【高杉良・インタビュー】作家として、記者として。『破天荒』に駆け抜けた生き様とは
日本の経済小説の第一人者、高杉良氏が自身をモデルにした自伝的小説『破天荒』を出版した。経済界の大物や官僚とダイナミックに渡り歩いた半生を振り返りつつ、本人は「これが最後の長編小説かもしれない」と語る。記者として駆け抜け、作家として時代を見渡した目には、いまの混沌とした日本や世界がどう映るのか。今回の作品を通じて幼少期の思い出や作家、記者としての歩みとともに、今後の意気込みを聞いた。 (聞き手・高田圭介)
幼少期の残像
―今回、自身をモデルに描いた理由は。
「多くの作家は生前に自伝のようなものは残さないと思う。明日死んでしまってもおかしくない年齢になり、いま残しておかないと残された家族は大変な思いをするのではないかと感じた。ヤケっぱちな訳ではないが、これが最後の長編小説かもしれないと思っている。妻から『記者時代に経済界や官僚の方々と交流していたことを書いてみたら面白いんじゃない?』と言われたことも後押しになった」
―記者を志したきっかけには、幼少期の経験が反映されているようにも感じます。
「母方の叔母によって(児童養護施設の)めぐみ園に入れられたが、今になって考えてみると恩人にも思えてくる。あの頃がなければ作家になっていなかったかもしれない。そんなことを思うと父への恨みもあるが、見方を変えなければいけないかなとちょっとだけ思うことがある。一方で母は誇り高い人だったが、本当によく本を読んでいた。唱歌や童謡も大好きで、一緒に縁側で歌うのが楽しかった。今でもよく一人で歌う癖がついているし、方向音痴な所も似てしまった。僕はせっかちなんだけど、方向音痴だとどこに行くのも本当にツラいんだ」
記者、作家として歩んだ道
―作品には記者として通商産業省(現経済産業省)に出入りした様子を鮮明に記しています。
「約半世紀前のことになるが、当時の官僚は自分のことより国家のあるべき姿や産業の行く末といった全体像を見ていた気がする。多くの官僚を見てきたが、キャリアも技官も顔つきがやはり違っていた。時代が移ろってリーダー不在の時代となり、今の官僚は当時とは格が違うし全体的に小粒に映る。相次ぐ不祥事を見てると非常に情けない。官僚になろうと手を挙げる人が少なくなっているが、社会全体も小粒になっているのではないか」
―自身を振り返るとどんな記者だったのでしょうか。
「生意気を言えば、文章力には自信があった。記事を書くと『言いたいことを100%以上書いてくれる』なんて言われることもあったし、事務次官や局長の部屋にも平気で入っていった。ある事務次官の部屋に足を運ぶと、昼休みで秘書の女性とトランプをしていた。『何か用?』と聞かれて事情を説明すると、『それじゃ、資料あるから自分で書いてよ』なんて言われてることもあった。反対に嫌いと思った人には意地悪にも書いた。今では考えられないと思うけど、当時でも僕みたいな記者はいなかったんじゃないかな」
ー経済界の大物とも渡り歩いていますが、特に印象深かった方は。
「何と言っても中山素平さん(元日本興業銀行頭取)の存在が大きい。中山さんにとってもおそらく僕みたいなせっかちな記者に会うのは初めてだっただろう。どんな質問にも答えてくれたし、『この記者はどんな風に書くのか』と楽しんでいるような雰囲気もあった。僕も何でも言っちゃうもんだから『お互い言いたがりだね』なんて笑うこともあった。電話で直接やりとりできる間柄だったけど、『これはいくら何でも書いてはいけないな』とそこには信頼があった。だから『小説日本興業銀行』で本人が知らないことまで伝えたときには驚かれたけど、逆に『書いてほしい』と言ってもらえる位の関係だった。人を見る目があるところが何より魅力的で、僕と親交が深まったときには既に中山さんは年齢を重ねていたが、まだ無名だった(ソフトバンクグループの)孫正義さんや(アスキー創業者の)西和彦さんなんかにも引き合わせてくれるほどだった」
