイナミックな」経営であるとされる理由だ。
いわゆる同族経営とされる有名企業や大企業は、米ウォルマートや仏ミシュランをはじめ世界中にあり、国内でもトヨタ自動車、サントリー、キッコーマン、キヤノンなどが知られる。いずれの企業も、数多の荒波を乗り越えて「存続」している。
もっとも、同族経営に対する日本社会の見方は、基本的にネガティブだ。合理的な経営こそをよしとする米国型の経営手法に比してガバナンスの不透明性を指摘されたり、反能力主義的、汚職に誘われやすいといった批判を受けることもある。
しかし「存続」を最優先として生き残りを模索する力は、コロナ禍のような、先は見えないけれどいずれ回復が想定される危機に際し、重要性を増すのではないか。
生き残り、消滅さえしなければ、いずれ立ち直るチャンスがめぐってくるかもしれない。そういった泥臭い、雌伏の姿勢が、日本経済全体のレジリエンスにもつながるようにも思える。(文=情報工場「SERENDIP」編集部 前田真織)
『日本の私立大学はなぜ生き残るのか』
-人口減少社会と同族経営:1992-2030
ジェレミー・ブレーデン/ロジャー・グッドマン 著
石澤 麻子 訳
中央公論新社(中公選書)
352p 2,200円(税込)