―最後に幻の作品として『自轉車』を収録しています。
「子どもの頃から綴り方が好きで17歳の時に書いた。これまでも短編集は出しているが、その中にも入れていない。照れくさい気もするが、妻からは『どこかで出した方がいい』と言われてきた。今回の作品を書くにあたっては(元通産事務次官の)牧野力さんに相談を持ちかけた。話をするうちに僕のことを何でも知る彼から『結局は自轉車につながるんじゃないか』と言われ、本人の前で素振りを見せなかったがとても驚いてしまった。今まで意識してこなかったが、今回の作品の中身もあって盛り込むことにした」
活字メディアへの思い
―自身が活躍していた頃と比べ、今のメディアの姿はどのように映っていますか。
「活字メディアの劣化が予想していたよりも進んでいる。一方でスマートフォンが普及して情報を伝える方法が増えても、活字が持つパワーが絶対的に強い。(加齢黄斑変症の影響で)最近は視力が衰えてしまったが、週刊誌にしろ新聞にしろ頭に刷り込む力が断然に違う。これは僕の中で確信している。思い込みかもしれないが、『活字の力があるなぁ』と気づいて必ず戻ってくる時代が来る気がしてならない」
―今のメディアに居る立場からすると、正直なところ実感が湧きづらい部分があります。
「足元だけをみれば確かにそうかもしれない。ただ、世界的に見ればニューヨーク・タイムズにしてもワシントン・ポストにしてもガーディアンにしても、やはり地力がある。香港の一連の騒動を見ても、蘋果(リンゴ)日報が人々を動かした役割は大きい。そうした姿を見ていると活字の力が戻ってくると確信できるし、そうでないとおかしいんだ」
作家としての現在とこれから
ー今回の作品を通じて改めて気づいたことは。
「僕はとても強運で、周囲には常に誰かが居てくれた。今回の作品には、かつて第一線で活躍した人や古くから親交のある人から多くの連絡があって驚いている。ある人からは『滝沢馬琴は失明してからも作品を残し続けた。だから、作家は死ぬまで書かなくちゃダメだ』なんて言われた。長編を書くことが体力的に難しくなってきているが、物書きとはそういうものなんだと周囲の声から感じている」
―作家として今後追い求めたいテーマは。
「長編を書くことは難しいが、『転職』をテーマに書いてみたい。世の中の就労形態が変化し、大企業に入れば定年まで安泰とは言えなくなっている。働き手にとっても企業にしがみつく時代ではなくなった。若い人は組織を変えながら働くことに抵抗感がなくなってきたが、50代、60代にとっては自分の中での葛藤があると思う。体力的に取材を進めることが難しくなったが、偶然にも娘婿が外資系の会社を渡り歩いて身近に話を聞けることも大きい。短い周期で何をしたいか、何を学べるか、次にどうするかと明確に進む姿勢が、これからの日本でも求められると思う。彼から色々聞きたいが、どうやら忙しいようで『お義父さん、土日じゃダメですか』と言われてしまうが…」
◇高杉良(たかすぎ・りょう) 作家
石油化学専門紙の記者の傍ら、1975年(昭50)に『虚構の城』でデビュー。経済小説の第一人者として『金融腐食列島』シリーズをはじめ、『人事異動』『生命燃ゆ』『小説日本興業銀行』などを送り出した。東京都出身、82歳。
『破天荒』新潮社、1,760円(税込) https://www.shinchosha.co.jp/book/454707/
業界紙記者・杉田亮平が持ち前のフットワークを武器に、経済界の大物や官僚たちと大胆に渡り歩く姿を描いた「自伝的経済小説」。日本の経済成長とともに駆け上がる姿を、記者として、作家として、それぞれの立場から振り返っている。